2025年5月31日土曜日

パズルの苦手な人

今日は変わったお願いをされました。

病棟である看護師さんが娘さんの話をしていたのですが、その娘さんがジグソーパズルが大好きで、100ピース程度のパズルを作っては悦に入っているとのお話でした。その話に絡んできたのは看護師免許を取ったばかりの女の子。

その女の子がしみじみ言うのは「もう全然パズル作るの苦手なんですよ!滅茶苦茶気に入っているアナ雪の図柄のパズルがあるんですけど、千ピースの奴でとても自分じゃ作るの無理だから周りの友達に頼んだんですけど、誰も作ってくれないんです」というお話。

そのあと、実際にこれを作りたいというアマゾンから引っ張り出してきた画像を私にみせてきたのですが、図柄の多い大して難しいとは思えないタイプの図柄。

これだったら気合い入れなくとも一日で出来るなという感想しか出てきません。こういったパズルを何時も息子が作っているのを見ているので、その難易度というのは容易に推測できます。それをベースの判断材料としてもおそらく当初感じた推測は間違いありません。

そこで私は一言「作ったろか?」と言いました。

すると彼女は大げさに「えーっ!」と言ってお金を払わなくても作ってもらえるんですか?等という訳のわからない質問を返してきました。私自身はこの質問に逆に驚いて「何を言っとるんだ?」と言ったのですが、こういった質問は想定していなかったからこその驚き。改めて金など頂く必要などないことを念を押して確認してあげました。

まあ、そのうちこの看護師さんはパズルを買ってきて私にお任せとなるのでしょうが、パズルって自分で作るからこそ面白くないのか?という最初から持つ根本的疑問は取り敢えず忘れて、この女の子が部屋に飾りたいという絵柄のパズルを作ってあげることにしました。

苦手な人にとってはそれが好きな人にとっては理解出来ない反応を示すものなんですね。でも、これってなんでもそうだという気がします。高いところから飛び降りてダイビングが好きな人には私のように自分の背の高さより高い場所にはすぐビビる人の気持ちなんて理解できるわけもありませんし。

まあ、得手不得手なんてそんなもんなんでしょう。

2025年5月30日金曜日

藤田医大は遠くになりにけり

新聞の一面が医局に置かれていました。

最近は新聞なんて云うものを眼の前でみる機会は病院以外なくなってきましたが、今日は偶々とは言え医局に一面が開いて置いてある状態でタイトルが見えていました。そこに書いてあったのは「藤田医大異例の学費3割値下げ 私大医学部で全国4位に」というもの。

中身をチラと読んでみると「2026年度から医学部の学費を6年間の総額で2,152万円(現行2,980万円)に値下げすることを決定した。値下げ幅は約30%に達し、私立大学の医学部の学費値下げとしては画期的といえる。これにより6年間の学費総額は全国で4位となり、慶應義塾大学などと同程度となる。」との内容。

そこでピンと来たのは、結局のところ藤田医大が臨床で上手くいっているからというもの。だからこそ学費をガクッと下げてでもこういう事が出来る訳です。ですからこの学費値下げで今まではここが選択肢にはいっていなかった受験生が「受けてみようかな」ってなる訳です。

基本的に学費が下がるとお金は無いけど学力はあるという傾向を持つ学生が次第に集まってくる訳で、そうすると大学の偏差値は必然的に上がり始めて、その傾向が長く続くと大学の学生の平均的な知力、能力はジリジリと上がり始め…という好循環が生まれるわけです。その結果は明白で、そこの卒業生や卒業生が成長した後の医師としての能力も上がり続ける可能性が高まるという話。

昔は競り合うレベルで低い所で競争していた同じ愛知県にあるA医科大の先生がポツリと呟いていました。「もう勝てん。経営陣の質の違いが長い間積もり積もってこんなに差が付いちゃった。」と話しをされていたのが印象的でした。

