2025年12月12日金曜日

ベトナム旅行が近づいてきました

何年も前から行こう行こうと思っていたタイやベトナム旅行などの計画を遂に実行する時期が近づいてきました。

今回はベトナム。

今年の年末は当直を入れず、年休を集中的に使うことでこの希望を叶える事にしました。思っているばかりでは何も進まないのは現実の種々の出来事と同じですからここは一つ迷いなく前進しましょうという事でベトナム旅行を企画しました。

とは言っても、行くのは到着がホーチミンですが、その後はダナンと古都ホイアンがメイン。帰りはハノイからの移動です。

そもそも現地では知り合いのベトナム人の御親族にお世話になる予定で、現地で同行してくれるベトナム人とその知り合いの日本人との三人(恐らくは)+現地のベトナム人女性によるガイドで旅をする事になると思います。若い人達は英語もそれなりに通じるという噂ですのであまり心配はしていません。

それに、飯を食べて水分を補給出来てトイレを見つけられて二本足で移動さえできれば特に大きな問題は無い筈。現地についてしまえばバイクに乗って移動するらしいので、先ずはヘルメットを購入して行動しましょうとの事です。とは言えYouTubeで見る限りは路上の交通動態はほぼカオスの様ですので、慣れるのはちょっとコツが要りそうですね。何時もの様に郷に入っては郷に従え方式で行きたいと思います。

基本的に鹿児島よりも南には行った事の無い私なので「どうなる事やら」という感じですが、現地は到着時前後で25℃程度。雨がちの季節でしょうから、この前ワークマンで購入したレインコートを購入して移動したいと思います。

ちょっと気になったのはマラリアの存在ですが、観光客が普通に行くような所ではマラリアは気にしなくて良いという情報でしたので、取り敢えずは安心しています。あとは水の心配ですけど、これはどうなんでしょうね。出発までにいろいろと調べることはありそうです。

行ったら行ったで朝から晩まで美味いものを喰い尽くそうと思っていますが、現地ではキャッシュがまだまだ優勢らしいので現金の持ち歩きは大事なんでしょうね。近づく旅に備えていろいろと情報を入力していこうと思います。

2025年12月11日木曜日

納税者意識を高めるような税制を

今年も終わりが近づいてきました。

今年もふるさと納税を通して年末を実感できるかなと思っていたのですが、10月でポイントを意識して色々なものを既にオーダーし尽くしているので今年のふるさと納税は個人的にはもう終了しています。

こういう時に思い出すのはアメリカにいた時の納税の事。日頃からGoodWillとかにチョコチョコ寄付していた物品を納税前に集計していたりしていた事。実際こういう行為が納税者としての意識を醸成してくれます。

更には納税の季節になるとありとあらゆる機関から「是非我が施設へ」という感じのアピールがありますので、それらを意識しながら一か月程度選ぶ事になります。自分の子供の行っている学校、お世話になっている施設、頑張ってほしい機関などを見定めながらの納税時のdeduction先を選択。

自分の税金がより目標(ターゲット)を絞って使われるという納税者にとっての「あるべき納税システム」だといつも思っていました。自分の税金の全てを地方や国家の行政システムにかっさらわれた挙句、文句も言えずに使われてしまうよりも、本来全部抜き取られるところを取り返して自分の意志でそれを振り分けるという素晴らしさ。

ふるさと納税も悪くないシステムだとは思うんですけど、持ってるお金があるのなら、社会のなかの「より充実して欲しい」と思えるところに自分のお金を注ぎ込めるというのはより納税者としての参画感が大きいですよね。

何だか良く解らないままに国や地方自治体に税金を吸い取られて役人やバカ議員達が利権絡みで策定した種々のハコモノやゴミに金を使わずに済むというだけでも響きが素敵なのですが、実際はインフラ維持などにも税金は必要ですから、まあ全額云々等と言うのはよっぽどの篤志家の指定した寄付くらいしか無理なんでしょうが。

もっともっと国民を税金の使い方に目覚めさせ、納税者意識を醸成するために更なる税制改革を行っていきたい所なんですけど、納税の壁がたったの103万から一気に160までは来ましたけど、正直もっとベースを上げてやれ!って思います。

金持ちは金持ちで沢山儲ければ良いし、それを大量に「困っているところ」に篤志家として金を落とすシステムを作れば社会的にも尊敬もされて満足も得られ、その困っている人達にも感謝されその生活が改善される訳ですから素晴らしい事だと思うんですけどね。

皆を均等に貧乏に導くような税制では無くて、もっと納税者としての意識を覚醒させるようなシステムの新設どうなんでしょうか?

政府としては納税者意識を高めるような税制改革は出鱈目出来なくなるから不味いかな?w

2025年12月10日水曜日

妄想の世界で生きる患者さん

私が以前から糖尿病でケアを続けている50代男性の患者さんが居ます。

この人はなかなか頑固なところがあって、名古屋市役所の生活保護課の人のアシストも、ケアマネージャーも、病院の支援員も、私自身もケアを差し出す手を跳ね除けられています。私の病院のソーシャル・ワーカーも必死でリーチしているのですが、各種の妄想と独自の判断で各種のアシストから逃れ続けています。

糖尿のコントロールも入院中はバッチリで容易にコントロールできていたのですが、一人暮らしに戻ると非常に不潔な生活で、家はゴミ屋敷かつ風呂には一か月以上入らない等と言うのはごく普通の様です。

しかも、家に行って手助けをしてくれている訪問看護師の女性に対しては良い仲になって婚約したというような妄想に憑りつかれてしまっておりまして、修正のしようもありません。また、自分の糖尿病は既に治っており、これは他の友達に聞いて貰えばわかる事!等と言う様なお話をワーカーさん相手に電話越しにされるようです。

また、深刻なのは薬をのむことによってかえって悪くなるので糖尿のお薬も精神科の処方薬も要りません!と服薬拒否。orz

これに対して、私は精神科医からのアプローチを求めて種々相談をするのですが、実はこの患者さんの担当者になっている精神科医が正真正銘のデモシカ精神科医で、院内の評判は最悪。素人の私からみても、この処方は無いでしょうよ…というような処方を出してくるんで治るもんも治らないと私は思っています。そういう意味では患者さんの言っている事も半分は当たっているのかもしれませんが、糖尿の治療に関しては少なくとも当たっておりません。

主治医のスイッチを心の底から願っているのですが、病院に勤めているとそれは実際容易な事ではありません。それでも何とかしてこれを達成していかなければなりません。

でなければ、この患者さんは一年持たないと思っています。絶対に何とかしないといけません。

2025年12月9日火曜日

軽トラがアメリカに?

最近のYouTubeを視ているとアメリカに輸入された軽トラのビデオが沢山出て来ます。

一部のマニアには熱狂的に支持されていたのは周知の事実だったのですが、25年ルールという環境規制に合致しない車でもいわゆるクラシック・カーとしてそれらを保護するという名目で輸入しても良いと良いものです。

それを使って日本から軽トラの古いのを輸入したり、登録はせずに自分の農場や牧場内だけで走らせているような人も居るようです。

ところが今回日本を訪れたトランプが「とても小さくて、とてもキュートだ」と訪問時の軽自動車目撃談を語り、アメリカ国内でのとても小さな車の生産を承認したいと発言、低価格で燃費効率に優れるとして、「まさに驚異的だ。 すぐに生産を開始せよ」と言ったみたいなんですね。

もしこれが本当だとすると、日本の軽自動車製作を行っている会社がアメリカに行って「本当に作製し始めたら」大変な市場になると思います。しかし、問題はそんなに簡単では無いと思います。

まず初めにあのデカいトラックが高速で走り回る国で軽自動車は物理法則的に「危なすぎる」ということ。更にそういう状況であちらの国の保険会社がそういう危険性を帯びた車に対して喜んで保険をかける事を是とするでしょうか?そして実際に軽自動車、軽トラがアメリカで事故を起こす事で人が死に始めるような事が起きてきたら…。

製造会社がどこであろうと、集団訴訟になりそうな気がするんですよね。そうなると、得られた利益を一気に吹き飛ばすような「懲罰的罰金」みたいなものが科されるような気がします。

というわけで、恐らくはコッソリ~という感じで今後も日本から古い軽自動車は輸入され続けるのでしょうが、大きな市場にはならないと思うんですよね。

と言いながらも、私自身はキャンプ場に行く時の標準車として古いダイハツあたりの軽トラックって凄く魅力的に見えるんですよね。でも衝突したら命が危ないし…。選択肢としてはね~(^^;)

妄想の時間は楽しいものです。w

2025年12月8日月曜日

NTTドコモのアプリはホンマにいつも最低w  

毎回思うのですが、ドコモのウェブ・サービスは本当にレベルが低いです。

電話でのサポートの人は基本的に丁寧かつ親切でいろいろな事に細かく対応してくれますが、それもサポートの人の知識量に依ります。

前回もちょろっと書きましたが、今回は自分が契約しているahamoの回線の契約の事で大変な目に遭いました。以下のお話は一時間に亘る戦いの一部を掻い摘んで書いてみたものですが、何というかね…もう、これだけの事で大変ですよ~という実例です。

先ず大きな問題は、長女の電話回線を新規契約した時に始まりました。実は全ての回線は新規に契約した長女のものを入れると、田舎の親父の分もありますので5回線。それを全部私が払っているんですが、何故か私がその全回線の代表者として登録されていないというお話。以前は私が登録代表者となっていたのですが、どこかで誰かが変えたみたいで、何も出来ないようになっていました。何故か代表者はうちの嫁さん。w

そこでドコモに長い時間かけて電話をしてその事を話すと、チャットを使えという指示。先ずは嫁さん自身がアクションをとってウェブで作業してくださいとチャットで作業を進めてそこが先ず解決。

更に娘の初期契約は最初から私の持っているアハモには出来ませんでしたので、そこを解決するために今度はウェブ内で何とか解決しようとしましたが、どこにも回線を寄せて私の傘下に娘の契約番号を寄せる方法はありませんでした。とりあえず、まあこれに前後して私のサイトからもう一度全体を眺め直したところ今度は娘の番号も私の傘下に。何だかもう謎の塊です。^^

最後の仕事として。娘の番号をアハモに変えようというところで電話を151に掛けると「奇跡的に」繋がりました。そこにあらわれた親切な担当者の男性と傍にいた長女と三人で50分以上格闘し、一歩一歩最終回答に近づこうとしたのですが、これが鬼のように長いステップで担当の方も平謝りしながら進めていきますし、私は私で申し訳ないと感じること頻り。

結局、娘が3種類の新しいドコモのソフトをインストールしながら、PCのブラウザとiPhoneのアプリの間を行ったり来たりする事50分。結局明日、長女自身がインストールしたアプリ側からアクセスして全てをやり直す事で「できそう」という所まできて担当の方に謝意を表して一旦終了となりました。

それにしても、NTTのインターフェースに対する取り組みは昭和かよ?というレベル。何をどうしたらこんな全く理解できないような低レベル・マニュアルのようになるんでしょうか。w まあ、日本の企業は昔からマニュアル作成が下手と言われていますが、その伝統は令和の現在も変わっていないようです。

最後にお兄さんが一言「いえ、実は私も自分の電話をahamoに変更する時に地獄を見ましたので、お客様のお気持ちは良く解ります。ドコモのアプリを14種類入れていろいろと勉強もしないといけないんです」と言って慰めて下さったのが唯一の救いでした。

親方日の丸の電電公社体質は変わってませんね。orz

2025年12月7日日曜日

実験的キャンピングを行ってきました

結局、昨日の気象庁の降雪予測を見直す度に雪は降りそうもないという事が理解できたので、設楽町の方へ突入する事としました。

リヤゲートにガッチリと荷物を積み込み済の自分の車を転がして設楽の方へとグリーンロードを一直線に東へ!移動途中の殆どで雪は見当たりませんでしたが、山の中へ入ってくねくねとした道を昇るころになると山の斜面の陰の部分には3日前の水曜日に積もった雪の名残りが見え始めました

道の上もほとんど雪などは観測されず、あるとしても影の多い道の橋のかかった部分のコンクリート程度に雪が見えるだけでした。

目的地に着くと、別荘のオーナーが待って下さっており今日は山の裏は雪がたくさん残っているから薪関連の仕事に集中しましょう。後は焚火で遊びましょうと言われました。裏山に行ってみると写真のような感じで雪で化粧されていました。
これらは針葉樹の薪ですね

これはキャンプした側の山を越えた反対側の写真です
結局、今回はデカい電動チェインソーを使った直径1メートル弱の丸太切りトライアルなどをしながら学び直しをさせて頂きました。やはり小型のものとは使い方も使い勝手もちょっと違っていて、このサイズ位なると1メートルくらいまでは慣れれば切れる事を学びました。

元来たロッジの場所に戻ってこれらの巨大薪?(丸太)を使っての焚火開始。その後に道具置き場の見学やテントの設営などをしました。整然と並べられた小屋の中には種々のマシンや小道具が整然と並べられ、ロッジの持ち主の性格がわかるような整えられ方がされていました。
5台のチェインソー持ちです
ブッシュクラフトが出来る未来に向けて準備したナイフ群
更にはマシンでのデッカイ丸太の薪割りも体験できました。なんかマシンの力、油圧の力の物凄さを体験できる個人的には大きな驚きのイベントでした。メリメリッという音をたてながらめり込んでいく大きな鋼鉄の刃が、節があろうとなかろうと、大きな丸太に割れ目を入れていく様はシンプルにPOWER!という言葉が浮かび上がりました。
夕方も5時になるくらいにはとっぷりと日が暮れるという感じになって来て、山の闇の到来の速さに改めて驚くばかりです。わかっていても速く、暗い。暗くなる頃にロッジの持ち主も帰宅され、いよいよ私も一人きりです。周囲数キロ周りは誰も居らず、というのは実際にはキャンプ場でもなかなか無いことであって、ここには家が周囲にあっても人は住んでいない限界超え集落ですから何が起きても私が一人で対応せざるを得ないわけです。 

そういう意味でもいろいろと楽しいわけですが、ロッジの中にあるものは一切使わず淡々と生活するというのはなかなか良いものです。(いざというときは逃げ込める場所にも早変わりしますので!)
ロッジの端っこに実験的に立てた自分のワンポール・テント。
一人でゴソゴソといろいろな準備をしつつ焚き火を絶やさないように燃やし続けました。明るかったときには余り気が付かなかった丸太の爆ぜる音が漆黒の闇の中に響きます。体が熱くならない位置に座ってじっと炎の揺らぎを見つめている時間は不思議で幸せな時間です。

家族や嫁さんには大変申し訳ないけれど、一人の時間は本当に貴重ですね。    
幻想的な「どでかい」ファイヤ
さて、この闇の中の一人キャンプサイトに、ここの持ち主を紹介してくれたゲーム仲間がやって来てくれました。闇から浮かび上がって近づいてくる車のライトが停まったところでおもむろに出てきたその友人は「キャンプメシは今日はやめてラーメン食いに行きましょう」との一言。

まあ、私もスパゲティを茹でて食べて終わりくらいの心づもりでしたから、ここは二つ返事で了承。山道を走っているとカモシカが飛び出してきたあとそのまま走り去っていきました。

どんぐりの里の脇にあるラーメン屋に入ってにんにくチャーハンとラーメンを食べている時に友人がそこの女将さんに「ここら辺は熊出ますか?」というド直球の質問をしたところ、「出るって聞きますね」というシンプルな回答。私と友人は苦笑いしながら「ほー」と言って相づちをうちました。w

「おたくさん達この辺り?」と聞かれましたので、ちょっと北の方でキャンプしていることを話すと、微妙な顔をされました。ま、当然ですが。

店を出て帰り道に二人でそのことに関していろいろと話しをしながら戻っていきましたが、やっぱり熊を見たら部屋に一目散かな…なんていう話をしながらログハウスに到着。

その後も彼は仕事の後で疲れているはずなのに、数時間も私と一緒に焚き火の前でいろいろな話をしてくれて宵闇の時間を付き合ってくれました。何だか人間として一段落別の世界に入るアップグレードができたように感じたのは私の思い過ごしだったのでしょうか。そして彼も10時頃には闇の中を帰宅していきました。

大量の新規ギヤも確かめられたし、使っている道具も何度も使ううちにその「使用時のコツ」が飲み込めてきました。今回も収穫の多いキャンプでした。

明日の朝から始まる当直に備えて、時折交じる野生動物の声と焚き火の爆ぜる音以外は何もない場所でなるべく早く寝ることにしました。

2025年12月6日土曜日

今年最初の病院の忘年会

昨夜は当院のある病棟の忘年会でした。

こういった病棟での飲み会というのは基本的にパターンがあって、まずは部長挨拶、次に乾杯の音頭をだしたあとで少しばかり食事出しが始まって一旦寒暖。それからクイズやミニゲームをしたらビンゴ大会。その勝ち順によって、準備されている景品を一つずつ選んで持って行くという感じでしょうか。

なんだかこの感じの流れが鉄板で、毎年どこの病棟でも多かれ少なかれこの流れに沿って時間が過ぎていきます。まあ、バリエーションはありますが。

私は何故か知らんのですが、ビンゴゲームは良く一番になってしまいます。こんなことで運を使いたくも無いんですが、去年なんかは6回くらい番号を呼ばれただけでビンゴに勝ってしまい、周りの人間から疑惑の目で見られてしまいました。w

では今年はというと今年も勝ってしまいました。望まないんですけど、無欲の勝利とでも言うべきでしょうか?今回も結構手数はかかったんですが、周りでリーチ、リーチという声がかかり続ける中私のはそれほど順調に穴が空くわけでもなく、私自身も周りの人間と駄弁りながらつらつらと眺めつつという感じでやっているうちにあれよあれよとリーチからビンゴ。

周囲から「えーっ」という再びの疑惑とやっかみの声を背にプレゼント選びへ。プレゼントの山の中から選んだのは箱の形と重さから「これはウイスキーだ!」と思えた箱を1つ掴んで自分の席へと戻りました。(家に帰って開けて判明したのはこれは48個入りの)

最後に副院長からのシンプルな散会の言葉があって家路につきましたが一人頼まれて一人の放射線科の人間を一社の地下鉄入口まで送ってあげたあと、もう一度病院に戻っていつも置いているキャンプ用品を全て見直して荷物をミニマイズした状況で「明日行う可能性のある」キャンプへの準備を終了させ、車のリヤゲートにすべてを積み込んでから家路につきました。

家に着いて先ずしたことは気象庁の発表する降雪情報。夕方の時点で見たキャンプサイトは降雪の可能性が高くしかも5センチ程度は積もるかも?というものでした。その時は明日はアカンな!と思っていたんですが、忘年会の途中でチェックをしていたら夕方までとは情報が変わりギリギリ降らなさそう!となっていましたので、これは準備だけはしておこうという事で詰め込むだけは詰め込んだのでした。

明日の朝の予報を最終的に確認して全てを決断しようと思います。

2025年12月5日金曜日

有名人がコッソリやって来るお店

昨夜、再びゲームの仲間で「あのお店」に集いました。

基本的に次から次に有名人が来ているお店なのですが、あんまり言ってはいけない雰囲気だったので、今回も誰が来たていたかを掲示している大量の色紙をカメラで収めてきたんですけど、ビッグネームが綺羅星の様に並んでいるのを見て改めて驚きました。

