2025年12月12日金曜日
ベトナム旅行が近づいてきました
何年も前から行こう行こうと思っていたタイやベトナム旅行などの計画を遂に実行する時期が近づいてきました。
今回はベトナム。
今年の年末は当直を入れず、年休を集中的に使うことでこの希望を叶える事にしました。思っているばかりでは何も進まないのは現実の種々の出来事と同じですからここは一つ迷いなく前進しましょうという事でベトナム旅行を企画しました。
とは言っても、行くのは到着がホーチミンですが、その後はダナンと古都ホイアンがメイン。帰りはハノイからの移動です。
そもそも現地では知り合いのベトナム人の御親族にお世話になる予定で、現地で同行してくれるベトナム人とその知り合いの日本人との三人(恐らくは)+現地のベトナム人女性によるガイドで旅をする事になると思います。若い人達は英語もそれなりに通じるという噂ですのであまり心配はしていません。
それに、飯を食べて水分を補給出来てトイレを見つけられて二本足で移動さえできれば特に大きな問題は無い筈。現地についてしまえばバイクに乗って移動するらしいので、先ずはヘルメットを購入して行動しましょうとの事です。とは言えYouTubeで見る限りは路上の交通動態はほぼカオスの様ですので、慣れるのはちょっとコツが要りそうですね。何時もの様に郷に入っては郷に従え方式で行きたいと思います。
基本的に鹿児島よりも南には行った事の無い私なので「どうなる事やら」という感じですが、現地は到着時前後で25℃程度。雨がちの季節でしょうから、この前ワークマンで購入したレインコートを購入して移動したいと思います。
ちょっと気になったのはマラリアの存在ですが、観光客が普通に行くような所ではマラリアは気にしなくて良いという情報でしたので、取り敢えずは安心しています。あとは水の心配ですけど、これはどうなんでしょうね。出発までにいろいろと調べることはありそうです。
行ったら行ったで朝から晩まで美味いものを喰い尽くそうと思っていますが、現地ではキャッシュがまだまだ優勢らしいので現金の持ち歩きは大事なんでしょうね。近づく旅に備えていろいろと情報を入力していこうと思います。
2025年12月11日木曜日
納税者意識を高めるような税制を
今年も終わりが近づいてきました。
今年もふるさと納税を通して年末を実感できるかなと思っていたのですが、10月でポイントを意識して色々なものを既にオーダーし尽くしているので今年のふるさと納税は個人的にはもう終了しています。
こういう時に思い出すのはアメリカにいた時の納税の事。日頃からGoodWillとかにチョコチョコ寄付していた物品を納税前に集計していたりしていた事。実際こういう行為が納税者としての意識を醸成してくれます。
更には納税の季節になるとありとあらゆる機関から「是非我が施設へ」という感じのアピールがありますので、それらを意識しながら一か月程度選ぶ事になります。自分の子供の行っている学校、お世話になっている施設、頑張ってほしい機関などを見定めながらの納税時のdeduction先を選択。
自分の税金がより目標(ターゲット)を絞って使われるという納税者にとっての「あるべき納税システム」だといつも思っていました。自分の税金の全てを地方や国家の行政システムにかっさらわれた挙句、文句も言えずに使われてしまうよりも、本来全部抜き取られるところを取り返して自分の意志でそれを振り分けるという素晴らしさ。
ふるさと納税も悪くないシステムだとは思うんですけど、持ってるお金があるのなら、社会のなかの「より充実して欲しい」と思えるところに自分のお金を注ぎ込めるというのはより納税者としての参画感が大きいですよね。
何だか良く解らないままに国や地方自治体に税金を吸い取られて役人やバカ議員達が利権絡みで策定した種々のハコモノやゴミに金を使わずに済むというだけでも響きが素敵なのですが、実際はインフラ維持などにも税金は必要ですから、まあ全額云々等と言うのはよっぽどの篤志家の指定した寄付くらいしか無理なんでしょうが。
もっともっと国民を税金の使い方に目覚めさせ、納税者意識を醸成するために更なる税制改革を行っていきたい所なんですけど、納税の壁がたったの103万から一気に160までは来ましたけど、正直もっとベースを上げてやれ!って思います。
金持ちは金持ちで沢山儲ければ良いし、それを大量に「困っているところ」に篤志家として金を落とすシステムを作れば社会的にも尊敬もされて満足も得られ、その困っている人達にも感謝されその生活が改善される訳ですから素晴らしい事だと思うんですけどね。
皆を均等に貧乏に導くような税制では無くて、もっと納税者としての意識を覚醒させるようなシステムの新設どうなんでしょうか?