最近、私の中では藤田医大はエマージェンシーを全く断らない有難い大学病院という位置づけだったり、精神・神経疾患のエリアでもなんか優秀な人が集まって来てない?と思っていたのですが、こういう形でそういった努力の積み重ねが出てきているんじゃないかとこそっと思うのは私だけでは無いと思うんですよね。

目標をしっかりともって、種々の努力を計画に則ってきちんと長い未来を見据えて仕事をすることで最後は大きな差をつける。

組織であっても何か人生そのものですね。

2025年5月29日木曜日

古米、古古米、古古古米

 馬鹿息子の江藤の首が飛んで次に挿げ替えられた首は小泉のお坊ちゃんでした。

なんだかなぁとは思いながらも、江藤よりはイイかもな等とどうでも良い事を考えていましたが、あくまで相対性理論。坊ちゃんの事ですからまたまたやらかしたりする事になるのでしょうか。兎に角、この坊ちゃんの最大の売りは顔ですから、それを最大限に生かしていくしか彼の生きる道はありません。

しかし、聞いてると2000円/5キロで売れるように2021年の古古古米も引っ張り出して来て売り捌かせるとの事。まあ、その意気や良しと言いたい所ですが早速野党のボンクラ共がお坊ちゃまに難癖付けてきております。まあ、対案無き連中の文句などは野球の外野スタンドのヤジ程度のレベルですから、気にする事も無いのでしょうが、問題はここから。

実際、今回の価格高騰は種々の要因が複合的に絡み合って形成されたものだというのは諸説入り乱れている所ですが、その何れもが完全では無いにしろ部分的に正しい事をソレなりに表現していると感じる説得力があります。

結局、新米の値段が幾らに落ち着いていくのか更に上がっていくのかは正直誰にも正確にはわかりませんが、減反減反ではどうにもならない事は今回の件でも良く解った事ですし、食料の安全保障という観点からはこの永遠の減反政策というやり方では亡国の手段でしかないという事は明白。

誰も責任を取らない「役所」という組織は上の少数の人間への忖度で動くただのロボットですから、優れた首ついていない今の組織に任せたところで今後に明るい未来の展望が開ける訳も無し。

適正な価格というのは需要と供給のある種の均衡点から形成されるものですが、農家が飯を食えるだけの稼ぎが米作から得られ、その農家が作る米をまた我々が適正な価格で購入する循環が形成できる価格の均衡点はどこにあるべきなんでしょうか。

私はJAだけが買取するというようなコメの流通経路は廃止して、もっともっと個人が売り買いをできる環境を手助けしてやればいいと思います。その途上で駄目になる流通経路は消えるだろうし、より合理的な経路は益々繁盛するでしょうから。

国の連中の流通統制なんていうのは殆どの場合「大失敗」に終わるもの。戦中の統制経済じゃあるまいし、塩やコメの流通に商売の際なんて欠片も無いようあ政府の連中が口出すなって感じです。

2025年5月28日水曜日

長生きが苦しみに変わる時

90過ぎて全く知的能力の衰えをみせない元気なお婆さんがやって来ました。

正直なところ、血液生化学的データには全く問題はなく歩行も普通に可能。会話の中身も全く正常人と変わらないという方です。10年ほど前にもこういうお婆ちゃんが入ってきた事がありましたが、その方は頭はバリバリで何年何月の出来事を昨日の事の様に話し、長谷川式簡易認知テストでも満点という93歳のお婆ちゃんでしたが、その方は足腰が立たなかった。

しかし、今回入院「させられた」お婆ちゃんはご飯を食べる量が極端に減っているという家族の心配での入院。ところが入院してみたらお婆ちゃんは家に帰りたくて帰りたくて頑張って病院食を半分程食べてくれます。

それを見て今度はお婆さんが弱っていくのを家で見守っていたお嫁さんの方の心がかき乱されてしまいました。実はもう精神的に限界だったとのことで、お婆さんがやって来たのはかなり社会的入院というか「家族が崩壊しない為」の入院だったのです。