問わず語りでお話を伺っていたところ、やはり超がつくような有名人が名古屋にコンサートで来るような時には店のオーナーにさえ誰が来るのか告知はないらしく、やって来て初めてそのタレントが誰だか判るという話でした。

さて、今回は横浜から来てくださったある女性ゲーマーが混ざってくださってのミニ忘年会となりました。大学生の息子さんをお持ちとのことでしたが、その息子さんがお母さんを悩ませるような面白い人生の中での希望を持たれているとのことでしたが、その内容を聞いて我々二人は腹を抱えて笑ってしまいました。曰く「どうすればヒモとして生きていけるのか」という話を真剣に悩んでいるとの事。

我々はそれを聞いてコメントのしようもなく、ただただ大笑い。お母さんは息子さんのそういう発言に「育て方を間違えた」みたいなことを言われていたんですが、我々としてはそんなことは全く心配していないということをお話ししました。w

その後、その女性には「お肌に良い」とぃう噂のタテガミの部分を食べていただき、美味しいお酒を飲みながらいろんな話に花が咲きました。

私はというと「十四代本丸秘伝玉返し」という有名な日本酒を頂きました。眼の前で封を切られたそのお酒は一合で7,000円!恐る恐るですが、勧められるままに三杯も頂きました。毎度飲んで思うのが日本酒と言いながらも味は本当に芳醇なワインそのもの。こんな日本酒があるんだという感覚が頭から離れません。

兎にも角にも寒空のもと集まった三人の成人達でゲームを通じた集合に感謝でした。彼女の仕事もこれまたインターナショナルなお仕事だったのですが、このゲームしてる日本人ってなんか「おーっ」というような仕事してる人が多い印象ですね。

最後はまた別の人間達も含めた再開を約束してお別れしました。それにしても寒かった…。



2025年12月4日木曜日

年賀状仕舞いを考えています

今朝、嫁さんとボソッと話題になったことがありました。

それは年賀状仕舞いをどうするかという事。十年ほど前から終活の一環としてこの「年賀状」を今年を以て終わりにするというものが私のところにも混じりだしたのがそういったことを意識し始めた最初でした。

去年の年賀状の中にも若い世代から「今年で仕舞います」というメッセージが添付されたものが増え始め、特に終活などとは関係なく年賀状というシステム自体がもう終わりに近づいているんだなと強く実感した年でもありました。

ネットで年賀状の配給枚数を調べてみると2004年から2024年の20年間の変化をテーブルでま見ると以下のようになっており、2008年と2009年を除いて毎年減少、2024年は2003年のピークと比べると約3分の1にまで減少しています。
また、2025年用の年賀はがきの当初発行枚数は前年比25%減の10億7,000万枚とされ、前年からの減少率は過去最大。これは年賀状離れが加速していることを雄弁に物語る結果です。さらに別のサイトでの統計を見ると2025年の元旦に配達された年賀郵便物数は4億9100万通で、前年比66.0%の減少率となり、過去5年間で最大の減少率となっていて、時代が進めば進むほどもう年賀状というものは少なくとも紙媒体としては配られないものとなりつつある事が容易に理解できます。

こういった中でも恐らくは年賀状を出し続けるという企業等は残るでしょうし、個人のレベルでも毎年年賀状を認める筆まめな方々も当然残り続けるでしょう。

しかしながら、恐らくは年賀状を受け取ることも出すことも「当たり前」ではなくなり、電子的なやり取りでの「あけおめ」が今世紀の普通になるでしょうね。結婚式で「電報」を使うことで電報が残っているような感じになるのかな。NTTも電報を近々廃止することを去年の段階で発表していますからね。仕方ないです、これだけ種々のメッセージの交換方法が多様化していけば。

表の住所氏名のみならず、裏の文面も絵も全て印刷されたものになってしまっているような味も素っ気もない人工的な年賀状なんて特に嬉しくもなんとも無いですからね。w

2025年12月3日水曜日

忘年会のシーズン開始 

ありとあらゆるところから忘年会のお呼びがかかります。

仕事関連が多いのですが、パーソナルなものも結構引きが強い今年です。巨大なコロナ禍が過ぎ去って、こういう行事が戻ってきましたが、まだまだこの時期にはインフルや新型コロナの感染者が減る気配もない状況。それでも皆その件に関しては忘れ去ったかのように宴会を開きます。私はこの事自体は個人的には良い事だと思っています。

ただし、最近の世論調査などでは若手は仕事に関連した人間との仕事場の外での付き合いには及び腰との当然のような結果が出ているようで、1/3程度の人間しかそういうことをしたくないとのこと。逆に個人同士、気のあった仲間同士の出会いは7割の人達が行きたいという。あまりにも今風のアンケートの当然の帰結という感じで、感想は「そりゃそうだ」程度のもの。

さて、こういった忘年会に対する医師の一般的な反応なんですが、医師の参加するネットのフォーラムを読んでみると、当然のように種々雑多。呼んでもらえるだけ有り難いからなるべく参加するというものもあれば、コロナ禍以降は一切その手の宴会を断り続けてせいせいしているなんて言うのももちろんあります。そもそも歳が上がってきて友達付き合いが億劫になってきている人達の間ではそういう集まりは学会を含めて参加もしたくないなんて言う人達も多いようです。

毎年の忘年会を見ていて思うのですが、人口が減って若者も減って国の活力が失われていく中でこういった忘年会というものも確実に活気を失っていく様子が手に取るようにわかります。そもそも我々の病院でも医師だけが集まる医局忘年会はコロナ禍以降音沙汰自体がなくなりました。

病棟の看護師さんや多職種の人々が集まる忘年会も、参加した人達は若手も含めてなんだか大人しくて我々が以前見ていたような出鱈目な忘年会は無くなりました。まあ、コンプライアンス遵守の掛け声の中では平成の頃のような飲み会したら「即アウト」でしょうから仕方ないですね。

時の移り変わりに連れ、恐らくは公的な忘年会という行事自体が年賀状のように消えていくのではないかと感じるこの頃です。

2025年12月2日火曜日

治せる!だけど手術はしないという選択

ある御高齢の患者さんにあるタイプの消化器の癌が見つかりました。

具体的には明かせませんが、別の内科の先生がフォローされている時に急速に鉄欠乏性貧血が進行してきた上に黒色便が目立つという事で「これは…」という事で上部消化管にファイバースコープを挿入したところ残念な変化が直ちに発見されました。

ところがこの方には著しい認知機能の低下があって、娘さんにお話しした時も「もしかするとオペ自体は出来ても外科の先生のご判断は患者さんはオペには向かないと言われる可能性が高いです」というネガティブに判断される可能性にはじめから言及していたんですが、大学の消化器外科先生の判断はやはりその通りでした。

クラスもまだIIで、5年生存率は状況にもよりますが7割弱程度はある筈です。しかしながら、この「オペ適応」を判断する一覧表があって、それによるとやはりオペは行わない方向に妥当性があるという判断が示されたとの事で、娘さんも最終的には完全に納得されて放射線照射による緩和ケアのみ行って帰院して来られました。

今回はこのような状況でしたが、今後は恐らくこのような判断で認知症の高齢患者さんは「積極的な治療」は行わないという事が一次的なコンセンサスとなる時が来たのでしょうね。

親父や母親と話しても「こんなに長生きするとは思っとらんかった!w」という様な感じの話が多く、充分生きたからもう余計な事は絶対するなよ!と念を押される始末。

まあ、厚労省も実際に保険点数の誘導で国家の医療をこちらへこちらへと寄せて行っています。恐らくこれからは民間病院はオペをやってもまともな点数は取れず、外科医は更に大幅に減り、緊急のオペが出来る人はずっと絞られ、更に大きな負担が個人にかかって来るのでしょうが、実際はそれが保険点数で報われないどころか労働基準法でそういうオペの時間は存在してはいけないみたいな世界が「必ず」やってくると感じています。

そしてますます外科医は淡々と高齢化し減っていくという様になるのでしょう。危なかったらすぐにオペを検討して貰える時代はもうこれからは消えていく事必定、というかただの現実になる時代です。

民間医療保険を契約できる層とそうでない層には医療格差が登場してくる事でしょう。

2025年12月1日月曜日

人生初の体験を幾つかしました(後編)

 そういった部屋を見せて貰った後でいよいよ山へ入って行きました。

何をするかと云うと、いわゆる「お婆さんは川へ洗濯に、お爺さんは山へ芝刈りに~」の死ばかりという奴。結局薪の原料になる木々の枝打ちとその掃除です。

私達三人のオッサン達はログハウスの裏山にチェーン・ソーを二つ持って上がりました。急な山の斜面には既に切り倒した三本の杉の木が寝転がっていたのですが、その幹には大量の枝が未だ緑色の葉を蓄えたままでドサッとついています。

これはほぼ枝打ちを終えた後です
結局、上の写真の様に枝を幹から外したのですが、その時にチェーン・ソーの使い方をみっちり習ってしつこく安全講習を受けました。やっぱりチェーン・ソーを上手く使う事で恐ろしいほどに作業効率が上昇し結構な速度で三人で仕事を終了。

チェーン・ソーの種類やメンテの方法、ガソリンの注入とオイルの性質なども細かく教えて頂きました。そして作業には必ず二台のチェーン・ソーを持って行かないとドツボに嵌まるという事。要するに幹に噛み込んだ時に刃が取れなくなるのをレスキューするのはもう一台のチェーン・ソーなのだという事でした。

作業の中で最も体力を使ったのは枝打ち自身ではなくて、枝を持っての斜面の移動でした。これを繰り返すと脚がヘロヘロ。w それでも工夫を凝らして結局この斜面の上下動を「可能な限り」しないで済むように作業は上から行って下へ進行するという事に最大の注力を行いました。

最終的には作業に慣れて結構な速度で奇麗になり社長さんにも満足して頂けたようでした。

その後、どんぐりの里という道の駅の麓にある稲武の道沿いにある小さなお寿司屋にご招待いただきトンカツとビールを頂きました。更に近くの「昭和感100%」のお店で、名物のコロッケとミンチ・カツを家族分お土産に購入。

更に戻ったログ・ハウスでは薪割りの講習を受けて己が持ってきた小型の斧では全く歯が立たない巨大な薪をどのような斧でどうやって割っていくのか、注意とコツを学びました。

なんだか今日一日で野で生きていく上での知恵が大きく前進したと感じたのは私が未だ素人だからなんでしょうね。w

結局、夕方までいろいろと人生初の体験をさせて貰いましたが、本当にいろいろと話が弾み馬鹿話でゲラゲラと笑って一日が過ぎていきました。

最後はアルコールが入った事もあり、今日私自身が運転してきた車を知人に運転してもらいその知人の専門分野に関するいろいろな専門性の高い話に耳を傾け質問し、また耳を傾け質問しを繰り返しながら秋の美しい山道を家路につきました。

また近々の再会を約して今日の行動を終わりましたが、意外にも私は体が痛くなったりすることはありませんでした。謎ですが。^^

2025年11月30日日曜日

人生初の体験を幾つかしました(前編)

実は当直明けにネットゲームで知り合ったある人物と自分の家の脇で朝に落ち合って設楽の山の中にあるログハウスに向かいました。

紅葉真っただ中の山道を車で駆け上っていくと、ところどころに燃えるような紅を魅せる木々がかたまっていました。所々でカメラを立ち上げカシャカシャと写真撮影。秋を実感できる素晴らしい眺めでした。
WRCのコースがほぼ目の前を走っているような所だったんですが、車を走らせながら「おお、ここは田舎道なのに道が広くてめっちゃ気持ち良いな~」という感じ。もしかして某トヨタの力でここにお金が注ぎ込まれたのかな等とちょっと考えてしまいました。

ここは名古屋にある「ある会社」の社長の持ち物なのですが、基本的には松の木で作ったログハウスとのこと。しかし、ビックリするのですが、この辺りの田舎でそれなりの古民家を浦山と一緒に買い取った時点で払ったお金が300万円!ぽっち。あんまりポッチという言葉を使いたくないのですが、家付き土地付き裏山付きでその値段というのが少し信じられませんでした。

しかも、こういう土地のこういうエリアに有りがちな土地の課税の件ですが、ビックリするような広さの広場の税金は一年に数百円という話。( ゚Д゚)
キャンプ場を自前で作るのならこの安さは特筆レベルだなって正直思うんですけど、皆さんどう思われるのかなと?まあ、こういった事は趣味の世界のお話なんでこういう値付けというのは本当に知っている世界の人達は言わずもがなという感じで知っているものなんでしょうが。

さて、車を手前の庭に入れるといきなり奇麗なログハウスが出現。そこにはこれまた松を伐採した極太のログで作った焚火が赤い炎をあげていました。
外には初老の柔和な顔立ちの男性が一人立って我々を待ってくれており、我々の到着後すぐに中に招き入れてくださいました。持ってきたワインのお土産をペアでお渡しし挨拶を交わした後にログハウスの中を拝見させて頂きました。

美しい木目の組木で出来た内装はそこだけ見たらカナダかどこかですか?という印象しかありませんでした。こういうのに慣れてない自分にはビックリのレベル。これを見る為だけにここにやって来た甲斐があろうというものです。

隣にはお客さんが来たとき用に備えて板間の奇麗な部屋が準備されていました。マンションと全く同じレベルのユニットバス付きで信じられないような清潔さ。失礼ですが、こんな山奥の田舎にあるような代物ではありませんした。

続きはまた次回。

2025年11月29日土曜日

人との繋がりの方がよっぽど大事

最近、本当にいろいろな人と積極的に繋がるようなイベントが次々に発生しています。

まあ昨日のようなお酒でのつながりは別として、全く違う職種、それぞれに大きく違う人生の経験、違う地域に住む違う考え方の下で育った人達、そして異なる年齢。本当にキャラクターを含めていろいろと違い過ぎて「あなたの知らない世界」状態になっております。

何といっても自分の知らない事を知っている、自分の生きてこなかった世界の話が聞けるというのはまことに新しい本のページをランダムに読むような楽しさがあって、自分は知らんけど人は知っている事を知るというのは本当に「善き哉」と感じる事が多いですね。

家の内装の話、トラックの整備の話、中古車販売の表に出せない話、マンション建築の裏話、人材派遣の裏話、ニュースを発信する側の通信社の内部事情、賞をとった時の裏側の話、土木工事の秘密の話、車の部品製造にまつわる話、服の販売店の打ち明け話、巨大車両製造企業の研究室内での裏話など、普通に知り合いになっていなければ一生知らんかったやろうなという話が世の中には満ち満ちているという事実に改めて驚かされるのです。単純に興味深い。

世の中の成り立ちを見つめる時に中の骨格まで透かして理解している時と、表面にある皮相の部分だけで見えている時ではやはり分析結果が大きく違ってきます。

こういうのは「容易には騙されない」という対策にもなるでしょうが、そういう無味乾燥な目的の為だけでなく、実際にその世界を愉しむための基礎情報として「知る事の喜び」を感じさせてくれる事となる「人との付き合い」は本当に良いもんですね。

これからどの程度の期間で、どの程度の人々と知り合いになる事が出来るのか全く分かり合せんが、残された人生の短い間は貪欲にこういった話を聞ける人々を見つけては次々と話を聞いていきたいと思うのでした。

2025年11月28日金曜日

今日は謎の人物と

今日は覚王山の酒場で知り合った謎の人物と飲みました。

そもそも彼と知りあって二年ほど経つんですが、名前を知り合ったのが一年ほど前。お互い酒場で出会ってはカウンターで並んで話をするのですが、それ以外の情報はお互い知らないままに過ごしてきました。

しかし、バーのマスター経由である時にお互いの連絡先を交換して以来、LINEで「極マレ」にどちらからともなく今日飲みに来るのか?という連絡をするようになりました。とは言え、お互いに余計な事は何も聞かず何も喋らないのは相変わらず。例えば一体どんな関係なのかと人に問われても、正直なところ酒場で知り合った隣の人~と云う位の答えしか返せません。実際そうなんで。w

沖縄の人だという事だけは知っていたんですが、お互いにそれ以上の深掘りも無し。職業も婚姻の有無なども知りません。どこら辺りに住んでいるのかも。

ところが今日は違いました。連絡受けて仕事終わりに一旦家に戻ってから地下鉄に乗り込みました。覚王山で降りてスーッと店に入っていくとカウンターにはいつもの顔がありました。

お店のママさんは私の嫁さんも知ってますし、マスターである御主人は私が最初に患者さんとして症状を聞いて第二日赤に翌日行っていただき即治療開始となった方です。今はすっかり症状も収まりお元気ですが、あのままだったら今頃は…と云う位シビアでした。

さて、一次会では2時間ほど飲んで次の店へ移動。そこはアブサンが沢山置いてある店で、他に入って来たもう一人のお客さんと三人でアブサンの話や他の飲み物の話で盛り上がりました。そこでも一時間以上はいたかな?更に彼の家に帰る方向に歩きながらある店の前で呼び止められて三件目。

ここは彼にとって何時も行く別の気軽に飲めるなバーの様でした。ここで飲んで終わったのが一時半過ぎ。とっくに終電は逃しておりますので彼と別れた後は何時もの様にテクテクと歩いてのお帰りです。

やっぱり歩いて帰ると周りはいつもとは全く異なる世界。何時もは見えない、見ていない景色を眺めつつちょこちょこ立ち止まっては観察しながら家に帰り着いたのでした。

シャワーをササッと浴びて寝床に着いたのは3時半。体には良くありませんな。^^

2025年11月27日木曜日

高層ビル火災の悲劇

中国のタワマン火災の報道を見て暗い気持ちになってしまいました。

災害なんてどこの国でも誰の上にも起きないほうが良いに決まってます。事故もテロもあっち行けって感じで私の場合は病気もこっちに来るなって感じの毎日ですが、死なんでもいい人が事故や戦争なんかで亡くなってしまうのを見るのはどこのインシデントであろうと気持ちが落ち込むものです。

小さな交通事故でも亡くなられた方は勿論、起こした人間自身もその家族も悩まれる事を考えると安全なシステムや生活への飽くなき追求というのは「MUST」であって、我々医療関係者も含めて安全に関わる関係者達は如何なる瞬間も進歩を止めてはいけないというのは当然だと思います。

今回のマンション火災では既に判明しているだけで100人以上の人々がお亡くなりになっているとの報道があります。行方不明者も300人越えとの事で、もしこれらの方々の多くが亡くなられているとするとまさに世界の災害史に名を遺す未曽有の大災害です。数年前にイギリスで発生した高層アパートの災害を超えるものとなります。

7棟のマンション群が次々に延焼していったのは竹で編まれたあしばとそれを覆っていた緑色のカバーの存在。更には窓を覆っていたという発砲スチロールの存在がこの悲劇をもたらしたのではないかと「今の段階では」囁かれているようです。

高層ビル火災で私が思い出すのは大昔に出た映画「タワーリングインフェルノ」です。当時、テレビのロードショウで視た時の衝撃は子供の心に深く恐怖を植え付けましたが、その後に実際に9/11で人がビルから飛び降りる様子が映し出されるのを見て、高層建築っていうのはやっぱり人が住む建造物という意味ではいろいろと無理があるよな~って感じるんですけど、不自然ですかね?