政府としては納税者意識を高めるような税制改革は出鱈目出来なくなるから不味いかな?w
2025年12月10日水曜日
妄想の世界で生きる患者さん
Labels:
医療
私が以前から糖尿病でケアを続けている50代男性の患者さんが居ます。
この人はなかなか頑固なところがあって、名古屋市役所の生活保護課の人のアシストも、ケアマネージャーも、病院の支援員も、私自身もケアを差し出す手を跳ね除けられています。私の病院のソーシャル・ワーカーも必死でリーチしているのですが、各種の妄想と独自の判断で各種のアシストから逃れ続けています。
糖尿のコントロールも入院中はバッチリで容易にコントロールできていたのですが、一人暮らしに戻ると非常に不潔な生活で、家はゴミ屋敷かつ風呂には一か月以上入らない等と言うのはごく普通の様です。
しかも、家に行って手助けをしてくれている訪問看護師の女性に対しては良い仲になって婚約したというような妄想に憑りつかれてしまっておりまして、修正のしようもありません。また、自分の糖尿病は既に治っており、これは他の友達に聞いて貰えばわかる事!等と言う様なお話をワーカーさん相手に電話越しにされるようです。
また、深刻なのは薬をのむことによってかえって悪くなるので糖尿のお薬も精神科の処方薬も要りません!と服薬拒否。orz
これに対して、私は精神科医からのアプローチを求めて種々相談をするのですが、実はこの患者さんの担当者になっている精神科医が正真正銘のデモシカ精神科医で、院内の評判は最悪。素人の私からみても、この処方は無いでしょうよ…というような処方を出してくるんで治るもんも治らないと私は思っています。そういう意味では患者さんの言っている事も半分は当たっているのかもしれませんが、糖尿の治療に関しては少なくとも当たっておりません。
主治医のスイッチを心の底から願っているのですが、病院に勤めているとそれは実際容易な事ではありません。それでも何とかしてこれを達成していかなければなりません。
でなければ、この患者さんは一年持たないと思っています。絶対に何とかしないといけません。
2025年12月9日火曜日
軽トラがアメリカに?
最近のYouTubeを視ているとアメリカに輸入された軽トラのビデオが沢山出て来ます。
一部のマニアには熱狂的に支持されていたのは周知の事実だったのですが、25年ルールという環境規制に合致しない車でもいわゆるクラシック・カーとしてそれらを保護するという名目で輸入しても良いと良いものです。
それを使って日本から軽トラの古いのを輸入したり、登録はせずに自分の農場や牧場内だけで走らせているような人も居るようです。
ところが今回日本を訪れたトランプが「とても小さくて、とてもキュートだ」と訪問時の軽自動車目撃談を語り、アメリカ国内でのとても小さな車の生産を承認したいと発言、低価格で燃費効率に優れるとして、「まさに驚異的だ。 すぐに生産を開始せよ」と言ったみたいなんですね。
もしこれが本当だとすると、日本の軽自動車製作を行っている会社がアメリカに行って「本当に作製し始めたら」大変な市場になると思います。しかし、問題はそんなに簡単では無いと思います。
まず初めにあのデカいトラックが高速で走り回る国で軽自動車は物理法則的に「危なすぎる」ということ。更にそういう状況であちらの国の保険会社がそういう危険性を帯びた車に対して喜んで保険をかける事を是とするでしょうか?そして実際に軽自動車、軽トラがアメリカで事故を起こす事で人が死に始めるような事が起きてきたら…。
製造会社がどこであろうと、集団訴訟になりそうな気がするんですよね。そうなると、得られた利益を一気に吹き飛ばすような「懲罰的罰金」みたいなものが科されるような気がします。
というわけで、恐らくはコッソリ~という感じで今後も日本から古い軽自動車は輸入され続けるのでしょうが、大きな市場にはならないと思うんですよね。
と言いながらも、私自身はキャンプ場に行く時の標準車として古いダイハツあたりの軽トラックって凄く魅力的に見えるんですよね。でも衝突したら命が危ないし…。選択肢としてはね~(^^;)
妄想の時間は楽しいものです。w
2025年12月8日月曜日
NTTドコモのアプリはホンマにいつも最低w
毎回思うのですが、ドコモのウェブ・サービスは本当にレベルが低いです。
電話でのサポートの人は基本的に丁寧かつ親切でいろいろな事に細かく対応してくれますが、それもサポートの人の知識量に依ります。