長生きも90半ばまで来ると、周りの幼馴染に当たる友達は既にほぼ全ていないし、生まれてから慣れ親しんだ景色は大きく変わっているし、これ位の歳になると中には自分の子供さんでも病気や事故などで亡くなってしまっているというパターンが幾らでもあります。

お嫁さんは病室で泣かれるし、お婆さんも帰りたいと言って泣かれるし、ここに集った全員が何も悪い事などしていないのに、超高齢のお婆さんの食べる量が減ってしまった事だけが今回の全家族の悲しみの元なのでした。見ているこっちも何とも言いようがなく、代わりに早く老健などを見つけてあげるからというこちら側からの提案ももちろんお婆さんには全く代案たり得ません。

私は当初、お嫁さんや息子さんには「食べられなくなって眠るように亡くなられていくという事が生物としての人間には如何に自然な事なのか」という事を説明もしたのですが、既にそういう事を受け容れられるような心の余裕は御家族には無く…。

短すぎも悲劇、長すぎも場合によっては悲劇。本当に人の生死というものは難しいもんだなと改めて思う日々です。

2025年5月27日火曜日

岐阜赤十字病院の馬鹿共

禁煙外来というのはそれを保険医療として成立させるためには幾つもの厳しい条件があります。

そしてその条件の中には院内の敷地内での全面禁煙というのがあるのですが、これがなかなか大変。これを実現させるために自分の病院でも一年という長い長い時間をかけて喫煙者に警告を発したり、それまであった喫煙室を取り除いたり、灰皿を完全に取り除いたり等という実務的な細かい要件を一個ずついたりしていかなければなりません。

包括的な要件として禁煙外来を成立させるためには、先ずは以下の大まかな法的要件は最低限満たす必要があります。

1. ニコチン依存症管理料の算定要件

  • ニコチン依存症の診断:スクリーニングテスト(TDS)で5点以上の患者が対象。
  • 喫煙歴の基準:35歳以上の場合、1日の喫煙本数×喫煙年数が200以上。
  • 禁煙意思の確認:患者が直ちに禁煙する意思を持っていること。
  • 治療の同意:標準手順書に則った禁煙治療について説明を受け、文書で同意すること。

2. 施設基準

  • 禁煙治療の経験を有する医師が1名以上勤務
  • 禁煙治療に関する専任の看護師または准看護師を配置
  • 禁煙治療を行っている旨を院内の見やすい場所に掲示

3. 保険適用の条件

禁煙治療は健康保険の適用対象となる場合があります。標準的な禁煙治療は12週間に5回の診療を受ける形で進められ、オンライン診療も可能です。

4. オンライン診療の要件

2023年の厚生労働省の指針により、かかりつけ患者の場合は、初診から最終回までの診療をオンラインで完結することが認められています。

しかし、上にあるのは大まかな条件でして、現実には院内の敷地と認められるところからXXメートル以内では喫煙をしてはならないとか、認定基準を満たすCOチェッカーを購入してその呼気の一酸化炭素濃度を外来で測定出来るようにしておく等という作業も必要となってきます。

しかし導入当初は周知が伝わっていなくて、駐車場内の自分の車に戻って車内で喫煙したり、院内駐車場でも病棟自体からはずっと離れた所で隠れて喫煙していたりする人間がチラホラ。夜勤時にテラスに出たり院外に出て仕事をサボって喫煙する人間も稀ならずいて、それらの悪事を個別にピックアップしていっては注意喚起して禁煙外来をやっとこさスタートできたのでした。

ところが、今回岐阜赤十字で匿名通報により敷地内で喫煙をしている職員が居る事を指摘された岐阜赤十字が聞き取り調査を行った所、看護師ら16人の喫煙が発覚しこれまでの記念外来診療法主など約450万円を患者や健康保険組合などに変換するという間抜けな話。

本当に喫煙者というのは我慢できん連中やなと思うんです。喫煙者に男や女の差はありません。しかし駄目なものはダメであって、これを守れない人間特に21世紀の医療機関で働くような者達は直接の医従事者は勿論、ヘルパーや事務員も守れなければアウトなのです。

バカに付ける薬は無いと言いますが、禁煙チャレンジャーが使う薬はまさに今の時代禁煙外来で処方されているんですけどね!