個人的には高層マンションに何の魅力も感じない変わりモノです。

今回の惨事で命を奪われた方々に日本から衷心よりお悔やみ申し上げます。


2025年11月26日水曜日

俺達はドローンに殺されるのか

ウクライナでの戦闘で本当に戦争の形態が激変してしまいました。

最初は戦車とミサイル、そして戦闘員達の直接対峙という形の力の応酬だったのに、偵察ドローンから始まった急速なドローン進化は投下型爆弾の装備、突撃型弾薬の固定からの人や戦車への神風攻撃、最終的には光ファイバーを装着した長距離飛行型ドローンが敵の国家の深部をを襲う形態にまでなっているようですが、恐らくまだまだ劇的に進化する途上だと思います。

そもそもバッテリーが進化している真っただ中。更に妨害電波が飛び交う中でもそれを克服するECM、ECCM、ECCCM等電波妨害に対する様々な対抗策もまさに今、リアルな戦場の中で進化中である事は様々な記事から明白。

航続距離が延び、飛行速度が増大し、搭載する武器の種類もドローンのサイズもまさに各国各部隊様々で、目的に応じた種々のドローンを作り続けていますよね。空飛ぶドローンだけでなく、ボート型のドローンも潜水艦ドローンも実際に存在しますし、潜水型ドローンもヤバい速度で進化中。日本もその真っただ中ですから。

恐ろしいのは、今は人が操縦しているドローンには100%確実に「AIと連携した形での自立飛行型ドローン」が登場して人や目的物を自働で識別しながら電池が切れる迄その攻撃を止めなくなるだろうという近未来が待っているという事です。

不気味な犬型ロボットも物品の運搬用のみならず、マシンガンを装着したりした状態での殺人兵器として戦場を自由自在に走り回れるようになっている時代が既にやって来ているというお話。

ありとあらゆるシステムが戦場に火薬が登場した時の様に、空に飛行機が登場し、地には戦車が登場した時の様に、正に今まで眠っていた砂漠の中の無数のタネが雨が降り始めて全面的に開花する砂漠の様な状況になっています。

こういう兵器は国際条約で禁止してもその行為自体を嘲笑うように技術がその先を走ってしまうのはこういう技術応用の百花繚乱期の特徴だと思うんですよね。

それにしても、ターミネーターの中では巨大なドローンが自律的に人を殺して回っていましたが、中国のロボットなんかを見ていると、もうあれはSFの枠で収まる話じゃなくなったんだという暗澹たる気持ちです。次に大規模な戦争が起きた時には空を覆い尽くすドローンの群れが、体温を感知しながら弾の尽きるまで、爆弾を落としきる迄我々の上に飛んで来るのでしょうか。

嫌な時代になったもんです。

2025年11月25日火曜日

結局、情報は変えられている

今回の大阪の中国領事の有り得ない発言一つをとってみても、中国側では彼がそういった発言をしたという事実自体がそれほど拡散されておらず、日本では中国人がいつもより逮捕されているというような記事の拡大もあるという現地の駐在員の報道などもありますが…。

実際のところ、我々はそして相手の国の人間はこういった事実をどれほど正確に把握しているのかという話をする前に、こういった話を拡散するメディアの存在がどれほど「扇動」や「センセーショナリズム」という言葉から距離を置いた報道であるかという事に気を向けているでしょうか。

ワシントンDCにいた時に、派遣されている新聞記者達に何度も文屋の仕事に関して話を伺った事がありましたが、所詮は彼らは文屋。確かにDCに派遣されるようなレベルの人達は新聞社などの中ではトップの人間に近いと思われるのですが、そう云う彼らをしても己が書いて発信した記事がどれだけ人に読まれるかという事に「物凄く」気を使っていました。

結局彼ら自身の存在意義は新聞社や通信社としてどれだけ自分らが発信した記事が読まれたか、そして読んでもらえる記事を発信しているのかという事が魅力として広告媒体を呼び寄せ、発行部数をあげることが出来るかという事になる訳で、それ以外にナントカの使命等という感じで発信してる訳でも無いのだというのがヒシヒシと彼らの会話からは伝わってきました。

何はともあれ部数のブーストに繋がる記事が全て。これはテレビ局とて同じ。今のインフルエンサーがあの手この手で「その発信内容の真偽は問わず」「人の気を惹く事が一番」みたいな内容で溢れかえっているのとほぼ全く変わらないと思える状況ですよね。メディアの種類がネットのアプリなんかに移行してもやってる事は今も昔も皆同じという訳です。

人の気を惹くためには「真偽は問わず」という世界が存在するのだというのは日本のような国の社会の木鐸などとうそぶく媒体であっても、隣の赤い国の御用(誤用?w)媒体であっても皆同じだという事実を忘れてはならんでしょう。

戦前も、戦中も、そして戦後も一貫して嘘をばら撒き続けてきたメディアと政府。右が左になっただけの民間メディアもあれば、慎重に報道はするけれど遅きに失した報告を繰り返す政府も居る訳で、もう少し冷静になってドライな視線で嘘の遣り取りを見つめておかないと馬鹿にしている彼方の国々の、これまた一部の騙されている人達と同じところまで自分を落としかねないなと感じる今日この頃です。

2025年11月24日月曜日

長女が電話をアメリカ版から日本版にスイッチ

 アメリカで長女が契約した電話を中途解約するとアホみたいな違約金が取られるとの事で、アメリカのVerizonのiPhone15を日本でそのままデータ制限内で使っていました。

しかしながら、日本の企業やその他の人と話をする時に少なくともアメリカの電話番号を回して貰うという事は避けなければならないという事で、慌てて日本の番号を手に入れるというアクションを取りました。

そこで登場するのが私です。当然の様に「ナルハヤ」で電話を手に入れたいとの事でしたので、私が足になってあちこちの携帯ショップに使えるiPhoneの在庫は内科尋ねまわって最終的に四軒目で256G以上のメモリを持つiPhone17を持っているショップが見つかってそこに急行。

実は次の予定がある!とショップに着いてから言い出す始末。これkら45分後に遠く栄のまつ毛エクステの店にまつ毛パーマに行かないといけない等という訳の分らないお話。おっちゃんの私にはほぼ何が何だかという世界です。

それでも、スマホショップのお姉さんは必死で仕事をこなして下さって、何とかギリギリにセットアップと支払いを終了させて車に飛び乗りました。名古屋口の一部は現在補修工事中で高速道は使えません。orz

下道を淡々と栄へとむけて進みナントカ一分遅れで予約時間に到着。速やかに私の本日の義務を終えることが出来ました。

これで長女も日本での新たな安定的通信手段をゲット出来ました。更なる生活の改善が起きると良いなってコッソリ思う親父でした。^^

2025年11月23日日曜日

世界の田舎者

隣の赤い国に住む礼節知らずの輩がまたやってくれました。

体のサイズがデカいと自分は偉いと勘違いするタイプのジャイアン的に目出度い人達ですが、この前のポケット両手突っ込みオジサンの仕草がなんだったかというのをネットで改めて観て理解して笑ってしまいました。その答えが中国の首相・李強が北朝鮮に行った時に金正恩からポケットに手を突っ込んで応対されたという事をコピーしたという奴。もうね、お前らときたら可愛い。w

その上で再び中国大使館が時代錯誤の発言をして失笑を買っている件。

台湾に関わる存立危機事態への対応発言をした日本の首相に対して「もし日本側が台海情勢に武力介入する暴挙に出るならば、それは侵略行為に該当し、中国は『国連憲章』および国際法に基づき付与された自衛権を断固として行使し、国家主権と領土的完全性を揺るぎなく守り抜く」と返してきている訳ですが、あんたそもそもこの件は既に95年の段階であんたら中国自身も含めて既に死文化したとの認識が圧倒的多数で合意されとるがね!という事を日本の外務省に静かに指摘されてグ~となっております。

無論、そんな事を言われて引き下がるような育ちの良い連中ではありませんので、田舎者らしさを全面に押し出した「戦狼外交」とやらでまた数頼み、声の大きさ頼みのお仕事をしてくるんでしょうかね。この先が愉しみです。

問題は彼らに知性に則った対応というモノが期待できるかという事なんですが、結局のところはよりデカいハンマーを持っている国に発言権ありとする19世紀的発想が未だに抜けていないのでしょうから説得は期待できないということで、世界という集団のレベルで悪い事をしない様に監視していくほかないでしょう。

ああ、隣人は選べず。イスラエルの研究者友達も言ってましたけど、正に日本にとっては選べない隣人達というのはこの人達ですな。orz

そもそも、旧敵国条項が生きてるならお前らの国の主体は中華民国じゃないの?ま、それ言ってもあいつ等は顔を赤くして怒るだけか。w

2025年11月22日土曜日

医者の給与に関する勘違い

患者さんでも看護師さんでも居るんですが「先生達お金持ちだからね~」という寓話。

これ本当に良く言われるんですけど、勤務医が金持ちな訳ないです。そもそも日本の課税形態の中ではある一定以上の収入では税金が急激に上がっていきますし、相続税も取られますのでどこまで行ってもお金は貯まらないようになっています。

大体、一人でN万円稼ぐ人と夫婦で併せてN万円稼ぐ人では圧倒的に後者の方が実質所得は絶対的に上ですし、医者が一人で仕事したところで実際にはただの労働者。今日病で倒れたら明日から家族は路頭に迷う訳です。

そして日本では勤務医など経済的な面ではタダの知的肉体労働者だと思わされるのは会社を経営している人間達と交流を持った時ですね。この人達はいわゆる「経費」で種々の生活費を「実額控除」として落とすことが出来る貴族なのです。私がいろいろな話を聞いているとビックリするようないろいろな話がさも当たり前の様に出てきてホンマに驚愕の連発。

外食は経費で、生活に使う諸々の物品もかなりのレベルで経費で、車も経費で節税という感じで、言ってみれば日常生活の諸々がふるさと納税状態。有り得ませんわ。w

結局、打ち合わせで使用したとか家の中のこの部屋とこの部屋は事務室として使ってるから控除の対象をかなるんですからもう勝てません。実は消費税なんかも商売してない人は知らないと思いますが、以前は多くの小売業者で小売り額が1000万円以下では徴収した消費税を丸々懐に入れていたんですよね。

インボイス制度が出てきてからはそう単純な話では無くなってきましたが、それでもビックリですよね。( ゚Д゚)どんだけ商売人ばっかり優遇しとるんじゃいという話。ふざけとります。

商売する人間には経費を大量に認めてサラリーマンにはそんな恩恵は与えないというのは何故なんでしょう。サイレント・マジョリティはサイレント。今日も変わらぬ日本のシステムです。


2025年11月21日金曜日

結婚記念日のお祝い

本日が我々夫婦の結婚記念日なのですが、実は昨日の夜にそのお祝いを済ませました。因みに22日は良い夫婦の日と呼ばれているようですが、我々は果たして?w

昨日の夜は息子が施設にお泊りに行った日でしたので、夫婦+都合のついた長女の三人で藤が丘の串の店に行って食事を愉しみました。

何をする訳でもなく、何か結婚にまつわる話をする訳でもなく淡々と美味しい串、その他の料理を食べ続けて軽い会話でケタケタと笑いながらもサクッと一次会を終えました。その時点で既に朝五時からランニングや自分の仕事の準備で忙しかった長女は眠気と闘って目が閉じかけている状態でしたので先に家へと帰らせて我々二人だけでもう一件と相成りました。

次に向かったのはやはり同じ藤が丘のインドネパール料理のお店。1-2か月に一回くらい行っているのですが、今日はヌードルとカレー・ナンを一皿ずつお腹に追加で納める為に頑張ってやって来ました。^^

愛想のいい店主さんが今日も迎えてくれました。何時もの様に嫁さんが手際よく注文。私はこの「オーダー」という作業が昔から大の苦手ですが、こういう時は生き生きと注文する嫁さんが横にいると私は何もしなくて良いので大変助かります。

昨日食べた料理は何だったかという事を昔からそもそも覚えていないような「食に対する興味」を持たないタイプの人間ですから、最初から「美味しいものはこの店では何か」という事をよく理解できている嫁さんは美味しい料理の簡易データベースみたいな感じで、食事ダメ人間の私には大変重宝致します。

ここでも間違いのないオーダーを済ませ得くれた嫁さんを眼の前においてお店の内装に関する談義や料理の内容に関する軽い討論をした後、ちょっとだけ寒くなった街中を人が聞いても全く意味を成さない、我々夫婦の間だけで理解できるような不思議な会話をしながら家路に着いたのでした。

結婚して既に33年。恥多きあの日の結婚披露宴も遠くになったもんです。

2025年11月20日木曜日

急に職場を辞めた女性

ちょっと驚く話を聞きました。

ある病棟の若い中国人女性看護師さんがいきなり病院に電話を掛けてきて「あしたからもう来ません」という驚きの一言で病院を辞めてしまいましたという話。

ココから後は全て他人から聞いた事ですが、それからの病棟は大変な事になったようです。師長や主任は明日は居る筈だったこの人の穴埋めになる人を探すと共に来月のシフト表を全て組み直す事になったとの事。

まさに管理者にとっても実働で働く側の人間にとっても「おおごと」そのものだったようです。この人物への呆れや怒りの声も当然あったのですが、そんな事を言っても相手に伝わる訳も無く、そう言う事をやってしまう人物は文句や説教を返したところで心に伝わる筈も無く、時間が無駄に消費されるだけですからね。

今の日本の病院では特に内科の夜勤があるような所では人手不足が日常。ギリギリの人数で疲弊しながらの現場では無理を承知で病院を走らせている等と言うのが普通なのです。そういうカツカツのところで1人が辞めたり、急に病気になってしまったりすると急激に現場の負担が高まる訳です。

それは一個人だったり、病棟全体だったりするわけですが、病院としては患者さんに迷惑をかける訳にはいきませんので、そこは何としてでも粛々と進めることが出来るようにリセットをする訳なんですが…。

最近思う事は「こういう事」つまり「人手不足」による現場の疲弊というのは毎日の様に日本中で発生しているのだろうなという事でしょうか。人手不足倒産というような事が各産業で悲痛な声として紹介されていますが、病院も次第に人手不足病棟閉鎖から人手不足閉院等という方向へ進んで行くのでしょうね。

大きいからと言って病院は潰れない訳では無いという今の時代の標準的な事実。倒産という時が来ないようにするには優れた知性と現実的対応力が必要です。

2025年11月19日水曜日

アルコール中毒と嘘

アルコール中毒の患者さんがどれほど嘘をつく事か!

最近もホトホト呆れるような出来事が続き「アルコール中毒」の患者さんの嘘の付き具合、特に当然の事ですがアルコール類の飲酒量に関する嘘への呆れ具合ははもう限度を超えてます。

何というかどうして本当の事を言えんのかねという様な繰り返される嘘。最初は「飲んでいない」と言っても、その後に時間をかけて個人の心を解き解していくと「実は一本飲んでいます」とのお話。

ところがこれは全然本当で無い事が当たり前。更に時間をかけると「本当は二本で5%のチューハイです」となります。ところがところがここまで来てもまだ嘘。w

実際は7%のチューハイ500mLを毎日二本等と言う事になります。その上、友人が遊びに来たりするとそのボリュームは一気に無節操なレベルで爆上がりとなります。その結果として路上での転倒。そしてそれは顔面打撲、頭部外傷、鎖骨や肋骨の骨折、股関節や脊椎の損傷が発生するのを生み出すのみならず更にその先があります。

急性のアルコール性肝障害、そして慢性のアルコール性肝障害、そして非代償性肝硬変への移行や肝腎症候群、肝癌の発生などなどきりがありません。

それとは別にビタミン欠乏による末梢神経障害や中枢性の神経障害の一環としての脳委縮などという恐ろしいインシデント前まで発生いたします。まあ、そこまで行く前にいろいろな出来事が起きて「別世界」へ旅立たれていく事も度々。

そういった状態に至る迄何度も何度も我々の方でしつこく阻止してっても、基本的に入院加療というのは本人の「治療への意志」というものが表現されないと我々は入院はさせませんので止まることはありません。

残念な事の繰り返しです。何年もかけてレスキューしようと繰り返すのですが、それでも失敗する時が稀に発生すると本当に残念というか深い敗北感が残るのでした。

2025年11月18日火曜日

未だに夜郎自大の隣の赤い国

外務省っていうのは全く情けない事させられてますな。

御本人達が自らの意志で行くなんて事はしないでしょうし、こんな事は政府のトップの人間の意思決定が無ければ為される事は無いでしょうから、確実に政府の意志として中国に「御説明」に行った訳です。

正直ガッカリしました。当然言うべき自国の政治方針を堂々と述べた後、その内容に関しては自国の政府内で見解を述べればいい訳で、何をわざわざその文句を言ってる世界の田舎者たる紫禁城の夜郎自大のヤカラ国家に行って「御説明」をしてるんだってことですよ。ペルソナ・ノン・グラータとなってもまったくおかしくないトンデモ領事のトンデモ発言に端を発し大事になったこのインシデント。対応が根本的に大間違いでしょう。

言ってる内容の正しさなんていうのは全く別として、一旦口から出した自分の発言に対しては自信を持って押し通せって事!