前回もちょろっと書きましたが、今回は自分が契約しているahamoの回線の契約の事で大変な目に遭いました。以下のお話は一時間に亘る戦いの一部を掻い摘んで書いてみたものですが、何というかね…もう、これだけの事で大変ですよ~という実例です。
先ず大きな問題は、長女の電話回線を新規契約した時に始まりました。実は全ての回線は新規に契約した長女のものを入れると、田舎の親父の分もありますので5回線。それを全部私が払っているんですが、何故か私がその全回線の代表者として登録されていないというお話。以前は私が登録代表者となっていたのですが、どこかで誰かが変えたみたいで、何も出来ないようになっていました。何故か代表者はうちの嫁さん。w
そこでドコモに長い時間かけて電話をしてその事を話すと、チャットを使えという指示。先ずは嫁さん自身がアクションをとってウェブで作業してくださいとチャットで作業を進めてそこが先ず解決。
更に娘の初期契約は最初から私の持っているアハモには出来ませんでしたので、そこを解決するために今度はウェブ内で何とか解決しようとしましたが、どこにも回線を寄せて私の傘下に娘の契約番号を寄せる方法はありませんでした。とりあえず、まあこれに前後して私のサイトからもう一度全体を眺め直したところ今度は娘の番号も私の傘下に。何だかもう謎の塊です。^^
最後の仕事として。娘の番号をアハモに変えようというところで電話を151に掛けると「奇跡的に」繋がりました。そこにあらわれた親切な担当者の男性と傍にいた長女と三人で50分以上格闘し、一歩一歩最終回答に近づこうとしたのですが、これが鬼のように長いステップで担当の方も平謝りしながら進めていきますし、私は私で申し訳ないと感じること頻り。
結局、娘が3種類の新しいドコモのソフトをインストールしながら、PCのブラウザとiPhoneのアプリの間を行ったり来たりする事50分。結局明日、長女自身がインストールしたアプリ側からアクセスして全てをやり直す事で「できそう」という所まできて担当の方に謝意を表して一旦終了となりました。
それにしても、NTTのインターフェースに対する取り組みは昭和かよ?というレベル。何をどうしたらこんな全く理解できないような低レベル・マニュアルのようになるんでしょうか。w まあ、日本の企業は昔からマニュアル作成が下手と言われていますが、その伝統は令和の現在も変わっていないようです。
最後にお兄さんが一言「いえ、実は私も自分の電話をahamoに変更する時に地獄を見ましたので、お客様のお気持ちは良く解ります。ドコモのアプリを14種類入れていろいろと勉強もしないといけないんです」と言って慰めて下さったのが唯一の救いでした。
親方日の丸の電電公社体質は変わってませんね。orz
2025年12月7日日曜日
実験的キャンピングを行ってきました
Labels:
日常
結局、昨日の気象庁の降雪予測を見直す度に雪は降りそうもないという事が理解できたので、設楽町の方へ突入する事としました。
結局、今回はデカい電動チェインソーを使った直径1メートル弱の丸太切りトライアルなどをしながら学び直しをさせて頂きました。やはり小型のものとは使い方も使い勝手もちょっと違っていて、このサイズ位なると1メートルくらいまでは慣れれば切れる事を学びました。
更にはマシンでのデッカイ丸太の薪割りも体験できました。なんかマシンの力、油圧の力の物凄さを体験できる個人的には大きな驚きのイベントでした。メリメリッという音をたてながらめり込んでいく大きな鋼鉄の刃が、節があろうとなかろうと、大きな丸太に割れ目を入れていく様はシンプルにPOWER!という言葉が浮かび上がりました。
さて、この闇の中の一人キャンプサイトに、ここの持ち主を紹介してくれたゲーム仲間がやって来てくれました。闇から浮かび上がって近づいてくる車のライトが停まったところでおもむろに出てきたその友人は「キャンプメシは今日はやめてラーメン食いに行きましょう」との一言。
リヤゲートにガッチリと荷物を積み込み済の自分の車を転がして設楽の方へとグリーンロードを一直線に東へ!移動途中の殆どで雪は見当たりませんでしたが、山の中へ入ってくねくねとした道を昇るころになると山の斜面の陰の部分には3日前の水曜日に積もった雪の名残りが見え始めました
道の上もほとんど雪などは観測されず、あるとしても影の多い道の橋のかかった部分のコンクリート程度に雪が見えるだけでした。