まさに「バカな話」です。orz

2025年5月26日月曜日

またお前らか!(# ゚Д゚)

第10師団 創立63周年・守山駐屯地 創設66周年記念行事に行ってきました。

内容的には昨年の10月の時の演習とほぼ同様だったと思うんですが、今回はある伝手で招待をして頂く事になり一番前の席で見学させて頂くことが出来ました。息子と二人でしたが、息子も大人しく一体これから何が始まるのか?という感じで目の前に並ぶ陸自の皆さんの雄姿を眺めておりました。

さて、椅子に座って指揮官らしき方の挨拶が始まろうかという前にある嫌なイベントが始まりました。それは、この前も病院の記念パーティーに現れた県会議員の親玉のような連中の紹介という奴。

そもそもお前らは「貴賓席」という席に呼ばれとる訳なんだが、そもそもお前らは貴賓なのという真正面からの質問をさせて貰いたい。

アナウンスが始まると「衆議院議員XX様」「衆議院議員YY様」「参議院議員ZZ様」「参議院議員AA様」という感じで、隊員たちが直立で立っている所で愛知県から選出されたクソ議員の名前が延々ダラダラと流れてきます。更にとんでもない事には「衆議院議員BB様代理。秘書のCC様」とかいうアナウンス。

もうね、何で公僕であるはずのお前らがひな壇の上で上から目線で選挙民たちを見下して、聞きたくもないお前らの名前を聞かされて、おまけに御愛想とは言え周りの優しい人達にパラパラと拍手をさせているのかという話。

私はムッとして一切の拍手はしませんでしたが、内心では「またお前らか!」と小さな嫌悪感が渦巻いていました。

それが終わった後は練度の高い様々なアタックや16式機動戦闘車をガンガン使っての空砲を撃ってのド迫力の練習披露などがありましたが、これらは前回観ていなかっただけに素晴らしいな~と感心頻りでした。自衛隊はやっぱり良くドリルしとるな!って嬉しくなりました。

この練習がただただ「使わぬ剣を磨き続ける」という時代の継続であって欲しいものだと心の底から思った私です。

それにしてもあいつ等ときたら・・・俺の行くところに来るんじゃね~!(# ゚Д゚)

2025年5月25日日曜日

糖尿の猫

本当に人も猫も生き物だなって感じます。

時間と共に老いる。そして老いは様々な病気や日常の様子を変えていくという極当たり前の実に単純な事実を眼の前にして「生き物の一生は皆おんなじやな~」っていう感想しかありません。

最近のうちのニャンコは本当に寝てばっかり。ADLの落ちた寝たきりのお爺さんにそっくりです。DM性の神経障害と思われる後肢の障碍で、歩くときに普通は曲がってはいけない関節の部分が屈曲して上手くは歩けません。動く時と言えばウンチ・オシッコに行く時と餌が欲しくておねだりをする時だけ。

通常は朝から晩まで次女の布団の上に全く同じ丸まった形で眠っているだけ。朝家を出る時に丸まっていた形のままに夕方にも丸まってるという日々。以前の様に次女が家に帰ってきた時にヒューッと近づいていって擦り寄るような動作を見せる事も全く無くなりました。

未だ視力は問題ないようですが、本当に動きが鈍くなった…。以前は90センチ近いカウンターのトップにさえヒョイと飛び乗っていたニャンコも、今ではごく低いソファの上にも移動できなくなりました。しかし、それも生き物としての「老い」の一端と考えればごく自然な時の流れしょう。

今後更に老化が進むのでしょうが、それを自然に受け止めてあげるのが大事な事だと思っています。なかなか食べないようになった餌、そして水分の摂取量も減ってきています。それでもなんとかかんとか生きてくれている。それで良いと思います。寝てるだけ、というのがその日常の実体ですけど身近で生きていてくれている事がまさに家族にとっての安らぎになっているという事実。

やがては私が通るであろう道をちょっとだけ先に進んでいるだけだというのは紛れもない事実。少しでも強く生きて欲しいと思っています。

2025年5月24日土曜日

なんか嫁さんが生き生きしてきた!