朝貢外交じゃあるまいし、お前らは冊封国家か?というお話。究極の自爆的敗北外交ですわ。図面引いた責任者出て来いって話。世界の外務官僚達はお前らを嘲笑ってるよ、間違いなく。

結局、中国に外務省から出た人間が出張って行ってみたら何の事は無い、ポケットに手を突っ込んだ田舎者の代表みたいな「無礼を装った宗主国の代理気取り」の馬鹿が顔を見せただけ。まさに案の定以外の何物でもない結末でした。

ホンマにお前らときたら、行った馬鹿も大概の馬鹿なら迎えた阿呆も絵に描いたようなスタンドプレイヤーの低能と、どっちもどっちじやわい。w

先が思いやられる。少しは矜持を持とうよ。頼むから。

2025年11月17日月曜日

B’zファン 善意と好意の連鎖

実は昨日のメルカリの出品者の方から連絡が入りました。

昨日の購入以降、向こうの女性?と思しき方から丁寧な返答が入りました。無論その前に私からも感謝のメッセージを送っていたのですが、それに対する心のこもったお返しの言葉があり、それは私が送ったメッセージに対する感想と、それを読んでの追加の質問でした。

曰く「ファン歴の長い方なのですか?」という文章から始まって「お礼に何か送りたいのですが」と、こちらは買った側でお世話になったにもかかわらず逆にそのような追加のオファーを受けて恐縮してしまいました。

それに対して私も嫁さんのB’z歴を語り、日常での嫁さんの音楽を聴く生活におけるB’zの存在の重みをきちんと説明していったところ、追加のお褒めの言葉をいただいた後に数年前のライブの映像モノを追加でつけて下さるというような「有り得ないような御厚意」をいただきました。

どう考えてもこちらがお金を追加しなければならないようなレベルのものなのですが、何というか言葉も無かったです。感謝と連帯と厚意の連鎖。

もしかしてB’zファンの間の絆っていうのは意外と熱いものがあるんかいなと腕を組んで考えてしまった私です。私の好きなロックバンドやポップスのバンドは今や次第に鬼籍に入る方や解散してしまって今は跡形も無し…というような事例も少なからず。

まあ、私自身が還暦ですからそういう現象も当然なんですけどね。w

嫁さんも実際のところ今回松本さん?の方が体調が悪くて少し心配したみたいな事を言っていましたし、自分の事も考えると「行ける時に行っておく」という事を猛烈に大事にしているみたいです。

その意気や良し!頑張って楽しんでね。^^

2025年11月16日日曜日

B’zに一喜一憂の嫁さん

二週間以上前から今日のコンサートのためにそわそわし続けていたうちの嫁さん。

聞くと、全国で8回しか公演しないという恐ろしい少なさ。しかも北限は東京で、東京2回、名古屋2回、大阪2回、福岡2回とのこと。しかも、名古屋が初日との事で、全国から集まっていた筈です。

嫁さんはほぼ毎日、届いたCDを引っ張り出しては歌詞と旋律を覚えるべくDVD playerに掛けては何度も何度も聞き直して喉から声を振り絞って小声で歌っていました。思わず「これだけ真面目に勉強の方もしていたら、もうちょっと違う人生やったかもな~」と言ったところ「私が勉強しとったらで会っとらんかったろ!」等と意味不明の逆襲をされてしまいました。^^

さて、前日の夜からはもうなんか明日から修学旅行に行く小学6年生状態。明日のガチャはどうなるか、グッズは何を買うべきか、自分の実際の会場での席はどうなるのか、会場で流される曲はどれが選ばれるのか等々、興味の無い私にとってはどうでも良い事を文字通り必死で追及しておりました。

私が起きた10時にはとっくに家から巣立っており、書置きだけが置いてありました。それを見ながら起きたばかりの目を擦って見ていたのですが、もう昨日から心は会場にあったようです。w

LINEからは次々に会場周辺の様子やドームの周りの大量のファンの様子が見えていましたが、そこで最大の問題が発生したのでした。それは、グッズ取得の後に行われたガチャの商品が目の前で売り切れになってしまったと事でした。一回700円もするガチャを回してスマホのストラップその他を手に入れるらしいのですが(驚くべき価格です!)、それを10回回そうと思っていたにもかかわらず、物凄い長蛇の列の為にあっと言う間に売り切れたんだそうです。今まではそんな事は無かったらしいんですが、今回初めて経験したとの事。

こちらはかなりのショックだった様ですが、何の事は無い…紫のhoodyやカタログ、タオル、シャツなどゴッソリと買い込んでおりました。orz

帰ってきたら、滅茶苦茶嬉しそうで、戦利品を出して来たながら「遠くから見たけど動いているのがわかったし、同じ空間にいるだけで幸せやったわ~」とのお言葉。宗教団体の教祖様に出会った人の様だなと毎度思いますが、これだけ熱中できるものがあるって良い事だなと笑って嫁さんの話を聞きながらもコッソリ思いました。

さて、欲しかったガチャの中身。リーズナブルな価格で提供して下さったファンの方が(恐らくガチャで重なってしまったものを)メルカリに出して下さっていたので、私がコッソリ注文しておきました。

メデタシメデタシ。



2025年11月15日土曜日

国が違えば全く異なる感覚

ネットの上でチャットをしていると日本人と外国人はやっぱり違うなと思うこと頻りです。

我が家の娘達も見かけは全くの日本人ですが、中身は全くのアメリカ人。これだけはガチで確かな事実です。やっぱり幼い時期を、そして特に教育を受けた多感な時期がその滞在国であれば、その国の文化の影響を強烈に受けてそのまま大人になるのだという感覚です。

見かけと中身は違うという事なんですが、ソレはソレとしてネットでの会話と考え方を見ていると宗教の違いも大きいなと強く感じます。

特にイスラム圏の男性のメッセージを見ていると女性に対する平等感が全く今の日本人男性の平均的コンプライアンスとは異なる事に否が応でも気がつきます。何というか女性に対する男女平等感が徹底的に欠如していると思うんですよね。良いか悪いかと云うとやっぱり現代日本人から見ると「悪い」としか言いようがありません。

逆にイスラム圏の女性が書く文章は控えめでおっとりとした優しさに溢れる書き込みをする方が多いと感じますね。しかし、それが皆が書き込む全体チャットの中でのお話となると全く別。女性が居ようと居まいと男性陣が女性に対する配慮を見せる事が無いんですよね…。

こういう時はnoticeを出して、全員告知という事で性的内容を書き込まない様に注意喚起するのですが、それに従わない連中はそのチャットどころかグループ自体から蹴り出されてしまいます。

これは偶々イスラム圏の話ですが、その他の文化圏でも同じような傾向は当然あって、ネトゲで大規模にいろんな国の文化を持った人間達が集まるアメリカのサーバなんかではそういう傾向が強く出て来ますからいろいろと注意が必要です。

アメリカでは宗教と政治の話は避けた方が良い等と良く言われましたが、私は逆に積極的にそういう話をする人でした。そこで起きる化学反応は大変面白かったのですが、まあ、余りやりすぎてもね!っていうのはありましたけど概ね「外国人かつ無宗教」の人間がこういう話をするのは面白かったですね。

今日はそういうチャットを見て、改めてそう言う事を強く感じた日となりました。


2025年11月14日金曜日

Field Style 2025

先日キャンプの大先輩である看護師さんから「先生、今度キャンプ・ギアのズラッと揃った良い展示会があるよ」と云われました。

「何それ?」と言った後にネットを調べてみると確かにありました。Field style 2025というタイトルでキャンプ関連の様々なモノを展示している展示会。車、キャンプグッズ、そして周囲には大量の飲食品を売るキッチンカーや移動販売車が駐車場に並んでいるのが見えます。

前売り券を見てみると1,700円で売っているし、当日券は2,200円となっています。安くは無いなと思いつつも既に前売り券の販売期日を過ぎていてアウト。結局息子と二人で行ったら4,400円という安く無い金額を入場の為に払わなければならなくなる上に息子を休日に早めに起こすとなるとこれは結構な無理を強いる事になります。

どうしようか迷うところですが、開催されるのが愛知国際展示場ですから帰りがけに飛行機好きの息子の為に飛行場に寄って「フーの湯」に浸かって飛行機の駐機場に置かれている様を見ながら愉しむという手もあります。果たしてどうなるかは当日の具合次第ですが、あまり無理をするのもな~と感じる所です。

そんな所に行ってしまうと、ギアを買いたいという余計な購買意欲が盛り上がる可能性というものがあります。私は基本がケチなので、余りそういうモノを見ても実際に買うという手順に至る事は余りないのですが、そう云う所に集まってきている極め付きの良品を見たら「もしかしたら」買いたくなるかもしれません。

そういう意味では「君子危うきに近寄らず」作戦を実行してそこにはそもそも行かないというのが大事なのでしょうか?

まあ、キャンプというのは行って経験する事が楽しいのは間違いないのですが、恐らくそれだけで無く、というかそれ以上に準備をする段階がワクワク。そしてその準備というのは何を持って行くか、そして持っていく為にはそれをきちんと選択・購入しなければならないというステップがあります。

そんな中に自分を投じるというのは危ないですよね?と自問自答中の自分がいます。

2025年11月13日木曜日

文明国家のやる事か?w

大阪の中国領事館のある領事が高市総理の発言を受けて領事としては驚くべき発言をしたことが大問題になったようです。

曰く「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟が出来ているのか」との事。そこら辺のゴロツキが発した言葉であれば「ハイハイ、頑張って」という一言で終わりなんですが、一国のしかも領事クラスの官僚がまさにゴロツキ紛いの発言を行うというところが、あの赤い国の赤い国たる所以。

あの国は相手の国家をその軍事力で測定し、上から目線で話をする宗主国気取りの19世紀的発想をする糞国家。その機構のトップにはこれまた中国国内では伏字になる「プーさん」がおりますので、そのボスの下衆っぷりをそのままコピーしちゃってるんでしょうね。残念ですが。

そのプーさんはというと、最近は次々と自分が任命してきた旧友や腹心達が軍を中心に汚職その他で次々に党籍剥奪という中国の軍人や政治家にとっては人生終了と同じ処分が次々と下されており、窮地に陥っているとは言われていますが。

そもそも、上の人間やシステムに忖度する事が重なり続けるような国家は必ず腐敗し、必ずシステムは下向きに崩壊していくもの。これは別に国家に限った事ではありません。優秀な人間が集まっていても、自由な発言が上の人間の鶴の一声や怒りによって封じられるような組織は時間をかけて腐っていきます。

気付いた時にはもうシロアリにやられた木造住宅と一緒です。そう、手が付けられなくなってしまう。

政府が火を点けて世論を誘導するのがあの国の恒例行事ですが、今回はその下っ端の頭目の一人が本性を現してしまったという残念例。基本的に領事館は所詮は大使館の下部組織ですが、通常「文明国家」では、その意見は政府の見解と必ず一致したモノであるべきですが、もしそれが中国という国の政府の総意であれば、まあ何たる野蛮な国家じゃいというようなもんです。

個人の意見であろうと、文明国家のエリートはこんな事は言いません。言えば首が飛ぶから。あの赤い国では大丈夫なのでしょう。^^

戦狼外交。お前らときたら!って感じです。w

2025年11月12日水曜日

二季の始まりか?

実にあっと言う間の秋でした。

長い長い長い夏が終わったと思ったら、紅葉を見る事も無くいきなり寒くなってきています。最近ネットで言われるような気候変動に伴う四季の消失なのでしょうか。

嫁さんが驚いているのが金木犀が花盛りである事。確かにネットで調べると、金木犀は9月から10月中旬に花を咲かせるとなっていますので、そう言う意味では一か月のズレがあるという事になるのでしょうか。

やはり、以前から言われているように植物相というのが大きく変化して来る第一段階なんでしょうか。近未来の日本では桜が今まで咲いていたところで桜が咲かなくなり、数十年かけて開花のエリアが北の方に移動したりして来るような感じになるんでしょうか。今ちょっと調べてみると、今の沖縄でも桜が咲くという事が当たり前の様に書いてありますのですが、本土に多いソメイヨシノでは無く寒緋桜(カンヒザクラ)という別の種類が1‐2月に咲くようです。これは、英名をTaiwan cherryという様で、結構赤い色の強い桜の様ですね。

もし、今年まで連続で続いてきているような異様な暑さと春秋の短さがごく普通の時代が続くと、上に書いた様な植物相の移動だけでなく、昆虫や動物も最終的には影響を受けるようになるのでしょうが、そんな事は地球の長い歴史の中ではごく当たり前の事だったのでしょうから我々がどうこうしたってある程度の周期では起きてしまう事なのかもしれません。

私が個人的に恐れているのは最終的にそういう暑いラインが北上を続けてマラリアやデング熱などの熱帯特有の感染症が日本でも発生しないかという事なのですが、これに関しては研究所の先生が丁寧にその推測と根拠を述べられており、「おそらくは」大きな流行は無いのではないかと推定しておられます。

それでも、何かが起きないとは限りません。

四季というものが昔の日本にはあったんだよと、我々の子孫がそう言う事を語る日がやって来るのかもしれませんね。

2025年11月11日火曜日

人の死に場所と新築の建物

この前、長久手を歩いていた時に首塚がある事に気がつきました。

全国的には、というかこの街は住人達の平均年齢が若く、お洒落な店が並んでいる事が有名であるのみならず、ジブリパークなども存在してIKEAもあるような所。

ところが・・・このエリアは長久手古戦場という地名が付いている通り大変に有名な歴史的戦いがあったところで、家康と秀吉が直にぶつかり合ったヤバい合戦場なのです。当然の様に多くの人々が亡くなり当時はおそらくホラーレベルの景色がひろがっていた筈なんですが。

そんな街ですから当然、当時人々の斬首された首や死体を葬った首塚や耳塚の様なものもあちこちにある筈で、当時は108塚あるとまで言われていたようなんですが、今では確認できる塚は随分と減ってしまっているようで、地元の人も知らないうちに自分がその近傍に住んでいた事で改めて驚かれるような事があるようです。

更には、街の真ん中には血の池公園というおどろおどろしい名前の、当時の戦で槍や刀の血を洗ったと言われる今は埋め立てられている何の変哲もない公園があります。そんなところに家が並び立つわけですから、時の流れというものは凄いもんですよね。

南北戦争の写真でもあちこちに人が倒れている写真と今の人達が楽しそうに同じ場所で写真を撮っている比較写真というのを見た事がありますけど、あなたが今座ってるその場所にまさに死体が数体転がってたのよ!なんてのは普通だったと記憶しています。まあ、当然と言えば当然ですけど。

同じような事は瑕疵物件と云われるところでも同じなんでしょうが、霊感の無い人にはまさにディスカウント物件そのものなんでしょうね。凄いもんです。やがてはみんな分け隔てなく彼方(あちら)の世界に逝くというのは100%確かな事ですから、気にしない人は気にしないんでしょうが。

実は、今回こんな文章を書いたのはある病院の跡地に最近建った名古屋のマンションを通りすがりに見たからです。私としてはある規模以上の病院では大体どれくらいの間隔でどの程度の方々がお亡くなりになるのかというのは感覚的に理解できますので、そこの病院の病床数と標榜科、そして築年数を見るとどれほどの方々がトータルでその病院の建物でお亡くなりになったかと推定できてしまいます。

そうすると、この病院だけで恐らくXXXX人という概算を出すと「そこの跡地にマンションか~」となってしまう訳で、霊感とは縁の無い私もちょっと考え込んでしまいます。w

同じ事は実はあちこちにあるんですけど、皆知らないだけ。例えば、実は茶が坂の上の方には昔の航空写真の撮られる更に前に火葬場があった事が判る地図がるのですが、そこにも今では普通にアパートが建っていたり。

時の流れというのはある意味全てを流し去っていくんですね。

2025年11月10日月曜日

嫁さんのB’z好き

嫁さんが今度名古屋にやって来るB’zのライブに向けて一人で盛り上がっています。

今家では嫁さんが新しいB’zのアルバムの詩を必死で何度も聞いて耳に覚えさせていますね。

S席というのが当たって、私自身は一番いい咳だと思っていたら左にあらず! その上にはSS席。その更に上にはプラチナっちゅうのがあるとかないとか言っていましたが、何とも私の常識とは異なる世界のお話です。

それではそS席のしたがあるのか?と聞くとそれも当然あるそうで、A席というのがあるのとそのもう一段下の装置の脇みたいな、ほとんどステージを見る等という事とは異なる席なんだそうです。

それでも、今回の嫁さんの籍でありS席は13,000円との事でそれなりの値段です。嫁さん曰く、自分が高校生の頃はこういったチケットも3∸4,000であったという感じだったそうですが、いやそれ何年前の話?という事ですよ、全く。

さて、こうして抽選に抽選を掻い潜ってゲットしたチケットも今時はスマホで購入者の名前表示があるだけでなく、時間が刻々と経過していく様までスマホ表示のチケットに表示されていて、コピペでの転売は勿論出来ない上に、時間指定きちんとされるという厳格なシステムになっているようです。

一昔前には野球の観戦券でも、コンサートのチケットでもダフ屋というのが堂々とチケットを転売してその利ザヤを稼いでいたものですが、転売ヤーに対する世間の厳しい目が現代の電子技術と合体してそう言った事自体を次第に不可能たらしめる状況に追い込んでいるようです。

さて、このチケットのみならずもう一段厳しい戦いがあったようです。それは関連グッズの購入権取得合戦!最初何の事を言っとるのかオジサン良く解らなかったんですが、どうやらシャツやパーカーその他B’z関連の細々した小物を購入するための列に並ぶ権利を得るのも抽選だったようで、それに当たって嬉々としている嫁さんを見て私は「・・・」という感想しか持てませんでした。宗教法人のお布施かよ!と歯の裏まで出かけたのですが、言いませんでした。w

今度の土曜だったかな?11時には家を出ていって5時過ぎ開演のライブに備えるんだそうです。メデタシメデタシ。

私は息子と外出ですけどね。

2025年11月9日日曜日

変革は時間との闘い

世の中で「病院の外」の世界、いわゆる普通の生活をされている方々にとって、病院内の世界、医学の世界がどう変化してきているのかを見るのは大変に難しいと思います。

以前から書いていますが、このレベルの医学的診断システムと治療システムを、値段や規模も含めてこれだけ手軽に得られるのはやはり日本がダントツだと思います。しかし、これらの利便性を提供してもそれが「当たり前」だと思っている人達にとってはそのサービスが受け容れられないのは不満のネタになります。

こういうのは自分が海外に行ってその医療サービスを受ける為の金銭的負担や予約をゲットするまでの非常な不便さを理解できないと日本自身のシステムの便利さが如何に素晴らしいものかは到底理解できる訳もありません。当然ですが。

物事というのはサービスであれ実物であれ「比較」や「競争」をする事で初めて自分の立ち位置というものを理解できます。海外の富裕層が日本に向かって金を使ってでも医療サービスを受けに来ようとする人間達が大量に居るという話も全く不思議で揉んでもありません。

アメリカの医療サービスの話はここで何度もしてきたからもうあまり書く気もありませんが、例えば私の友人のスコットランド人が自分のラボで話をしてくれた話では「今はもう亡くなった親父さんが腰のしつこい痛みを訴えるのでCTを撮って貰い原因を追究するまでにすでに体中に癌が拡がっており、待っている間の長い長い時間にどんどん病気は進行していったんだ。でも、滅茶苦茶高い割増料金を払ってプライベートのレベルで診察をしてもらうと幾らでも待ち行列に割り込みすることが出来るんだよ」というような話を聞くと、日本の医療の公正性と普遍性が理解出来ようというものですが、さてこんな事を知っている人なんて殆どいませんよね。

しかも、マスゴミや弁護士は医療の粗探しとその「結論ありき」の歪曲報道に大忙しですから、こんな事実を報道しても何も金にならないと判っていれば報道なんてしないでしょうし。

改革は先の見えている一部の人達が率先して国家のレベルでどんどんしていかないともう時間的に追いつかないところまで来ています。今の日本医師会も医療人を結集させる力などとうの昔に失っておりまして、荒廃した状態にある歯科医師の世界の二の舞になるのではないかなと私は個人的に思っています。

日本の医療人も実際、物凄く金銭的に追い込まれています。恐らくクリニックのみならず大きな病院も10年経たずにあちこちで巨木が割けて倒れる雷鳴のような音を聞く事になるのでしょう。スピードをあげる事、正しい事を正しくやっていく事の必要性があるのですが、しがらみと間違った判断が続く現状ではそういう期待もむなしいのが現況です。

まあ、そう言った医療崩壊が明確に後戻りできない状況になった時点では私は既に引退しているでしょうから関係ないんですけどね。

2025年11月8日土曜日

熊の及ぼす実害の現実を見ろ

 熊退治で熊の保護を主張する連中というのは人というものはそもそも今の場所で生きていく必要など無いと考えている人達なのでしょうか。

人はそもそも動物を山に追いやり、植物を刈り取り役に立つものは家畜に、食べられるものは食用植物として品種改良を加え続けて人に役立つモノを育ててきました。その力を借りて人口を増やし、それらを使って道具を作り更に発展してきました。

そして現代。気候変動の影響なのでしょうか、極端に今年の山は熊にとって餌が無い状況に陥っているとの事で、食べ物を探して熊がガンガン下りてきている所為で人と遭遇しては襲ってきている事が始終報道されています。

そもそも、熊が続けざまに人を襲う状況で死人が連続しているのみならず、多くの人達が生活の場として今の住居が住居として成立しなくなってきている様であれば、それは現実的には二択しかありません。その選択とは熊を追い払い、狩り、退治するか、それとも人が去りその場を明け渡すか。

そう言った時、通常我々に残された選択肢は熊退治。所詮、人間なんて同じ場所で熊との共存なんて出来やしません。

歴史上数々の凶悪かつ凄惨な害を人に及ぼして来た熊を保護する事を強硬に主張し役所に保護の電話を掛けてくような連中というのはまず①ほかにする事の無い暇人で、②現実を見ようともしない人間で、③害を為す熊を自宅に送られてきても何とか対応できるような腕力と優しさのある人々なのです。w

そう言う連中との対話など所詮、現実の前では無駄な時間。一秒の対話が一秒、5分の応対が5分とも全て無駄な時間で、まさにThe waste of time。

目玉が飛び出し、脳味噌を齧られ絶命した人々の御遺体を前にしても熊を狩る事を反対という連中等は端から無視して先ずは人が安心して生きられる状況を作り上げる事こそが肝要だと思います。銃、弾薬、足代、燃料費、退治の御足労代。全て今の数倍にしてハンターに出し手然るべきでしょう。

命を懸けて熊退治しているのにそれを罰する馬鹿公安委員長。現実見ないお役人根性様々ですな。事勿れ事勿れ。きっと「責任は俺がとる」等という男らしさとは無縁の根性腐れなんでしょう。

2025年11月7日金曜日

雨が好きというのは変わってる?