目的地に着くと、別荘のオーナーが待って下さっており今日は山の裏は雪がたくさん残っているから薪関連の仕事に集中しましょう。後は焚火で遊びましょうと言われました。裏山に行ってみると写真のような感じで雪で化粧されていました。
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| これらは針葉樹の薪ですね |
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| これはキャンプした側の山を越えた反対側の写真です |
元来たロッジの場所に戻ってこれらの巨大薪?(丸太)を使っての焚火開始。その後に道具置き場の見学やテントの設営などをしました。整然と並べられた小屋の中には種々のマシンや小道具が整然と並べられ、ロッジの持ち主の性格がわかるような整えられ方がされていました。
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| 5台のチェインソー持ちです |
| ブッシュクラフトが出来る未来に向けて準備したナイフ群 |
夕方も5時になるくらいにはとっぷりと日が暮れるという感じになって来て、山の闇の到来の速さに改めて驚くばかりです。わかっていても速く、暗い。暗くなる頃にロッジの持ち主も帰宅され、いよいよ私も一人きりです。周囲数キロ周りは誰も居らず、というのは実際にはキャンプ場でもなかなか無いことであって、ここには家が周囲にあっても人は住んでいない限界超え集落ですから何が起きても私が一人で対応せざるを得ないわけです。
そういう意味でもいろいろと楽しいわけですが、ロッジの中にあるものは一切使わず淡々と生活するというのはなかなか良いものです。(いざというときは逃げ込める場所にも早変わりしますので!)
一人でゴソゴソといろいろな準備をしつつ焚き火を絶やさないように燃やし続けました。明るかったときには余り気が付かなかった丸太の爆ぜる音が漆黒の闇の中に響きます。体が熱くならない位置に座ってじっと炎の揺らぎを見つめている時間は不思議で幸せな時間です。
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| ロッジの端っこに実験的に立てた自分のワンポール・テント。 |
家族や嫁さんには大変申し訳ないけれど、一人の時間は本当に貴重ですね。
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| 幻想的な「どでかい」ファイヤ |
まあ、私もスパゲティを茹でて食べて終わりくらいの心づもりでしたから、ここは二つ返事で了承。山道を走っているとカモシカが飛び出してきたあとそのまま走り去っていきました。
どんぐりの里の脇にあるラーメン屋に入ってにんにくチャーハンとラーメンを食べている時に友人がそこの女将さんに「ここら辺は熊出ますか?」というド直球の質問をしたところ、「出るって聞きますね」というシンプルな回答。私と友人は苦笑いしながら「ほー」と言って相づちをうちました。w
「おたくさん達この辺り?」と聞かれましたので、ちょっと北の方でキャンプしていることを話すと、微妙な顔をされました。ま、当然ですが。
店を出て帰り道に二人でそのことに関していろいろと話しをしながら戻っていきましたが、やっぱり熊を見たら部屋に一目散かな…なんていう話をしながらログハウスに到着。
その後も彼は仕事の後で疲れているはずなのに、数時間も私と一緒に焚き火の前でいろいろな話をしてくれて宵闇の時間を付き合ってくれました。何だか人間として一段落別の世界に入るアップグレードができたように感じたのは私の思い過ごしだったのでしょうか。そして彼も10時頃には闇の中を帰宅していきました。
大量の新規ギヤも確かめられたし、使っている道具も何度も使ううちにその「使用時のコツ」が飲み込めてきました。今回も収穫の多いキャンプでした。
明日の朝から始まる当直に備えて、時折交じる野生動物の声と焚き火の爆ぜる音以外は何もない場所でなるべく早く寝ることにしました。
2025年12月6日土曜日
今年最初の病院の忘年会
昨夜は当院のある病棟の忘年会でした。
こういった病棟での飲み会というのは基本的にパターンがあって、まずは部長挨拶、次に乾杯の音頭をだしたあとで少しばかり食事出しが始まって一旦寒暖。それからクイズやミニゲームをしたらビンゴ大会。その勝ち順によって、準備されている景品を一つずつ選んで持って行くという感じでしょうか。