バイトを始めて約一か月!

どこまで続くかな~と思っていたんですが、自分で何時も言っていた様に「決まり切った仕事」には強いというのが売りの嫁さん。何とも普通に頑張れているようです。

最初の頃は店長さんに「肉の切り方が大きいですね~」とか言われるし、自分で見てもキャベツの千切りが不揃いで粗いという「急ぐ仕事を大量にこなす」時に発生しがちなやらかしがあったというんですが、今はそれも随分慣れてきたという事で何よりです。

結局のところ、ナルホドねと思ったのはバイトに入っている多くの女性達は「子育てをしている世代」が多いという事で、どうしても週末には仕事に入れないという事が多くなるという状態だと言います。ですからそこの隙間埋めには嫁さんのような子育て終了組が入ることが出来る訳です。

こうやって自分の分担業務に慣れてきているようなので、今後は出来る事を増やしていくのかな?嫁さんによるとその上で人がやりたがらないような部分の仕事、例えば排水溝のゴミ掃除とかをやることで、職場の中で必要な人になろうとしているようです。^^

少しずつの稼ぎではありますが、一回に働いて大体5時間。そして少なくとも今の時給は1300円程度なので税金を引いても一日実質6000円程度は稼いでいる様子。それを最低週二回入っている訳で、平均すると最低5万程度はキャッシュを稼いでいますからまあ、頭の体操と健康維持には良い事。

そもそも始める前から「家でごろごろする時間なんて勿体ないしボケの元!」と言って私はハッパをかけていましたので、ようやく自分でキャッシュを稼ぎ、お金の有難さを実感するようになったのは良い事です。稼ぐ額の問題では無い!

最近は何かを買う時に私が横から「お、これお前の仕事のX時間分やな~w」とか囁くと「やめて~」と言って顔を赤らめ笑っております。

もう一つ副次的な事ですが彼女にとって良いことは「急激に痩せられた事」だそうです。お昼休みに水分以外取れない位のレベルで働き続ける為、必然的に昼飯抜き状態に近くなって、ばんばん汗かきながらの仕事になってしまうとの事。脱水注意ですよ!

2025年5月23日金曜日

ワークマンで買い物

近所のワークマンに行きました。

目的はこの梅雨シーズンの間に使える自分と息子用のレインウェアを買う事でした。息子は作業所に行く為のかっこいいレインブーツは持っているんですが、いつも移動支援の方に傘を差していただいての移動ですので、これはちょっと改善が必要だな~と思っていましたので、一念発起してワークマンで防水性と透湿性の双方が高いバランスを持ったウェアを探してこようと思っていました。

こういう事は思い立った瞬間に移動するのが怠け者で計画性の無い私には必要。そこで、嫁さんにも移動について行って貰ってデザインなどの確認と共に息子との行動もお願いすることにしました。

店に着いて早速レインウェアのコーナーにアクセス。様々な色のウェアがありますが実際にはそのウェアのそれぞれがいろいろと異なる防水性と透湿性を持っていますので、そこを見極めながら選ぶことになります。

幸いなのは相当の高機能であるにもかかわらず、ワークマンのこういったウェアはリーズナブルな価格である事。コスパという意味ではこれ以上のものは無いと個人的には思っています。
さて、今回は「撥水」型のモノも考えたのですが、やはり「防水」型のモノに限定し、かつ透湿性の高いものをその数値から選択し、ワークマンのINAREMというブランドを選択しました。これだけのレベルのものなら大丈夫だろうと信じての購入。

買って帰ったのは良いのですが、外は雨が降っていたのでこれ幸いという感じで嫁さんが言ってきました。「ちょうど雨やし、お父さんちょっと着て外出してきたら?」というもの。w
「ウーム」という感じで、「今日はやっぱりやめとく(-_-;)」という返事で逃げ切りました!