NIHで研究をしていた時、何かの話の拍子で「雨が大好き」と言った時、スペインの女の子から露骨に嫌な顔をされた事があります。

バレンシア、バルセロナあたりに住んでいた女の子だったのですが、雨が降ると気分が憂鬱になって嫌な気分に一日中苛まれるという事でした。私はその話を聞いた時に内心では「君は気圧に影響を受けるタイプじゃ無いの?」と歯の裏まで出かかっていたのですが、それは言わずに飲み込みました。

私はと言えば、小さな頃から雨が降る度に婆ちゃんの家の畑に飛び出して畑の土をほじくり返し奇声をあげていたおかしなガキでしたので、雨が大好きな理由などというのは遺伝子レベルでの話なのでしょう。カエルの生まれ変わりなのかもしれません。

そもそも、雨が降った時には雨音を聞きながら廊下の板間で横になって雨音を聞いたり、軒下に住むアリジゴクの巣を眺めたりするのが大好きでしたから、その音が私には心を癒す音楽に聞こえるのでした。何かの本で、日本語話者というのは雨音をリズムとしてとらえ英語話者はノイズとして捉えるというような話を読んだ気がしますが、そう言うのは影響あるんじゃないかという気がします。知らんけど。w

だから、キャンプ時に限らずとも雨が降るというのは私にとって喜びでありこそすれ、頭痛のタネや憂鬱の元などという事は決して無いのでした。むしろ、そう感じる人の話を聞くにつけ「気の毒だな」という風に感じてしまうのです。

タイやベトナムのような雨季が長いエリアの人達にとって雨というのはどういう捉え方をされているのか知りませんが、私にとっては蒸し暑く大量の雨が降るエリアのものであってもそれは癒しの音に聞こえるようにしか思えません。

エンジンと云われる人の変な感覚。人に伝えるのはtかなり困難です…。

2025年11月6日木曜日

酒が「全く」飲めない親父の送ってくる酒

私の両親はアルコールに対する強さが全く違います。

母親の方の家系はアルコールが滅茶苦茶強く、かつ好きです。いわゆる嗜好品のレベルですね。メチャクチャ小柄なのに500mLのビールを毎日美味そうに飲む様に人ですが、これは母方の親族全体がそうで、叔父さん叔母さん関係なく酒は強くかつビール好きの皆さんでした。その半分は既にこの世を去りましたが、親族の集まった年末年始の食事会はほぼ完全に飲み会という奴で、子供達は酒が入って楽しそうに話し合う叔父さん、叔母さんの間を走り回るものでした。

叔父さんの一人はアルコールで完全に肝臓を壊しましたし、南方から帰って来た爺さんは戦後比較的早く、母親が中学生くらいの頃に高血圧による脳溢血で逝ったと言われています。その爺さんも実際酒好きで、素面の時は理系の賢い爺さんの様でしたが、酒が入ると結構周囲の人に迷惑をかけたという話を叔母さんから「伝説の様に」聞いた事があります。

では私の父親の方はと云うとほぼ誰も酒を呑まない人々。私が大学生の頃に亡くなった長男である叔父さん以外は皆酒に対してアレルギー反応を起こしてしまうような人達です。

親父はコップ半分のビールで体中に発心が出てしまう様な「酒が毒」という人ですが、その二人の間に生まれたハイブリッドである私はどちらかと云うと普通に飲めるし、弱くも無いけど底無しなどというような人でもありません。

そんな親父が何時も季節ごとにあるお酒を送ってきます。それが都農ワイン。シャルドネやマスカット・ベーリー等をセットで送ってきます。その上、知り合いが幾らでも売ってくれるという百年の孤独が送られてきます。賞をバンバン獲るような酒ですので、味に関しては間違いがありません。

親父が「珍しいらしいよ」等と暢気なコメントをLINEで送って来ては「飲むか?」等と聞いてきます。勿論それにはYESと答えて送って貰っています。^^自分では余りワイン、焼酎は買いませんのでそういう意味では有難いです。

ちょこちょこと飲みながら九州の方へ向けて酒を送ってくれた両手を合わせる今日の夜でした。

2025年11月5日水曜日

今あるものを修理して使う

新しいものに置き換えるか、今あるものを補修・修理して使うのかという選択が時々波のようににやって来ます。

金額によってさざ波だったり、大波だったりしますが、自分としては持っているお金の量に関係なく「修理して使う」というのがかっこいいと思っています。「かっこいい」って何だよ!って言われそうですがそれは文字通りかっこいい考え方という事。

新品に買い替えてそれを愉しむのもソレはソレで有りですし、そういう人達が居ないと経済も回らないのでしょうが、私はデフレを作る側の人間になるのでしょうね。^^

ジーンズの後ろポケットにいつも財布を入れ続けているのですが、その四角い財布の角っこが何時も同じ位置に来るせいで遂には擦り切れて穴が二か所開いてしまいました。今回、そこにパッチを当てて嫁さんに補修してもらいました。人によっては眉を顰めるのかもしれませんが、今回当てたエビフライと毛虫のデフォルメされたパッチは素直に可愛いと思いました。可愛いは正義!w 嫁さんに感謝です。

同じような事は私の場合、自分の車にも当てはまります。アメリカに住んでいた時も趣味は車の修理とメンテナンスでしたし、簡単な?メンテナンスを行っていくことで車が何時までも最高の調子を維持してくれることに大きな喜びを感じていました。やっぱり自分のネイチャーはこっち側にありますね。

壊れたものは修理し続ける。可能なら古いものに命を再び与える。例えば中古品の服からかっこいいものを見つけて再び私の生活環のなかに呼び戻す事で生まれ直しを寿ぐのも良いんじゃないかと思います。本なんかもそういうリサイクル品を買う事も多いのでおんなじ考え方でしょうか。

限りある資源を有効に!トランプとは反対の考え方でしょうか。^^


2025年11月4日火曜日

別の先生の病棟でまた新型コロナが拡がった

愛知県全体では新型コロナは収束気味のこの頃です。

ここ暫く、というかここ一年以上の新型コロナの流行り具合を眺めているとピーク時の高さが次第に低くなり、ピークの発生する間隔も次第に長くなって、ちょっとずつそのピークの山自体もなだらかに拡がっているような状況になっている感じです。

私には物理のグラフで見るような減衰曲線そのものの様に見えるんですが、実際にその曲線の解析がどうなっているかをシミュレートしている統計学や理論生物学、感染症学の研究者達もいるでしょうから答えは出ているのでしょうが。

新型コロナ感染時の症状も最初の頃とは大きく異なってきました。当初の新型コロナは重症化して両肺に広範囲に広がりを見せるような広がりを見せましたが、最近は病棟で新型コロナが発生しても多くの人で1~2日だけの熱発と上気道炎を起こして薬を服んで収束というパターンが増えています。

しかし、熱発などの初期症状が収束したからと言ってそれで終わりでは無いのが新型コロナの嫌らしいところ。実は高齢者においては新型コロナに感染したあと「一見すると」症状が消退しも大丈夫かな?と思う時期になって今度はADL(日常生活における活動性)が大きく低下するとともに、食欲が急速に低下するようなパターンが非常に良く見受けられるのです。

結局、新型コロナによる感染での一次症状で亡くならずとも、その影響による二次的な影響で食事を摂れなくなり時間をかけて亡くなられる人々が多い事に驚かあされます。勿論、何事も無く戻って来られる方が殆どなのですが、新型コロナで亡くなられるインシデントがまだまだ多いという事実を忘れない様にしなければならないという状況には変わりがないという事を今の病院で感じます。

加齢というのは本当に何事も悪くする第一等の要素です。

2025年11月3日月曜日

こんな熱い勝負を見せてもらえる幸せ

 やっぱり超一流が集まったチーム同士の闘いは素晴らしいの一言に尽きます。

ドジャースとブルージェイズの死闘をテレビで視聴していて「あー、アメリカのスポーツ・バーで観戦したかったな~」と思いました。

バージニアにいた時は何か大きなスポーツの試合、特に地元のカレッジバスケが大事な試合をする時には近所のスポーツ・バーに行って地元のみんなで大盛り上がりをするというのが大事な行事でしたので、書いているだけであの時の感覚が蘇ってきます。

今回のWSの決勝は結局第7戦までもつれ込むというMLB機構にとっては夢のように素敵な流れでしたが、やっている選手達にしてみれば「堪らんレベル」の辛い日程だったと思います。しかし、観戦している我々にとっては今回のWSほどの激闘を見る事はもうないのではないかという程に劇的な闘いの連続であったと思います。

あの一球が「もし」入っていたら、あの一球が「もし」取れていなかったらという様な「もし」の連発でした。歴史に残るプレイからの決勝への進出、そして決勝でも本当にすり抜けるような薄氷の勝利でした。

私は個人的にはブルージェイズにも十分勝機はあったし、実際に勝っていても全くおかしく無い流れだったと思います。それでも負けは負け、勝ちは勝ち。実質的にはMLBと言ってもカナダ対アメリカみたいな側面もあったような気がするんですけどね~。そこに関しての記事を探してみると実際にありました

なんと、最後の試合などはカナダ人の45%が観ていたという「マジですか?」というレベルの怪物的視聴率。有り得ない程の数字ですよね。orz

勝っても負けてもプロの凄さを「見せつけ」てくれた二つのチームに心から感謝です。大谷は勿論、佐々木もロハスもフリーマンも、シャーザーもゲレーロJr.もそして勿論の大投手「山本様」も!あの7連戦を観戦して野球を好きにならない人は居ないと思います。

そう言う意味でも物凄いものを見せて頂けたと感謝しています。

WSで連覇を成し遂げたチームも今までの歴史の中で数チームありますが、偏り多し。ココにあるようにNYの5連覇という記録がありますが、第二次大戦終了後から数年後の記録です。ドジャースの黄金期が果たしてくるのか?

見ものですね。


2025年11月2日日曜日

亡くなったワンコを偲んでのジブリ・パーク

我が家にいたワンコはSpookyという名前でした。

以前もここでちょこっと書いたんですが、名前の由来はハロウィン生まれだからというものです。この名前のおかげで、ハロウィングッズに良くあるSpookyという表示タグや飾りを手に入れることが出来ます。

今年も我が家ではあちこちにそういったハロウィン由来のネームプレートが貼られていましたが、今日はそれだけでなくこの子を連れて散歩に出ていたジブリ・パークへの散歩を結構しようという事になりました。いわゆるメモリアル・ウォークみたいなものと思っていただければ良いのですが。

散歩に行く事自体は数日前から決めていたのですが、幸いにも雨が降る事も無さそうで我々は息子と私と嫁さんの三人で片道6.5キロのグリーン・ロード沿いの道を何時もの様に歩き始めました。寒くも無く暑くも無く、風も吹いていない絶好の散歩日和でした。

息子も元気で、ニコニコ笑いながら、公園までの道のりを歩いてくれます。嫁さんと何時もの様に愚にもつかない馬鹿話をしながら淡々と歩いて、昔車でやって来てはワンコと共に散歩をしていたエリアでモスバーガーを食べるのは美味しいものです。

そこに遅れたワープしてきたのが、リニモに乗ってやって来た次女。彼女こそが本来のワンコの飼い主だったのですが、Spookyが亡くなってからはニャンコの方に心を寄せがち。まあ、合流してからは彼女も交えての回想があったのですが、涙が出る事も無くひたすら懐かしい話ばかりでした。そして帰りも娘はリニモに乗ってワープ。何やってんだか。

我々三人は、そのまま歩いて帰りましたが、娘から預かったワンちゃんが使っていたリーシュとハーネスを持ってエア・ドッグ散歩をしながらの帰宅。何だか飼い主の言う事を聞かない我が家のアホ太郎の居た昔を思いだしました。

途中アピタへ寄って夕食の食材などを買い込んで一休み。家に着く直前にちょっとだけパラパラと降られましたが、実害も無くなかなか充実した一日でした。

実は家を出る前に体重測定をして水を飲み何時もの様にジブリ・パークでモスバーガーを食べて帰ってきたらどれくらい減量に効果があるのか、それとも無いのか。試すのも一つの目的でした。

取り敢えず、標準的な計算式で計算させた私の体重での消費カロリーは凡そ800キロカロリーと出ましたが、まあこれは多めのカロリーの食事の一回分くらいはありますかね。モスで食べたのはダブル・モスチーズバーガー575キロとポテトのSが175キロだそうで、更にオレンジジュースとナゲットを二個食べましたから、私の今回のダイエットは全くの失敗で、プラマイゼロどころかちょいオーバー。しかし、結果から言うと、お茶をガンガン飲みながらの行き帰りにも拘わらず家に帰りついて量ってみたら200グラムの減量となっていました。^^(13キロ歩いてこれだけか!orz)しかもその後夕食食べちゃったし。

結局、体重のコントロールは食ったものの量が多いとダメって事です。馬鹿か。w

2025年11月1日土曜日

医学部志望とか大丈夫か?

 最近良く聞く「直美」という言葉を御存じでしょうか。

保険診療の世界ではない自由診療の世界である美容整形外科に若い時にそのまま直に飛び込んでいく皆さんの事。何とも恐ろしい事で、一般内科の知識は勿論その他の医学関連の知識に関しても医師国家試験レベルのものしか知らずに美容整形外科医として「カネ」を得るためにその租界に飛び込んで行く訳です。

実は今、この現象が医者の間では結構な話題になっているんですが、これはもうこれは生き方、哲学の問題であって、(私立卒の皆さまが多そうなんですが)その他の若手でもこの直美で生きていこうとする人間が増えているという話なんですね。消えゆく命を直接救う事、悩める症状を何とか救おうというような今迄の医師の標準的な印象とは全く関係ない世界の話です。

我々の研修医の頃の美容整形外科に対する印象は正直言って「アッチの世界」の人達という感じで、同じ医師としては認めないみたいな感覚があったのですが、彼らの得るモノは勿論物質的御利益。それを我々保険医側は「武士は食わねど」風に眺めていた訳です。

ところが、財務省の主導する医療費抑制の世界が病院を潰していく方向に明確に舵を切った事で一般に「医師」と呼ばれる保険医の世界が音を立てて崩れ始めているというかなり明確な事実が目の前に出現し始めた事で、一般の非医療界の人達の目に見えないところで色々なものが大きく変わり始めています。

実は、日本人の「個人の頑張りで人的不足の空いた穴を埋める」という何時もの悪いパターンでこれらの崩壊部分が支えられてきた訳ですが、そういった世界に見切りをつけているのが哲学など関係なく医師国家試験を乗り越える事だけに特化して努力した直美の皆さま皆さま。

彼らの未来などというものがどうなろうと我々の知ったことでは無いのですが、医学部に合格する事を至上命題であるかのように送り込んできた愚かな私立高校の進学指導の成れの果てが今の歪んだ若手医師の世界観を作り上げているのかと思えば、崩壊した後の世界を財務省の皆さまがどのように眺め、政治家と共に非難の嵐に晒されるのかはこれから先の話です。

荒涼とした医療の世界。実はそんなに先の未来では無いのですが、まあその頃は自分自身は引退してますけどいざ自分が治療される側になったらどうなっちゃうんでしょうかね。直美に頼む事など何もありませんが。


2025年10月31日金曜日

ムラサキおばちゃんの破壊力

やっとというか、何というか一連の騒動は一体何だったんでしょうか?