なんだかこの感じの流れが鉄板で、毎年どこの病棟でも多かれ少なかれこの流れに沿って時間が過ぎていきます。まあ、バリエーションはありますが。
私は何故か知らんのですが、ビンゴゲームは良く一番になってしまいます。こんなことで運を使いたくも無いんですが、去年なんかは6回くらい番号を呼ばれただけでビンゴに勝ってしまい、周りの人間から疑惑の目で見られてしまいました。w
では今年はというと今年も勝ってしまいました。望まないんですけど、無欲の勝利とでも言うべきでしょうか?今回も結構手数はかかったんですが、周りでリーチ、リーチという声がかかり続ける中私のはそれほど順調に穴が空くわけでもなく、私自身も周りの人間と駄弁りながらつらつらと眺めつつという感じでやっているうちにあれよあれよとリーチからビンゴ。
周囲から「えーっ」という再びの疑惑とやっかみの声を背にプレゼント選びへ。プレゼントの山の中から選んだのは箱の形と重さから「これはウイスキーだ!」と思えた箱を1つ掴んで自分の席へと戻りました。(家に帰って開けて判明したのはこれは48個入りの)
最後に副院長からのシンプルな散会の言葉があって家路につきましたが一人頼まれて一人の放射線科の人間を一社の地下鉄入口まで送ってあげたあと、もう一度病院に戻っていつも置いているキャンプ用品を全て見直して荷物をミニマイズした状況で「明日行う可能性のある」キャンプへの準備を終了させ、車のリヤゲートにすべてを積み込んでから家路につきました。
家に着いて先ずしたことは気象庁の発表する降雪情報。夕方の時点で見たキャンプサイトは降雪の可能性が高くしかも5センチ程度は積もるかも?というものでした。その時は明日はアカンな!と思っていたんですが、忘年会の途中でチェックをしていたら夕方までとは情報が変わりギリギリ降らなさそう!となっていましたので、これは準備だけはしておこうという事で詰め込むだけは詰め込んだのでした。
明日の朝の予報を最終的に確認して全てを決断しようと思います。
2025年12月5日金曜日
有名人がコッソリやって来るお店
昨夜、再びゲームの仲間で「あのお店」に集いました。
基本的に次から次に有名人が来ているお店なのですが、あんまり言ってはいけない雰囲気だったので、今回も誰が来たていたかを掲示している大量の色紙をカメラで収めてきたんですけど、ビッグネームが綺羅星の様に並んでいるのを見て改めて驚きました。
問わず語りでお話を伺っていたところ、やはり超がつくような有名人が名古屋にコンサートで来るような時には店のオーナーにさえ誰が来るのか告知はないらしく、やって来て初めてそのタレントが誰だか判るという話でした。
さて、今回は横浜から来てくださったある女性ゲーマーが混ざってくださってのミニ忘年会となりました。大学生の息子さんをお持ちとのことでしたが、その息子さんがお母さんを悩ませるような面白い人生の中での希望を持たれているとのことでしたが、その内容を聞いて我々二人は腹を抱えて笑ってしまいました。曰く「どうすればヒモとして生きていけるのか」という話を真剣に悩んでいるとの事。
我々はそれを聞いてコメントのしようもなく、ただただ大笑い。お母さんは息子さんのそういう発言に「育て方を間違えた」みたいなことを言われていたんですが、我々としてはそんなことは全く心配していないということをお話ししました。w
その後、その女性には「お肌に良い」とぃう噂のタテガミの部分を食べていただき、美味しいお酒を飲みながらいろんな話に花が咲きました。
私はというと「十四代本丸秘伝玉返し」という有名な日本酒を頂きました。眼の前で封を切られたそのお酒は一合で7,000円!恐る恐るですが、勧められるままに三杯も頂きました。毎度飲んで思うのが日本酒と言いながらも味は本当に芳醇なワインそのもの。こんな日本酒があるんだという感覚が頭から離れません。
兎にも角にも寒空のもと集まった三人の成人達でゲームを通じた集合に感謝でした。彼女の仕事もこれまたインターナショナルなお仕事だったのですが、このゲームしてる日本人ってなんか「おーっ」というような仕事してる人が多い印象ですね。
最後はまた別の人間達も含めた再開を約束してお別れしました。それにしても寒かった…。
2025年12月4日木曜日
年賀状仕舞いを考えています
今朝、嫁さんとボソッと話題になったことがありました。
それは年賀状仕舞いをどうするかという事。十年ほど前から終活の一環としてこの「年賀状」を今年を以て終わりにするというものが私のところにも混じりだしたのがそういったことを意識し始めた最初でした。