伊東市の田久保市長の除籍隠匿経歴詐称オバサンが遂に退場というか退学になりました。民主主義がこういった事態に対して無力であることを改めて見せつけた状況となりましたが、まことの意味で「恥を知らない、感じない」タイプの人間の恐ろしいほどの強さを見せつけられた気がします。鉄面皮というのは滅多に実物を確証付きで見られるものでは無いですが、今回は(伊東市の選挙民の皆さんには申し訳ないですけど)見させていただきました。

それでもこの短期間の就任で200万弱の退職金を掠め取っていく訳ですからこの前の出直し議会選挙での6300万前後の税金と云い酷いもんです。おまけに市長選は追加の2500万円。このムラサキおばちゃんは今後伊東市に住み続けられるんでしょかね?後ろ指をさされながらあの真っ赤な小型車で近くのスーパーやレストランに行き続けるんでしょうか?鉄面皮ですからそれくらいは十分にあるのかもしれませんが。

結局、学歴詐称の履歴詐称というのは犯罪ですから、東大法学部を中退だろうと東洋大法学部を除籍だろうと大卒では無い訳で、卒業していないのに卒業したというのはやっぱり詐称であって人に選ばれる人間としては完全にアウトです。

最後の最後まで同じ東洋大卒と云われる弁護士の浅知恵に乗っかって醜態を示した訳ですが、この弁護士の愚かなところは試合に勝って勝負に負けたみたいな選択を受け容れた事でしょうね。一時的には法廷闘争みたいな感じで引き受けたんでしょうが、クライアントの鉄面皮に更に恥まで上塗りしてあげたのが東洋大法学部の限界でしょうか。

正しい人を選ばないと民主主主義も一気にこれほどガタガタになるというトンデモナイ見本を痛みと共に日本中に見せてくれたのでした。詐称を見抜く事は通常は調べるまでもないファクトの筈ですから普通にはムリでしょうが、今後はこういった経歴に対するファクトチェックは普遍的になって来るのかもしれませんね。

「名をこそ惜しめ」という言葉、この破壊力抜群のムラサキおばさんは東洋大学で学ばなかったようです。w

2025年10月30日木曜日

書類、書類、書類

最近の病院の医師の仕事は本当に書類との格闘です。

昔研修医だった時にはもっと自分の勉強や他の仕事に時間をたくさん割いていた記憶があるのですが、最近は病院でどのステップを踏んでもペーパー・ワークで仕事の時間が圧し潰されそうです。

完全電カルであれば、あるステップから次のステップに移行する時点で必要な書類が自動的にプリントアウトされてくるのですが、自分の勤める病院ではまだそこまで出来ていないので、そこを手動でしないといけない上にいろいろな情報を紙カルテで掻き集めて一つにまとめるというトンデモナイ昭和の仕事ぶり。

何のためにコンピューターというものがこの世に存在しているのか全く理解できないレベルで愕然としています。要するにシステムというのは通常トップダウンで決められるものですから、その様なシステムを導入する意義を理解できない人間がトップもしくはその近傍に控えていると「ムダ金」と映る訳です。

フル電子化によってもたらされるメリットは計り知れないのですが、現場にいない老害ちゃんレベルの事務系の人間にはそういう言う事が全く理解できない輩が世の中には沢山居るのです。例えて言えば金の卵を産み続けるニワトリが他のニワトリよりも高いけれども、時間が経つにつれて金が溜まっていくのはそのニワトリを買った人間になるというか事が理解できない。もう終わってます。w

ですから、こういう決断が理解できない人間にはお引き取り願うしかない訳ですが、こういう人間が病院経営者の腰巾着だったりした時に、経営者がアレな人だったりすると判断が遅れ続ける訳です。幸い私の勤める病院は理事長がある程度そのあたりは理解しているようなので問題は無いと思いたいのですが…。

ちょい話がずれましたが、病院の電子化は進むものの医師が作成しなければならない書類は役所向けのモノも患者さん及び家族あてのモノも含めて増える一方です。なんの事は無い、電子化されても時代の要求が逆に昭和の頃より紙の書類のプリントアウトを増やしているというまことにお粗末なお話なんです。

大学病院などでは、治療開始や術前に誰が読む?というレベルの小さな文字がビッシリと印刷された分厚い紙の束がプリントアウトされてきたあと、その多くにサインを次々させられる訳ですが、コレって説明というより万一の際のエクスキューズの説明書ですよねという気がしてならないんですが、それが時代の流れというものなんでしょう。

役人と弁護士が幅を利かす時代と国に碌な事は起きません。

2025年10月29日水曜日

初デイ・キャンプ

 先日届いたキャンプ道具を実際に現場で展開使用してみる為にデイ・キャンプを考えました。

夜間に丸一日を通して使う可能性のあるキャンプ道具というのは実際にその現場での快適性のみならず、命にかかわる道具でもあります。薪ストーブ、石油ストーブに絡んだCO中毒は命を奪うネタになり得ますし、寒さを防ぐその他数々の道具は文字通り凍死のリスクを回避させてくれる命の防具。そして、雨露を凌ぐ防水関連のシステムはこれも命に直接つながる重要な道具です。

何のかんの言って、キャンピングでは所詮は非日常で、何か困った時に医療や安全のシステムが傍にある訳でも無く、何から何まで殆どが自分の責任で行われるもの。寝る、食べるという基本的にはたった二つのこれらの事を達成する事がキャンプのコアな部分。

これら二つがきちんと出来る環境の準備を行う事がスムースに出来れば後の修飾は贅沢なおまけです。勿論、余裕が出来て来るとこれらのコアな部分以外にいろいろと付け足していく事が出来るようになる訳ですが、私はまだまだど素人ですから設営してカレーを作って空いた時間にちょこっと本を読むくらいで全てが終わってしまいます。w

まあ、それで良いんですが!

今回は三河高原キャンプ場がそのチェックの舞台。そもそも最初は三河湖の脇の山彦キャンプ場に行ったんですけど、水曜の平日には休業状態になっていましたので、グーグルで探すと車で20分の所に三河高原キャンプ場がある事を発見。先ずは電話をしてみると、4時までならデイキャン出来ると言われましたので、よろしくお願いしますとなりました。

実際に行ってみるとキャンプしているのは私だけ!しかも広々としたキャンプ場のどこを使っても良いと言われましたので喜んで山側のサイトを貸し切りとなりました。牧場側も魅力的だったのですが、取り敢えずは水場の近くできちんとセットアップと確認をするのが最大の仕事ですからここで良かったのです。

実際に展開して生まれて初めてタクード(石油ストーブ)をテント内で使いましたが、ナルホドこれは素晴らしいと思いました。暖かくなるだけでなく、メスティンを使ってあっという間にご飯も美味しく焚けました。

今回は練習という事で、テントも真面目には張らず、その他のモノも展開と収納の練習に集中しました。そもそもココに着いたのは12時前後。セットアップが終了したのは一時間程度。読書の時間はそれでも一時間ほどあり「言志四録」を読むことが出来ました。

途中、雨に降られる事も無く、少しだけ肌寒い中で天を仰ぐ姿勢での初デイ・キャンプでしたが、ハヤシライスも美味しく食べられて何よりでした。^^

今度はこれらのシステムを使ってO/Nでの滞在が目標です!また楽しくなってきました。しかし、やっぱ料理には到底力を削ぐレベルには到達しとらんですね。( ;∀;)


2025年10月28日火曜日

うわーっ

遂に恐れていた事が起きるようです。

とは言っても、ホラーその他の出来事を経験した訳ではなくて、時折ポストに投函されるペラペラのお知らせが我が家では最近一喜一憂のネタになっているのでした。

それは私の住むマンションの隣に「遂に」何が出来るか判明したからです。私がアメリカから帰って来て今年で11年目。マンションに移り住んで10年の時間が経とうとしていますが、当初ここに移り住んできた時に隣にあったのはある大手の会社の独身社員寮でした。

それも2~3年程度で廃寮となり、今年の初めまではそのままずっと誰も済まない部屋の群れが目の前に奇麗に管理されたまま残っていました。しかし、それが急に動き出したのが今年の春から。急に解体作業が始まり更には整地作業がずっとずっと続いていたのでした。

内心で「あ~、遂に誰かの資本が投入されるんだ…」と思っていたのですが、つい先日我が家のポストに投函された紙には「駐車場が出来ます」というもので、嫁さんと二人で「良かった良かった取り敢えずこんな所に企業の税金対策かなんか知らんけど駐車場が出来るんだね」と喜んでいたのです。しかし、内心では一体いつまでそんな使われもしない駐車場がそのまま駐車場で」ありつづけるのか?いやそれは無いだろうと答えを自答で返してきます。

それから二週間も経たないのに今度は「やっぱり」の紙切れが入ってきていました…。それは案の定、というかほゞ当たり前の通知である「新マンションの建築工事開始の挨拶」でした。

案件の紹介によれば高さは5階建ての低層マンションで、自分達の住んでいるマンションと視線がかなり重なる状況です。渡した詩の家はその新マンションに対してバス・ルームが見える側になる状況で、唯一そこだけが気がかりです。

自分たちのマンションは以前ここに建っていたマンションが解体されて出来上がったものだという事は知っていますが、やっぱり如何なる建物も立てては壊され建てては壊されですね。しかし、日本はそのサイクルが早すぎ。アメリカやヨーロッパではビルでも50年100年は当たり前。我が国もどうにかならないんでしょうか。

新築マンション、きっと高いんだろうな。材料費上がってるし…。

2025年10月27日月曜日

いろいろなキャンプ用品追加購入

 結局、この前のキャンプに行った後に徹底的な持ち物に対する吟味と反省を加えました。

そもそも前回のキャンピングでは持っていった荷物の半分は「要らんもの」という事が明白になりました。アレも要らん、コレも要らんという感じの連続で、テントサイトまで持っていったいろいろな荷物の半分は手も着けないでそのままという状況でしたので、余りの己の無計画さに流石に啞然という感じ。orz

そこで、足りないものを頭で想像していろいろとベストなものをアマゾンやネットで渉猟。レビューは写真や動画を添えているものを中心に参考にして買い物ボタンを押しました。

買い足したものは以下のような感じ。

  • インナー・シュラフ
  • コット
  • 緊急用ラジオ(ライト付き)
  • 電動エアモーター
  • 携帯浄水器
  • 水タンク
  • 灯油タンク(ストーブ用)
  • 小型の吊るし電球X2
  • OD缶CB缶アダプター
という感じでした。全て、キャンプをした時に「ああ、これがあると全然違うのに~」というものを厳選しました。結局、最初からベストのものを…等という様な効率の良い最小投資というのは出来なくて、経験値を高めるのはやはり少々の出費と火傷が発生するのかなと思います。(特に私のような無計画な人間には!)

実際に家にやって来たものを展開して確かめてみたら、今までのモノとは劇的に違い過ぎて感動してしまいました。結局、右に左によろよろしながらも最終的に持ち物をミニマイズしたキャンプに行ける事にチャレンジしている状況が一番楽しいんだと思います。

その上でキャンプを愉しむというギヤを気にしないところへ到達したいなと思うんですが、辿り着けますでしょうか。繰り返していくだけです。

2025年10月26日日曜日

事勿れ事勿れ

熊退治の件でずっと思うのは「ことなかれ主義」という言葉。

語源は大正時代に発生との解説を載せていおりますが、例えば職場等においては以下のような特徴を持つとの記述があります
  • 会議で改善提案など積極的な発言を控える 
  • トラブルが発生しても様子見の立場を取る 
  • 新たな挑戦より現状維持を選択することが多い 
  • 問題を見つけても直接指摘しない
まあ、何だかその通りだよなという感じの事例ですが、AIの誰も傷つけない心優しい解説によると問題やトラブルに直面した際に、波風を立てずに穏便に済ませようとする考え方や態度のことです。具体的には、問題を指摘せずにその場しのぎで対応し、対立を避けることが最優先となる姿勢を指します。このような態度は、日本の文化において調和を保つことが重要視されるため、長らく許容されてきました。とあります。w

結局、こういう事を今の時代も続けていると最後に待っているのはかなりの確率で突然死ではないでしょうか。事を荒立てて騒ぐだけ騒ぐ無意味なレベルの事大主義も愚か者の所業でしょうが、眼の前に見えている問題に蓋をするようなやり方は本当にどうにも通用しない時代。そういう意味では突然死というのは外聞の人間から見るとそう見えるだけで、内側の人間から見ると死に向かって進む茹でガエルのような組織の死が見えているのではないかと思うんですけどね。

丁度、日本陸軍が開戦前の若手将校たちのシミュレーションで日本の完敗を見事に予想していたのに、開戦した後はまさに上に箇条書きで書いた様な行為の連発で「誰も責任を取らずに」結局大爆死。大量の日本国民を死に追いやり、塗炭の苦しみを日本人に与えました。

組織のそれぞれのセクションにいる人間とそれを束ねるトップの判断力、決断力が下々に付き従う人間達の命運を握っている訳ですけど、ダメ人間を上司に持った時の付き従う部下達は本当にお気の毒というしかありません。というか、ダメと見切ったらその組織から早めに逃げ出さないとね。こういう場合は選んだ側の責任というか能力にも問題ありという事でしょうか。^^

こういう文章を書いていると、自分の属する組織は本当に大丈夫なのか。自分自身がダメ上司になっていないのかという事を常に客観的に反省しながら組織を観察していかんとアカンなと改めて思うのでした。

実はこういう文章を書いたのは、本日の会議でこう云う「事勿れ」的な発言を繰り返す病院の事務系の人間を今日見て改めてその意を強くした事からの反省文でした。

2025年10月25日土曜日

熊の被害は異常

最近報道される熊の被害って本当に多いですよね。

これが本当にマスゴミの作り出す虚像か否かという事も含めて熊の出没や被害状況というのを環境省のデータで見てみるとR5年の突出した被害の増加、特に東北三県の秋田、宮城、岩手そして北海道というのが目立ちます。

次期はやはり冬眠前なのでしょうか10月が最悪で、12月にほぼ終息と言っても良いようですが、近年の目撃件数の増加は熊の自然増と完全に一致している様で、許可捕獲と狩猟捕獲とを合せると一貫してその捕獲数の増加が右肩上がりだという事も一目瞭然。30年前と比べると捕獲数が概ね5倍になっているというのがヒグマもツキノワグマも一貫して確かなようです。

この熊対策なんですが、関係者の中も保護派と退治派に別れているのだそうですが、それは当然でしょうね。学術関係者や観光関係者を中心として保護派が、地域住民や猟友会の人達を中心として退治して数の調整をという人々が喧々諤々の状態みたいですけど、公安庁の愚か者の決定で猟友会は熊退治には積極的には関与しないという方向に大きく舵を取りましたので、今後も熊の出没数や人的被害は増え続けるのでしょう。

私のような熊の世界との関りがたかがキャンプ時の熊の出現の心配程度で済む人間には大問題ではなくとも、エリアに住んでいる人達にとってはまさに生存に関わるレベルで熊が出ずっぱりになっている訳で、通勤通学、農作業、そして普通の日常生活が消えていく中、果たしてどこまで熊寄りの姿勢を保持できるのかが一つ。保護派の学者の皆さんは現地に住んでも同じ事を言い続けられるのかが一つ。そしてこれからは例え退治すると決定しても猟友会はよっぽどの援助とその他の法的に明確な確約が無い限りは命と経済的リスクを晒してまで、国に協力する事は無いとなった時、一体誰が熊退治に出ていくんでしょうか?

警察のお粗末な銃では退治は無理なのは自明ですし、次はいきなり自衛隊?無いですよね。常に後手後手の行政の皆さん。あと何人犠牲者を積み上げれば熊の数のコントロールを開始されるのでしょうか?

関係者の言葉が印象的でした。

「クマの大量出没の原理は、コップとその中の水にたとえると理解しやすい。コップの大きさはそのエリアで許容できるクマの生息数の規模、水の量は実際の生息数だとすると、水の量はある程度、余裕のある状態が望ましい。 餌不足でコップが小さくなったとしても、あふれ出ることはないからだ。しかし、すり切り一杯な状態だと、許容量が下がった途端、一気に水があふれ出すことになる。つまり、大量出没だ」

今まさにその時間が来たんだという事ですよね。怖いです。所詮、共存できる数には限界があるという事でしょう。恐らく、爺さん婆さんでは無く子供や若者が襲われるような事件が起きて世論が沸騰するまで、馬鹿な行政は「立ち上がる素振り」さえ見せないんでしょうか?

2025年10月24日金曜日

東大卒の研究

医師に定期的に送られてくるある雑誌があります。

バイトを始めた後にもう何年も民間医局というところから送られてきているDoctor's Magazineという薄っぺらな雑誌なのですが、結構医学や生物学の中では有名な人々が表紙を飾りその人その人に関する記事が書かれているのを読みながら、こんな人生を歩んできた人が居るんだね~等と小さな感慨を持つ事も度々です。

その雑誌には結構いろいろな記事が詰まっているのですが、その中に阪大の細胞生物学で有名だった仲野先生という方が毎回取り上げる「種々のエリア」の三冊の面白かった本に関する記事があります。

その記事は本好きの私も大変興味深く読ませて頂くのですが、今回は学歴に関する本、特に東大・京大卒という学歴にまつわる(囚われた人々?の)悲喜交々の話を掻いた三冊の本が紹介されていました。その三冊の本というのは以下のような感じ。


まあ、最近よく知られているのは収入格差とそれに比例した学歴格差などというお話なんでしょうが、こういう話をアメリカでも日本でも聞いていると日本は随分と格差や社会的ポジションの固定した分断の時代を迎えているのかな等とぼんやり考えてしまいますね。

しかし、格差の固定等というのは基本碌でも無い話。フジテレビその他の大手企業の内部の腐れ具合を見ていると、学閥や学歴で真の適性等とは別に形成された利権システムというものは社会を滅ぼす獅子身中の虫ですから可能な限り無い方が良いと心の底より感じてます。

同じ東大や京大卒でも、これまた内部では大きな能力格差があるのも東大医学部や東大法学部の人から聞いた実話多々。どこまで行っても学歴に「こだわる」人はそこまでの人。本当の実力者はアメリカの例を挙げる迄も無く留まる時間自体が勿体なくてさっさと中退して大成功したり、大卒というのは単なる研究途上の一瞬などというのが本当の実力者、天才達の履歴を見ているとそりゃそうだろうという思いしかありません。人生の花盛りの時期に学歴しか誇るものが無いなんて何という空っぽ具合。w

話しのネタならまだしも、学歴なんかで大人になってマウントとるとかみっともない事限り無しです。

2025年10月23日木曜日

ジャガーが消えそう?

 ちょっとビックリの記事を読みました。

「あの」イギリスの名門JAGUARが物凄い事になっているというのです。欧州での販売台数が)97%の減少を記録したとの事。

その原因は実に単純で、それは極端に実に極端に勧められた電動化の影響という事に尽きます。一時流行ったEVへの完全移行の政策に乗っかって己の作る車群もフル電動化一直線という状況にしてしまった挙句のこの状況のようです。

それにしても売上高97%減というのは劇的で、通常こういう近未来予測を誤った経営陣というのは首がビヨーンと飛んでしかるべき状況だと思うんですが、強気の発言を繰り返すばかりで、責任は取ってないようです。そもそもこれまでの顧客を捨ててまでも高級車としての値付けを上げて、その状況でも利益が出る会社にすればよいとか何とか言っているみたいですが…。

私にはほぼ寝言にしか聞こえません。w

トヨタがありとあらゆる国内外のバッシングに曝されて、内燃機関車をラインナップに残す事が叩かれ続けましたが、今の自動車業界を見ているとマッチポンプのインチキ野郎たちの妄言に乗っかって会社を傾けたジャガーのようなバカ者も居れば、外の雑音には耳を貸さず、理路整然と今後の未来のチャートを描いて全ての方向に開発を続けたトヨタのような会社もある訳でして、その知性と開発力の差は語る迄も無く歴然としています。

Daimler double6という栄光に彩られた12気筒エンジンを捨て、内燃機関を捨て、ハイブリッドもすっ飛ばして中国が政府の下支えで必死に作っているEVにシフトとか私にはもう夢のような愚かな話にしか聞こえません。

ル・マンでの7度の優勝。世界一美しいと言われたE-TYPEの廃止。売れ筋の車群の型番廃止と「大胆な政策」を打ち出していますが、全個体電池というシステムが完成しない限り、今の「重く」「高く」「燃えやすい」電池のままでは到底顧客の望む車が出来上がる訳も無く…。

そもそも2000万を超えるレベルのJAGUARを買う様な金持ちはガソリンの値段やCO2の排出の事などどうでも良いのです。

あの栄光のジャガー。10年後といわず、5年後もきちんと破産や整理、買収などされずにブランドとして残っているのでしょうか。電池次第なのかもしれません。


2025年10月22日水曜日

遂に破られたガラスの天井

遂にこの日本においても女性の宰相が誕生しました。

資質がどうかという事はこの際「脇」に置いておいて、104代首相にして初めて女性がこの国の宰相になったという事を喜びたいと思います。いわゆる安倍ちゃんの子飼いというイメージですが、果たしてトップに立った今、今までの右寄りの発言がどう拡大解釈されるのかちょいと心配ですが、男性とは違う行動原理で動いて貰いたいなと期待する私も居ます。

自民党というシステムが機能しなくなって久しく長い間にわたって閉塞感漂う今の日本ですが、女性は男性と違い視点で世の中を見つめています。その違いこそがこの閉塞感を変えていく新しいものの見方を広めてくれるのではないかと期待するのです。

一切の今までの前提を薙ぎ払って第一行動原理に従って粛々と進められる改革というものが今の日本で出て来ないのは利害調整とそれに伴う根回しの悪習。最大限お互いが傷つかないように利益を最大化しようと上に阿るような古臭く黴の生えた小さな箱の中での利権の分配が国を動かして良い時代はとっくの昔に終わっているのです。

ただ、昔の成功体験から何時までも抜けきれない年寄り達の行動原理が、若い世代が成功するポテンシャルの芽を摘み取り続ける現状を変えなければならない事は明白。日本という国の図体がデカく自称先進国というプライドとその「重さ」故に沼にゆっくりと巨体が沈んでいく様は太宰治の「斜陽」そのものの世界をノンフィクションとして実際に読まされているようです。

アメリカでは未だ破られていない国家のトップとしての性別の壁。人種の壁はオバマという人物によって破られましたが、未だに性別の壁は破られず、ナント今回日本が先にガラスの天井を突き破ってしまうという仰天の事態となった訳です。これを使わない手は無い。

日本は今回の女性宰相誕生を奇貨として大きな変革を恐れずに挑戦すべきだと考えます。

2025年10月21日火曜日

お金が無くて病院にかかれない人達

こんな事もあるのかと唖然としました。

次女が知り合った昔のバイト先のお爺さんが今回名古屋のある公園でマグロの解体ショーをしてくれました。娘を孫の様に可愛がってくれているのですが、その方がショーの後で娘に「脚が痛い」とボソッと呟いたというのです。

娘がLINE経由で私に「お父さん、終わったら家まで私を送ってくれるっていうからその時に家の外でおじちゃんを診てくれない?」と送ってきました。私はどの程度のものかわからないので一瞬だけ躊躇いましたが「わかった、診るだけは診てみるよ」と返しました。

次女が何時も可愛がってもらっているので、これ位の事で少しでも恩返しができるのならという感じでのミニ診察でしたが、隣の駐車スペースで待っていたおじさんに以前の様に挨拶をして今日の事でお礼を言わせて頂いた後に直ぐに脚を見せて頂くと…両下腿とも極端に浮腫の為に容易に深い圧痕が出来る状態でした。熱感は無かったのですが、右の背部1/2は既に感染巣で白苔の様にerosiveになっている始末。そこに汚れた包帯が巻かれているだけ。orz

これらの成因は幾つかの重大な要素が重なっている可能性を指摘して感染巣のトリートメントを直ちに行う事、内科的疾病の背景を必ずそして可及的速やかに行う事をリクエストして病院に来て貰う事をお願いしました。横で娘も必死におじさんを説得していたのですが、実はおじさんには娘に知られたくないある理由で病院にかかれなかったのです。

それは金銭的理由。何時も新聞配達その他の細かな仕事の積み重ねで自活してきていたおじさんは以前、車を使って仕事時に移動していたことが役所にバレて生活保護の打ち切りを受けていたのです。

それ以降は病院にかかろうにもお金がかかるのが怖くて敢えて病気の存在を無視して生活してきたという事を娘が私のところから離れた僅かな瞬間にパパッと手短かに話してくれたのでした。それを知って私は「あ~役所は教えていないんだ!」と心の中で呟きました。

実際はそういう状態であっても種々の手段で医療を受けることが出来るのです。

そこで私は提案しました。「私の病院にそういう事をきちんと解決してくれる専門の人間が下おりますので、ご心配なく。先ずは一度私を訪ねてきてください」と。アメリカじゃあるまいし、金が無いから医療を受けられないなんてことがあってたまるか!というのが私の結論。

早速解決へ向けての行動開始です。娘を可愛がってくれる方をむざむざそういう境遇に置いておくのは「人道に悖る」いや「男が廃る」というもんです。

2025年10月20日月曜日

キャンプに行く前に考えろや!

私の人生戦略を簡単に表すと行き当たりばったり。

もうね、あれやこれやときちんとプランを練って人生設計をしている友人達を見ていると心底「すげーなー」と感心してしまいます。逆向きに観察すれば「お前もちゃんとしろよ!」というところなんでしょうが、どうやったってそんな事は自分に出来ないと解っていますので頭の悪いやり方で試行錯誤ばかりしています。w

医者をしているといろんな患者さん達を診る人生となる訳ですが、自分のいい加減さを理解しつつも他の人の人生においてやっぱり有り得んレベルのチャランポランな生き方を送っている人が沢山居るのを自然と知ってしまいますので、まあこの手の事は相対性の世界でしかないと改めて知る訳です。

大体、本当に大体の概要しか考えずとにかく走り出した後に考え始める、というか走り出した後も考えてない?ような自分の生き方なので特に焦る事もありませんし。まさに人は人、自分は自分でこの歳になると既に大筋は変えようもありません。親父の様に几帳面な生き方もあれば母親の様にまさに日々ちゃらんぽらんな、しかし頑張るとこは頑張るみたいな生き方しか見てこなかった自分ですが、やっぱりどっちかというと母親に似てるんでしょうかね。

さて、そんなこんなで今回のキャンプを振り返るとまあ見事なまでに自分の生き方がキャンプのやり方にも表れております。

まずとにかく頭の中で「何となく想像した」必要品を取り敢えずキャンプ場に持っていく。次にそれを展開していくんですが、そこで「あれはどこやったっけ、これが見当たらんけどどういう事?」ていう感じであたふたするけど、取り敢えず何とか揃ってるもので間に合う。その次にこれも想像の中でやってみた事を実際にやってみて現場で小さな失敗を積み重ねながらも「なんとなく」形にするというパターン。

現場に行って必需品は何かをもう一度まとめ直すような人です。orz

まあ、今回のキャンプそっくりの継ぎ接ぎだらけの人生ですが、本人には変えようもありませんね。新しい事は死なない限りまずはやってみる。これからも同じことを繰り返しながら、寿命尽きるまでコレなんでしょうね。^^

スマートさとは程遠い、というか対極の人生。まあ、いいか。w

2025年10月19日日曜日

やっぱ初心者やな

結局、朝は何度か薄目を開けて煙の残りがある場所で何度も眠りに落ちました。

最終的に目を覚ました状態になったのは8時過ぎ。キャンプ場にしては遅い目覚めです。テントを出てみると、遠くにあった大きめのテントは2つほど消えており、その緑だけの世界は朝の静寂をより確定的にするような景色を醸し出してくれていました。

雨の方は降ったり止んだりの断続的なものでしたが、起きた後はガサゴソと重い腰をあげながらの片付け作業を開始しました。余裕があれば朝のコーヒーでも愉しむところなんでしょうが、そんな余裕も無く同片付けるか暫しボケた頭で考えた後で一つずつ片付けていきました。最終的に全ての荷物が3つくらいの小さなブロックになり後は焚火用の薪の束があるくらいでした。

とは言えまだやらないといけない憂鬱な大作業が待っています。それは「大テントの片付け」なんですが、小雨の中で外に出てみてどういう順番でやろうか?と考えていたその目の先に変なものが見えました。それはストーブのメタルの煙突と接触していた部分のテントカバーが熱で溶けていたのでした。orz

心の中ではガビーン状態だったのですが、そこは大雑把な私のこと「あらら、やらかしたな!w」くらいの表情で茫然と眺めて終わりでした。w

小雨の中ではテントの折り畳みも出来ませんので、大雑把に畳んでそのまま後部座席の谷間に投げ込みました。(後日病院のホースで洗う予定です!)こうやって全てを奇麗に片づけて、来た時よりも美しくを目標にしてソレ自体は達成できたと思います。しっかし、せっかく買ったばかりのテントの一部を溶かしてしまったり、テントの中が煙だらけになったり、まあそれはそれは初心者らしいトンデモナイ出来事の連発でした。

家に戻る途中、長野県側の道の駅でちょこっとお土産を買い込んで再び豊田側へ戻って行きました。家に戻ったのは1時過ぎだったのですが、いろいろと洗濯ものを出したりしていると長女との約束を思い出しました。それは長久手のトヨタ博物館に行ってJDM(Japan Domestic Market)という展示物を見に行く事。

おお、そうであった!ということで、早速息子と嫁さんも一緒に連れて見に行きました。長女にとっては初めてのトヨタ博物館でしたが、いろいろと感激して見ていました。一時間半程で取り敢えずお土産ショップ迄見てまわり全て終了。

帰りがけに焼き肉屋に行って腹迄満たして家路につきました。   

また、冬に雪が降る直前くらいにはキャンプ行かんといかんですね!^^

2025年10月18日土曜日

初テント、初ストーブ

昼前に家を出て取るものも取りあえず出発しました。

向かった先は昨日もちょこっと書いた様に売木(うるぎ)村というところにある岩倉ダムキャンプ場です。実際には長野にあるんですが、山また山のこのキャンプ場に着くとまず初めにする事は受付に顔を出してお金を払う事です。

Googleマップに書き込んである電話は現在使われておりませんので、代わりに御高齢と思しきおっちゃんに頂いたのは携帯の番号でした。本当にこれで良いのか怪しいとは思いつつもおっちゃんの御厚意に甘えてメモはさせていただきました。キャンプ代は2000円+テント一張りで都合2700円だったかな?

取り敢えずキャンプ地を見回してみると、既にグループっぽい感じで楽しそうにしているキャンピングカーの一段と黙々と一人テントで作業してる人、そして私がテント張ろうと思ったサイトの向こうに二人でテント張って火を焚いている人達くらいで、それほど多く無くて良かったです。そもそも受付のオジサンが「ここ最近はホント人が来んくなったわ」ってボヤいてましたけど「この辺りには熊は出て来ん!」とも言ってましたね。
まあ、取り敢えず生まれて初めてのティーピー型のone pole tentの設営です。何のインストラクションも見ずに取り敢えず想像力だけで組み立てたら案外上手くいきました。(後で後悔する馬鹿はまだそのことを知らない。w)
車をサイトの近場に寄せて薪を含めたでっかい荷物を幾つか下ろして設営したテントに運び込んでまったりし始めたんですが、問題はここから始まりました。それはこれまた新たに買った薪ストーブ。

これを先ずは一回空焚きして油分を飛ばして使い始めろと聞いていたんですが、実際それをしたにも拘わらず、夜になって本格的に使い始めた時にテント内は超もくもく状態。準備していた一酸化炭素の検知器は鳴らなかったのですが、とにかく煙くて目と頭が痛くなる始末。雨が降ってるにもかかわらずジップを開けて新鮮な空気を入れないとどうしようもないレベルでした。何か自分が燻製になるんじゃないかと云う位の勢い。w

こんな時こそ空気を出し入れするのに役に立ったはずの小型扇風機を持ち込まなかったことを大後悔しました。しかし後悔先に立たず、この煙のせいで夜の間中目が痛かったのでした。しかも買ったばかりのテントも臭くなったし。orz

夕方になる前にごく近所にあるうるぎ温泉「こまどりの湯」というアルカリ泉に入ってきました。キャンプ場で使った割引券を用いて100円引きの500円でこんなアルカリ泉に入れるのはキャンパーにとってはホンマ御の字。

高校生らしい集団以外はほぼ皆おじちゃんでしたが、キャンプのセットアップで汗を掻いた身には有難かったです。実は入浴する時にガチャピンのTシャツを着て入ったんですが、出る時はムックのTシャツに着替えてたんです。

誰も気にしないだろうと思っていたら、なんと受け付けのお姉さまが「来られた時ガチャピンで、帰られる時はムックなんですね!」とニコッと微笑まれて嫁さんの出発前の予言が当たってしまい大笑い。(そんな事を言う人がキャンプ場に居るんじゃない?と言ってたんですが、言われたのはお風呂となっただけで予言は当たりました。w)

そこを終えてキャンプ場まで車で数分。何も取られずテントはそのままでした。中に入って濛々たる煙の中でメスティンでご飯を炊いてカレー・ルウを温めて食事。まあ、腹もそれほど減って無くて直ぐにシュラフに包まれ雨のそぼ降る中で煙い目を擦りながら寝てしまったのでした。

2025年10月17日金曜日

熊が出る所なのか?

明日はキャンプに行くぞ!と決めています。

キャンプにはもってこいの素晴らしい日よりになっています。新しいストーブ用の煙突が出せるテントを購入したので、それを試すには更に良い日ですし、シュラフにしてもストーブにしても新品の性能がどの程度なのかをチェックする素晴らしい機会になるものと思います。

ストーブは最初に使用する時はいきなりテントの中で薪をくべたりするとオイル兌換高の表面のコーティングが問題を起こして煤が出たりするという事なので、先ずは明るいうちに外で焼いておく必要があるのだとか。後はテントの中に持ち込んでのストーブのセッティングとかいろいろあるので実は「何でも初心者」の自分としてはそれほど余裕は無いだろうと思っています。

まあ、食に関しては意外と悲惨なものでもいける人間なので、腹を満たすものさえ買っておけばあとは文句は無し。ビールも二本ほど買っておいて取り敢えずはハッピー・モードという事で。^^

ところで、最近非常に問題になっているのが「熊」の出没情報。実際に人が襲われて何人も無くなっておりますし、とても舐めた事をしてはいられない事は間違いありません。明日から行こうとしている岩倉ダムキャンプ場の周辺の熊の目撃情報を読んでみるとGrokでは一つも引っかかっては来ませんでしたが、それでも油断は禁物。

私自身はデカ目のナイフを二本持っていますが、人間が熊と対峙して、しかも戦闘慣れしていない「非」格闘系の小太りオジサンにとって本州にいる月の輪熊でも多分物凄くヤバい相手。戦法は逃げるが勝ちの一手です。

ヒグマなんて想像の外側の世界。w アメリカのグリズリーとかほぼ大怪獣です。orz

兎に角、安全第一という事で荷造りをして新たなキャンプ場での新セットアップを試してみたいと思います。呪文のように安全第一、安全第一。ではでは!

2025年10月16日木曜日

恨みは何も産み出さないと感じました

ある患者さんが随分昔に私の居る病棟に入院してきました。

この方は生まれた直後からある疾病に悩まされていったんですが、次第にその影響が多きくなり最終的に寝たきり状態になってしまいました。しかし、そこに至る迄にはいろいろな病院をまわってきた経緯がいろいろありますが、体がここまで弱くなってしまった事に関して以前入院していた「ある病院」を名指しで非難する御兄弟が来られていました。

実際前の病院からこの患者さんを引き受けて、入院当時には命の火が消えかけていた患者さんを必死で何とかレスキューして何とか「明日亡くなるかも」という様な状況からは脱した為、私には感謝を示して下さるのですが。

その御兄弟のお話を伺っていると、ずっと前にいた病院のある先生の事を非難するばかりで、逆に聞かされている私の方がドヨンとしてしまう程に毒のある内容を含んでいます。その上、何度も何度も「絶対に訴える」と息巻いています。

あの~、私も同業他社というだけで医師なんですけど…という言葉が歯の裏まで出て来るんですが音声化はしません。

しかし、その方の恨みの言葉を聞いていると恨みというネガティブな感情は何物をも前進させないし誰も幸せにしないなと強く感じてしまいます。理由を具体的に説明するまでも無く、その口から出て来る毒気はあたかも詠唱魔法の様に言霊の如く私に負の感情を投げつけて来るのでした。

こういう感情を自分自身が抱き続ける事で、患者さんの御兄弟として自分をも不幸の中に引きずり込んでしまうのではないかと本当に心配です。

確かに色々な経緯があって患者さんがこういう状態になったというのはあるのでしょう。しかし、そういう呪いの言葉を吐き続ける御兄弟を果たして今の寝たきりの患者さんが喜ぶでしょうか。

私はそうは思わないのでした。

2025年10月15日水曜日

私にとって「も」特別な一日でした

今日は私の友人にとって特別な日でした。

何が同特別だったのかは「今日は」大変申し訳無い事にここには書けないのですが、友人をアシストして9か月間も準備に準備を重ねて今日という日に向けて作り上げたものを遂にある場所で見せる日が来たのでした。

何段階にも遂行に遂行を重ねて提出物を積み重ね、最終的にいろいろな分野のトップと思われる専門家達の検証を経て遂に完成させたものを自信をもって提示することが出来たと思います。

そして、全てが終わった友人と今池で落ち合ってこれまた特別な場所で飯と酒で食って祝いました。友人は人生の中で何回かしかないような大きな節目を乗り越えたと感慨深げでした。実際にここに至る迄の長い道のりはその優秀な友人が今までに成し遂げて来た人生の様々な業績をまとめ上げた仕事への祝賀となりました。

ここで腹を一杯にした後は直ぐにあの「亀ちゃん」へ向かい昭和が色濃く残るその殿堂で人間修養に励みました。w

人生最終盤に差し掛かっている諸先輩方に大学時代の部活の飲み会の時の様にビールを注がれ続け、もう我々二人は何度も何度もビールコップを先輩方に向けてただひたすら注がれるビールを空にしていきました。

それからちょっとだけ地下鉄に乗って覚王山のいつもの店へ移動。ここではもう腹パンパンでしたので、最後に泡盛のロックを一杯だけ空けて本日終了。友人はタクシーを拾って名駅の方へと戻って行きました。

友人の未来に栄光あれ!