去年の年賀状の中にも若い世代から「今年で仕舞います」というメッセージが添付されたものが増え始め、特に終活などとは関係なく年賀状というシステム自体がもう終わりに近づいているんだなと強く実感した年でもありました。
ネットで年賀状の配給枚数を調べてみると2004年から2024年の20年間の変化をテーブルでま見ると以下のようになっており、2008年と2009年を除いて毎年減少、2024年は2003年のピークと比べると約3分の1にまで減少しています。
また、2025年用の年賀はがきの当初発行枚数は前年比25%減の10億7,000万枚とされ、前年からの減少率は過去最大。これは年賀状離れが加速していることを雄弁に物語る結果です。さらに別のサイトでの統計を見ると2025年の元旦に配達された年賀郵便物数は4億9100万通で、前年比66.0%の減少率となり、過去5年間で最大の減少率となっていて、時代が進めば進むほどもう年賀状というものは少なくとも紙媒体としては配られないものとなりつつある事が容易に理解できます。
こういった中でも恐らくは年賀状を出し続けるという企業等は残るでしょうし、個人のレベルでも毎年年賀状を認める筆まめな方々も当然残り続けるでしょう。
しかしながら、恐らくは年賀状を受け取ることも出すことも「当たり前」ではなくなり、電子的なやり取りでの「あけおめ」が今世紀の普通になるでしょうね。結婚式で「電報」を使うことで電報が残っているような感じになるのかな。NTTも電報を近々廃止することを去年の段階で発表していますからね。仕方ないです、これだけ種々のメッセージの交換方法が多様化していけば。
表の住所氏名のみならず、裏の文面も絵も全て印刷されたものになってしまっているような味も素っ気もない人工的な年賀状なんて特に嬉しくもなんとも無いですからね。w
2025年12月3日水曜日
忘年会のシーズン開始
ありとあらゆるところから忘年会のお呼びがかかります。
仕事関連が多いのですが、パーソナルなものも結構引きが強い今年です。巨大なコロナ禍が過ぎ去って、こういう行事が戻ってきましたが、まだまだこの時期にはインフルや新型コロナの感染者が減る気配もない状況。それでも皆その件に関しては忘れ去ったかのように宴会を開きます。私はこの事自体は個人的には良い事だと思っています。
ただし、最近の世論調査などでは若手は仕事に関連した人間との仕事場の外での付き合いには及び腰との当然のような結果が出ているようで、1/3程度の人間しかそういうことをしたくないとのこと。逆に個人同士、気のあった仲間同士の出会いは7割の人達が行きたいという。あまりにも今風のアンケートの当然の帰結という感じで、感想は「そりゃそうだ」程度のもの。
さて、こういった忘年会に対する医師の一般的な反応なんですが、医師の参加するネットのフォーラムを読んでみると、当然のように種々雑多。呼んでもらえるだけ有り難いからなるべく参加するというものもあれば、コロナ禍以降は一切その手の宴会を断り続けてせいせいしているなんて言うのももちろんあります。そもそも歳が上がってきて友達付き合いが億劫になってきている人達の間ではそういう集まりは学会を含めて参加もしたくないなんて言う人達も多いようです。
毎年の忘年会を見ていて思うのですが、人口が減って若者も減って国の活力が失われていく中でこういった忘年会というものも確実に活気を失っていく様子が手に取るようにわかります。そもそも我々の病院でも医師だけが集まる医局忘年会はコロナ禍以降音沙汰自体がなくなりました。
病棟の看護師さんや多職種の人々が集まる忘年会も、参加した人達は若手も含めてなんだか大人しくて我々が以前見ていたような出鱈目な忘年会は無くなりました。まあ、コンプライアンス遵守の掛け声の中では平成の頃のような飲み会したら「即アウト」でしょうから仕方ないですね。
時の移り変わりに連れ、恐らくは公的な忘年会という行事自体が年賀状のように消えていくのではないかと感じるこの頃です。
2025年12月2日火曜日
治せる!だけど手術はしないという選択
ある御高齢の患者さんにあるタイプの消化器の癌が見つかりました。
具体的には明かせませんが、別の内科の先生がフォローされている時に急速に鉄欠乏性貧血が進行してきた上に黒色便が目立つという事で「これは…」という事で上部消化管にファイバースコープを挿入したところ残念な変化が直ちに発見されました。