2025年10月14日火曜日

疲れ果てたまま

疲れてどうしようもないまま翌日はそのまま日勤でした。

殆ど寝ていないのに翌日も新患患者を二人受け付けて病棟での調整をしなければならないという状況で、眠いの眠く無いの…。体にいい訳がありません。

取り敢えず朝普通に起きて眠い目を擦りながらも仕事を始めてしまえば何時もの様に仕事をする事は出来ましたが、やたらと溜息が出ますし眠気も周期的にやって来ました。こんな事ではパフォーマンスに多大な影響が出るなとは思っていたのですが、結論から言うと一日のアウトプットとしてはそれほど酷いものではありませんでした。

しかし、個人的にはもう少し医師が沢山いればこれほどまでの無理はしなくて良いのにな…というのが正直な所。昨日一日の間に4回もの死亡診断書の引き渡しと親族さん達に対する種々の説明を執り行わなければならないというのはどう考えても異常です。やはりそういう時には翌日は自動的に職務を停止するというようなセッティングが為されないと責任をもって、長い時間の業務を続ける事はいろいろな意味で難しくなっていく事でしょう。

しかし、日本はそこがとんでもなくおかしい所。働く人間は常にしわ寄せの犠牲になりがちで、陰でサボってる連中の分を背負わせられるというのが「今でも」普通のパターン。しかしながら、サボっている連中にもそれなりに言い分はあって「働いている、頑張っている」等という主張はしてくるのでした。

何ともね、もう今日は眠いです。明日h大切なある行事があるのでもう寝ます。
無理。

2025年10月13日月曜日

憑りつかれたのかと思う程…

いろいろな意味で辛い一日となりました。

朝九時から当直入りだったのですが、到着したらいきなり電話。「先生、朝亡くなられた患者さんの御家族が来られてます」との一報で、私が付き添って御遺体のお見送り。

暫くしたらまた電話が鳴って今度は「先生、今お亡くなりになりそうな方が居て、その方はもう何もしない方なんですが万一の場合は死亡確認をお願いします」との事。何だかいきなりこういう嵐のような死に絡んだ電話は全く嬉しくありませんし、何だか良くない幕開けを感じさせます。実際に30分もたたずに連絡が入り死亡診断書作成。

その悪い予感は的中。午後に別の病棟に顔を出すと偶々だったにもかかわらず、そこではあの音が響き渡っていました。ピリリリ、ピリリリという医療従事者なら誰でも知っている心停止時に鳴り響く音です。orz

部屋に飛び込んでいくと突然の心停止で看護師さんが大慌てで対応していましたが、心マッサージや薬物を使用しても超高齢の患者さんは救えませんでした。そもそもDNARという事でしたので、気管挿管などはせずに御家族さんに御電話したところ、落ち着いた感じで従容として事態を受け容れておられました。

死亡診断書を再び仕上げて御家族とのお話の後、御遺体をお見送り。今朝から既に三回目の御遺体のお見送りでした。もう勘弁してくれという感じだったのですが、実はもうひと取り癌の末期の患者さんが居られてこの方がギリギリのところで何とか持っていたのですが、私が来た日の夜に息を引き取られました。私が来るのを待っていて下さったのでしょうか。

御家族は遠方の方で直ぐには来れない方だったのですが、私は何度も何度もこの御家族とはお話を繰り返してきました。早朝でしたがその事実をお伝えしたところ深い感謝の言葉をいただきました。

それから結局3時間ほどしか眠ることは出来ず、物凄く疲れた状態で翌日の仕事に突入という事になったのですが、どういう事情であれ大きな病院で高齢者をたくさん受け容れている施設はこのような事が「稀に」起きるのだという事実を再び思い出させる一日でした。

しかし、私の診ていた患者さんが私自身の居る日にお見送りで来たのはせめてもの救いでした。

2025年10月12日日曜日

どんどん質の上がるFAKE画像

最近ネットを見ていると怖いです。

どう考えてもFAKEでしょうという「画像」は写真としてたくさん出始めたのが数年前。どれもこれも「わかりやすい!」FAKEだったんですね。画像の質感のおかしさや、画像自体のディティールに笑ってしまうような間違いが散見されたんですが、この二年くらいで(プログラムさえ選べば)かなり上等のFAKEが大量生産できるようになってきました。

そして、その範疇が静止画だけではなく動画にまで拡がってきてしまいました。正直この一年間に見てきたFAKE動画の質とボリュームが「強い危機感」を覚えるレベルにまで変わってきました。ストーリーとその画像から理性の働きで、容易に「有り得ない」と判断できるわけですが、光の反射やその周辺の画像処理が数年前とはまさに桁違いに改善されているからです。

世界の有名人などはほぼ軒並みFAKE画像の犠牲者になっていますし、パロディ、性的画像な鬼改変されている状況ですよね。実在の画像にFAKEの部分をデジタルとして改変をインサートするものもあれば、豊富な画像データをもとにゼロから生成されたものも大量に実在しています。

しかし、それが無料で作られてくるわけですから本当に驚くべき時代に突入したものだと思います。でもですよ、実際にこれがこの速度で容易にかつ限りなく本物のように出来る時代が来てしまうと、今後出てくる動画は(静止画は前から当然!)どんなにリアルなものであろうと信じられない世界が出現してくるのは確実だと思います。

今の時点ではそれらがFAKEであることを見抜くソフトもかなりクリーンに見抜いてくれていますし、人間の目もそれを見抜く能力がありますが、その「見抜く」というポイントがどこに有るかをAI側が学習することでそこを改善してきたら…。

AIの画像診断能力は既に人間を超えたのは共通認識、しかしその先はどうなのか。

何を信じて良いのか、百聞は一見にしかずという言葉はこれからはモニター越しになった瞬間そのリアリティを頭から疑っていく時代が来たようです。アホな我々大衆はそのFAKE画像に騙されてトランプを熱狂的に支持する連中を笑えないようになっていく可能性を否定できません。

そんな画像が大量に出回って、国家が変な方向に動くようなことがなければ良いのですが。

2025年10月11日土曜日

凄い奴らがいるもんだ

ここ数日、冬キャンプのビデオばかり見ています。

ひろしのぼっちキャンプのようなのどかなものと違って、準備を怠れば死亡、知識が無ければ死亡、気持ちの準備と根性が無ければ死亡…みたいな状況下ばかりでのキャンプ・シリーズです。^^

世の中の広さを感じると共に「こんな自然環境で、たったこれだけの装備で生き延びる能力を持った人達がいるんだ!」という事実に物凄い驚きを覚えます。視ていてひたすら心の中で「すげ~、有り得ん」という言葉を繰り返すばかり。

例えば下のビデオですが、岩の窪みに自分で枝から作った骨組みを立てて、その上にシートを張っただけの状態で寝床を作り、苔の上にマットを敷いてのー33度のブリザード下での7日間のサバイバル。火起こしは勿論のこと、食料を取るための精密な仕掛け造りとその取った雉の調理とかもうどんだけ生き残る能力有るの?って感じ。

こういう人類滅亡後も一人で生きていけるような人はやっぱり特別な能力があるのでしょうが、この上を行くのがあの小野田少尉なのかと思うともう頭が上がりません。あの方は自分で、棕櫚の皮から繊維の糸を作ってそれを手製の機織りにかけて服を作るという事までやっていたDr.Stoneレベルの人。w

常に上には上がいる!とう素晴らしい具体例ではありますが、先ずはこの方のサバイバル能力をご堪能ください。

俺もなんちゃってキャンパーからここまで行けるようになりたいもんです・・・。(無理)

2025年10月10日金曜日

昭和100年10月10日

最初に長女がいきなり夜中に言ってきました。

「お父さん、吐き気と下痢が止まらないんだけどなんか薬無い?」というのです。リビングで作業をしていた私は直ぐに立ち上がって地温をチェックすると、それは問題なし。ところが目の前でトイレの便座に頭を突っ込みいきなり吐きました。

量は多く無かったのですが、茶色の吐瀉物。しかも下痢もしているとの事で恐らくはウイルス性の嘔吐下痢症だろうと推定しました。薬と言っても整腸剤程度。ただし、関節痛も結構強いというのでアメリカから持って帰っていた鎮痛解熱剤も飲ませました。元気は無いものの、翌日には体調戻り始めていたみたいです。

ところが、今度は嫁さんからLINEが入って来て「なんかうつったみたい…」との悲しいお知らせが。( ;∀;)

便も少し柔くて弱い吐き気があるとのことで、何というか長女の症状の5掛けくらいの感じ。今日一日朝から晩まで布団に横たわって免疫力の回復を養う感じで過ごしておりましたね。「息子達を連れて近所のラーメン屋にでも夕飯食いに行こうか?寝てていいから~」とか私の方でオファーしていたんですが、夕方ごろには次第に元気が出てきて、結局チャーハンやハンバーグを作ってくれて私達は外出の必要もありませんでした。

私はと云うと、家の外での活動は病院に一回行って癌患者さんの疼痛のコントロールが上手くいっている事を確認したことくらいで、後は珍しく嫁さんが寝ている家の中を歩き回ってあちこち細かい所を掃除したり、整理整頓をしていました。

その後はアマプラでたまたま発見した「見える子ちゃん」をみて一人ビビっていました。それにしても原菜乃華ちゃんは「あんぱん」に出ていた時とはまた違う感じで可愛かったですね。^^

昭和100年10月10日の我が家はこんな感じでした。w

2025年10月9日木曜日

精神科医師いろいろ

精神科の先生というのは私には全く理解できない人が多いです。

あんまりこういう事を言ってはいけないんでしょうが、いろいろな精神科の先生を見てきて思うのは変わり者の俺からしても「相当変わっている」人が多い事。陰謀論者、元ヒッキー、1~2年で次々と病院を変えていくフリーランス、患者と駆け落ちしたヤバい奴など多士済々。w

本人の口から「いや、私は内科に入局したんですけど、余りにも自分が病院で使い物にならないって理解できてから精神科に逃げて来たんです」とか「激しいXXの臨床に疲れて精神科なら大丈夫かなって思ってこちら側へ来ました」等と自虐的に話される方も多いですね。

そもそも最初から精神科を志向というよりも、プランBとかプランCとしての精神科を選んでいる先生が多い印象を持っています。実際に話をしていても、自分が何故その薬を使っているのか、診断の根拠は何かという事を自分で追及する姿勢を見せないまま漫然と投薬を行っているようなアレな先生も居られて、この症状はここが影響を受けている結果だろうからこの薬の使用で神経系のどの受容体がどういう影響を受けるだろうという根拠を持って「これ」を使用しようみたいな推理を行っている先生はごく限られていると思ってます。

何というか「雰囲気」での治療?とでもいうんでしょうか。治療効果というのは精神科領域では数値で表れてこない事が殆どですから、ヤブも名医も治療効果の判断材料としては臨床症状がほぼ全てみたいなところで、内科や外科と比べると果たして治ってるのか?というところが怪しいところがあります。

勿論、中には明らかな名医と呼ばれる先生は居て、家族さんや御本人が困っていた症状を見事に治療されて感謝される様を見ていると、やはりヤブとそうじゃない先生の能力の差は歴然と存在している訳です。

ここではやっぱり「良い先生」というのは医者同士の内部情報が一番堅いですね。内側から見ると。^^

これらの先生をじっと観察していると、精神科領域において患者と先生というのは意外と(いや、ある意味?)色々なものが表裏一体なのかもしれんなと感じたりする事が多いです。これからも超変わった精神科の先生のサンプルを間近で見られるのかと思うt何やらワクワクするような気も!

とは言え、変わった性癖を持った先生が自分の働いている病院でと何かやらかさない事を祈るばかりです。

2025年10月8日水曜日

看護師と適性

病院で何度も何度も繰り返し考える事は看護師という仕事の適性とは何かという事です。

無論、医師側の適性の問題というのも良く考える事の一つではあるんですが、医師側の仕事に対する適性と看護師側に要求される適性というのはかなり違うなとは感じています。

取り敢えず今回は看護師側に絞った話であり、且つ、かなり主観的な話になると思うんですが、私が考える看護師の適性は基本的にその人の持つ知性の高さとは関係ないと思っています。先ずトップに位置する適性条件は「優しさと包容力」だろうというのが私の揺るぎない信念。

高度な知性は正直必要無いと思っていて明らかに高IQで適性の無い看護師さんを何人も見て来たので、そこはかなり強く感じるものがあります。当然、高い知性を持っている人も居りますが最初に書いた患者さんに対する優しさと包容力が無い人は「そもそも」看護師という仕事を選ぶべきではないだろうと。

看護師という職業を選ぶ人のIQの幅というのは感覚的には思ったよりも広くて「う~ん」というレベルの人も居れば「おお~」という人も。お父さんが医師で、医師にはなるつもりはなかったけど取り敢えずチャチャッと看護師免許は取得しましたよなんて言う人も周りにはチラホラ。薬剤師は免許取るのに時間がかかりすぎるしその対価も微妙という事で選択しなかった人もこれまた居られました。(要するに勉強すれば入学できるけど選択しなかったレベルの知性があるのでしょう)

それでも何よりも患者さんと接触が濃厚なのが看護師という仕事。対人関係の密な中で加齢や病でいろいろな能力が落ちてしまった患者さんを無条件で受け止める優しさと包容力を持つ人はそれだけで貴重な戦力。患者さんからの「御指名」も多く、いろいろな相談や困り毎がその人に集中する事も多くなったりします。(例えその日の部屋担当でなくとも!^^)

その優しさがあれば、後は少しくらい仕事がのろくても、やがては仕事も普通程度に出来るようになる日もくる事が多いというのが今までの個人的経験です。

そしてその逆が仕事は出来ても患者につらく当たるような人。(勿論、仕事も出来ない上に患者に辛く当たる人も居ますけどね!)私は寧ろこっち側のキャラの人は看護師というのを職業に「選んではならない」というレベルで職業適性が無いと思います。

病棟に緊張をもたらし、人間関係を崩し、場合によってはハラスメントや虐待に繋がる人物はこのような状況で仕事を淡々とこなすことが出来ます。これは逆に非常に怖い話で、こういう人が「優しいけれど仕事の効率では落ちる看護師さん」をハラスメントのターゲットにする事があるのです。残念ですが。

こういう人達を見ていると、大抵は大阪弁で云う所のかなりの「イラチ」で、なんというかサディスティックな面が強いようで、人を組織を疲弊させる人々。病院と患者さんの為にも病棟から排除したい所ですが、それが簡単に出来れば苦労は無いんですけどね…。

理想と現実。なかなか難しい問題です。

2025年10月7日火曜日

娘二人と鬼滅の刃

夜いきなり長女に言われました。「お父さん、今から映画を観に行くけど終わるのが遅いから迎えに来てくれない?」と。

何御映画を見に行くのか尋ねたところ「鬼滅の刃・無限城編」とのこと。思わず「俺も行こうかな」と言いました。病棟である看護師さんが何回も観に行ったことを聞いていたので、チャンスがあればと思いつつそのうちNetflixに来るやろうくらいの気持ちで構えていて、結局行ってないという何時ものパターンでした。

ここは若者に乗っかって行こうという事で、送迎係を受け持つ代わりに長女にチケットを取って貰って夜のイオン・シネマへ。(55歳以上はなんとシニア割りを受けて200円安いんだそうです!)知らなかったのですが、長女は二回目だそうです。

次女は栄から戻って来てイオンで待ち合わせという形にしましたので、我々は一足先に車で向かって9時開場の最終レイト・ショウを待ちました。今どきの映画館は食い物のオーダーも全て券売機横のタッチボードでオーダーする仕組みに変わっていて、そのオーダーとしてホット・ドッグや飲み物をズバッと注文して私がswipeして娘達と9番ルームへ。

一番後ろの席の真ん中あたりといういつも私がとる席を長女も選んでいました。親子ですね。w

流石にこれ程公開から時間が経つと平日の夜という事もあって席には20人ちょっとくらいしか座っていませんでしたが、それでもこれだけ入るんだなと小さな驚きでした。長い宣伝の後いよいよ始まった映画でしたが、いろいろと決着がついただけでなく(勿論、部分的にですが!)出て来る台詞の内容やストーリーの仕立て等が本当に優秀で、ああ、ナルホドこれなら大ヒットするよな~と思えました。

しかも、映画館なので音響システムが素晴らしくて、やっぱり映画は映画館で見るに如くは無し!と再度確認した次第でした。

全てが終わって誰も居ないイオンモールの中を駐車場に向かって歩いたのですが、帰りの車の中では今日観た無限城とチェインソーマンとどちらが良かったかで大声で笑いながら云い争っていましたね。英語でガタガタうるせー娘達です。orz

2025年10月6日月曜日

なんでそうなるの?

 上のようなタイトルを書くと私の年代周辺の人達は「欽ちゃん」の番組を思い出します。まあ、それだけで歳バレなんですが!w

さて、今回「も」病院である事件が起きました。それは長きに亘って御主人から経済的DVを受けていた女性が家にまた戻って行った事です。そもそも、警察から依頼を受け役所の介入を経て彼女を家から逃げ出させて保護していたのです。

こういう時は緊急避難ですから役所も警察も彼女の居場所を家に住む暴力をふるった側の人間に教える必要は法的に全く無く、完全に保護対処となります。

ところが、驚いた事に入院数日後には元来た家に住んでいるそのDV男に電話で連絡を取っていたのでした。( ゚Д゚)

病棟中の人間がその愚かで危険な行為に驚き「何故そのような行為を行ったのか?」と問いかけたのですが、本人はボゾボソと何か聞こえない声で話すばかりで話になりません。取り敢えずその糞男が病院に来たりする事は無く、この女性によると「暫く帰って来るな」とその男性に冷たく言われたとの事でした。

もう呆れるやらなんやらだったのですが、各種知能に関するスクリーニングテストをしてみても取り立てて低い訳でもなくアスペルガーの傾向を示している訳でもありません。しかし、こういう行為をしてしまう訳でして、自分が重度の病気を持っているのに医療費も剥ぎ取られるせいで命の危険にさらされているという状況にあるのにこの所業。

心の底から「愚かやな~」と思ったのですが、一種の共依存なんでしょうかね…。

結局こちらがお勧めするいろいろな施設は「訪れはする」のですが、結局どこにも行かず。何と今日になっていきなり「帰る」と言い出して大騒動。役所の担当者もやって来ててんやわんやとなりましたが引き留める事は出来ず。

普段は温厚な当院のこの手の仕事のソーシャルワーカーも最後はかなり怒ってしまって、何かあっても二度と外来も入院も受け付けない!ということでいわゆる「ブラック・リスト」入りと相成りました。

私の脳裏に浮かんだのはただ一言。「ダメんず・ウォーカー」という懐かしい言葉でした。死にません様に!orz

2025年10月5日日曜日

新しいホテルEspacio Nagoya Castleで食事

お呼ばれされて嫁さん、息子、長女の4人で行って参りました。エスパシオ名古屋キャッスルホテル

名古屋城のお堀端の南に位置するキャッスルホテルがリノベされて5年間(2020/9/30-2025/9/30)の空白期間を経て新たに生まれ変わりました。

名古屋城の堀端にあって何時も美しい端正な姿を見せていた以前のキャッスルは名古屋城を現代風にアレンジし直したような「庇」が付き出し、その土台部分にはお城の石垣が再現されているという変わったデザイン。見ようによっては名古屋の歴史をコピーしたようなビルなんですが、見ようによっては「何じゃこりゃ?」になりかねない建築物。

実際、夜に遠くから見ると大本の名古屋城の南側にもう一つ名古屋城が出来たような印象を受けました。Xの上ではそのスタイルに関しては基本ボコボコに揶揄されているという感じでしたが、あのエッフェル塔も完成当初には散々な事を言われた建築物でしたので、こういうのはあまり心配要らないのかもしれません。

さて、変わったのはその威容だけではありません。ホテルの相手にする客が確実に「より富裕層」かつ「よりインバウンド寄り」にシフトしているなと感じた事でした。

ホテルの中に入っていて気付いたのはその「和」の殊更の強調でしたね。ロビーには二台のロールス・ロイスとセンチュリーのSUVとマイバッハが二台並べてありましたね。なんか「これでもか!」とい感じの入り口でしたが、駐車場にもベンツ、ポルシェ、BMW、レクサスがゴロゴロ。

4階にはレストラン群が昔と違う感じで沢山入っていたのですが、私はその中の一つの柳城にまた行きました。明らかにハードウェア的には二段階くらいのレベルアップ。マネジャーが御挨拶に来てくださって暫し新装開店に関する談義。その後は早速コース料理が出てきたのですが、間違いなく美味しかったですね。(後で調べたら震えるような個室予約料金。値段を知らなかったので美味しかったのですが、知っていたら胃痙攣を起こしていたかもです。w)

メニューは上のようなもの
車の到着口側入ってすぐの階段
名古屋風wの金箔使いまくりの応挙風の襖絵
天井も金箔で超豪華な奥行きのある和風廊下
まあ、お呼ばれや会議に行く以外は自分で行く事は「決して」無いかな?と思える豪華な建物内装群でした。

一泊最低は20万円ほどから。上の方は40万円台だったと思うんですが、これらの料金が付いている部屋とは別にぷレジデンシャル・スイートルームがあると伺いました。一泊ナント300万円!とか。まあ、これ位の出費を屁とも思わない金持ちが世の中には掃いて捨てる程居るという事でしょうか。300万あったら全部コメ買って子ども食堂に寄付するけどな?w

私などは掃こうにもミクロの塵過ぎて、集塵機のエアフィルタに集めた後顕微鏡でその存在を確認するレベルの貧乏人ですが…。