ところがこの方には著しい認知機能の低下があって、娘さんにお話しした時も「もしかするとオペ自体は出来ても外科の先生のご判断は患者さんはオペには向かないと言われる可能性が高いです」というネガティブに判断される可能性にはじめから言及していたんですが、大学の消化器外科先生の判断はやはりその通りでした。
クラスもまだIIで、5年生存率は状況にもよりますが7割弱程度はある筈です。しかしながら、この「オペ適応」を判断する一覧表があって、それによるとやはりオペは行わない方向に妥当性があるという判断が示されたとの事で、娘さんも最終的には完全に納得されて放射線照射による緩和ケアのみ行って帰院して来られました。
今回はこのような状況でしたが、今後は恐らくこのような判断で認知症の高齢患者さんは「積極的な治療」は行わないという事が一次的なコンセンサスとなる時が来たのでしょうね。
親父や母親と話しても「こんなに長生きするとは思っとらんかった!w」という様な感じの話が多く、充分生きたからもう余計な事は絶対するなよ!と念を押される始末。
まあ、厚労省も実際に保険点数の誘導で国家の医療をこちらへこちらへと寄せて行っています。恐らくこれからは民間病院はオペをやってもまともな点数は取れず、外科医は更に大幅に減り、緊急のオペが出来る人はずっと絞られ、更に大きな負担が個人にかかって来るのでしょうが、実際はそれが保険点数で報われないどころか労働基準法でそういうオペの時間は存在してはいけないみたいな世界が「必ず」やってくると感じています。
そしてますます外科医は淡々と高齢化し減っていくという様になるのでしょう。危なかったらすぐにオペを検討して貰える時代はもうこれからは消えていく事必定、というかただの現実になる時代です。
民間医療保険を契約できる層とそうでない層には医療格差が登場してくる事でしょう。
2025年12月1日月曜日
人生初の体験を幾つかしました(後編)
そういった部屋を見せて貰った後でいよいよ山へ入って行きました。
何をするかと云うと、いわゆる「お婆さんは川へ洗濯に、お爺さんは山へ芝刈りに~」の死ばかりという奴。結局薪の原料になる木々の枝打ちとその掃除です。
私達三人のオッサン達はログハウスの裏山にチェーン・ソーを二つ持って上がりました。急な山の斜面には既に切り倒した三本の杉の木が寝転がっていたのですが、その幹には大量の枝が未だ緑色の葉を蓄えたままでドサッとついています。
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| これはほぼ枝打ちを終えた後です |
チェーン・ソーの種類やメンテの方法、ガソリンの注入とオイルの性質なども細かく教えて頂きました。そして作業には必ず二台のチェーン・ソーを持って行かないとドツボに嵌まるという事。要するに幹に噛み込んだ時に刃が取れなくなるのをレスキューするのはもう一台のチェーン・ソーなのだという事でした。
作業の中で最も体力を使ったのは枝打ち自身ではなくて、枝を持っての斜面の移動でした。これを繰り返すと脚がヘロヘロ。w それでも工夫を凝らして結局この斜面の上下動を「可能な限り」しないで済むように作業は上から行って下へ進行するという事に最大の注力を行いました。
最終的には作業に慣れて結構な速度で奇麗になり社長さんにも満足して頂けたようでした。
その後、どんぐりの里という道の駅の麓にある稲武の道沿いにある小さなお寿司屋にご招待いただきトンカツとビールを頂きました。更に近くの「昭和感100%」のお店で、名物のコロッケとミンチ・カツを家族分お土産に購入。
更に戻ったログ・ハウスでは薪割りの講習を受けて己が持ってきた小型の斧では全く歯が立たない巨大な薪をどのような斧でどうやって割っていくのか、注意とコツを学びました。
なんだか今日一日で野で生きていく上での知恵が大きく前進したと感じたのは私が未だ素人だからなんでしょうね。w
結局、夕方までいろいろと人生初の体験をさせて貰いましたが、本当にいろいろと話が弾み馬鹿話でゲラゲラと笑って一日が過ぎていきました。
最後はアルコールが入った事もあり、今日私自身が運転してきた車を知人に運転してもらいその知人の専門分野に関するいろいろな専門性の高い話に耳を傾け質問し、また耳を傾け質問しを繰り返しながら秋の美しい山道を家路につきました。
また近々の再会を約して今日の行動を終わりましたが、意外にも私は体が痛くなったりすることはありませんでした。謎ですが。^^
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