何れにしても梅雨時が近づいているのは間違いないので、私の場合は近々行こうと思っているキャンプの為には貴重な予備実験になると思いますので、雨が沢山降る日を狙って先ずは散歩をしてみようと考えています。

2025年5月22日木曜日

職場でストレスを増やさない一つの方法

病院の仕事はチームで動くもの。

勿論他の多くの仕事でも、二人というチームもあれば数百人というチームで動くような仕事もあるのでしょうが、病院での仕事と云うのは数人から十人程度が一つのユニットになって何らかの仕事をするような事が多いと思います。

そういう環境の中では全員が歯車の一つとなって一つの目標に向かって何かを成し遂げる事が大切なんですが、どこにでもあるように「チームプレイが出来ない人」がどうしても出て来るもの。中には意図的に協力しない、中には自分が出来ていない事が判っていないレベルの人も混じっている訳なんですが、そういう時には取り敢えず自分の中にある「ストレス・ゲージ」の針を振り切らせたりすることが無いようにある事を実行しています。

それは「最初から成果を期待しない事」です。特に特定のプロジェクトの成功に対して特定の人間の貢献を期待しない事は大切だと思います。無論、期待して四淹れエルの人には期待をしておくわけですが、そういうできる人であっても時にはうまく出来無い事もある訳でして、況や最初から期待すべきレベルに達していない人には最初から「無の境地」で構えておくことにしています。w

期待値が上昇している分水銀柱の中を水銀が加速して落ちていくと氷点下表示になってしまって大きなストレスのネタになりますので、それは禁忌に近い行為だと思っています。特に新人さんが何かを比較的スムースに出来た時には例え「上手い」と言えるレベルのものでなくとも滅茶苦茶褒めてやることが大切だと思っています。
褒めてやることで自分自身が本当にうれしくなってくる事もありますからこれは大事。^^

その反対にこの人には最初から絶対に期待してはいけない、若しくはしないと決めている人に関しては最初から空気の様に期待しません。ですから、多くの場合失敗するかパフォーマンス不足の結果であっても、それが最初に考えていたものですからこちらにしてみれば「予定通り」という訳です。

この手の人達の多くは私の関与しない外の世界で最終的に自壊していきますので、退職とか転棟とかを繰り返すのですがイワユル「向いていない」という人なんでしょうか。

最初に何度も何度も助け船を出しても、結局のところ改善しようとしないし、そもそも何が悪いかを理解できない人も居ますので、あんまりしつこくやっても最終的にはこの手の人達に誤解されてパワハラなんて言われるのがオチですので、充分に気をつけておかねばなりません。

危ない者(モノ)には近づかない。オジサンの得た人生の教訓です。

2025年5月21日水曜日

看護師の世界は怖い

若手の看護師の女の子(達)が時々泣いているという噂を聞きました。

いわゆる新人達に対する年配者グループのいじめだと思われるのですが、基本的には今の時代こういう行為はパワハラになります。昔はどういう感じだったのかは知りませんが、こういう病棟内で看護師の暗闘は看護業務という仕事が始まった大昔からあったんだと思います。

それにしても、特徴的なのはいじめを行っていると言われる連中はみな揃いも揃って「裏表」があると以前から私がずっと考えていた人間達。表では笑っていても裏では嗤っている人間だという事です。

この手の人間は患者の看護においても裏表があり、人の目が届かないところでは患者さんに対して厳しい言葉、口さがない言葉を吐く事。実は患者さんからは我々医師に対してそういう事に関する訴えや告発は普通に届いています。そういった事を知らないのは看護師さんだけ。

私の病院では看護師の問題は看護部が取り扱うとなっている暗黙の了解があるそうなのですが、この世界を取り仕切る医師法では看護師は医師の指示のもとに働き、准看護師は正看護師の指示のもとに働くという指揮系統が成立していた筈。まあ、当院の悪しき慣習ですな。

仕事の出来ない看護部長が居て、その下で太鼓を叩く人間が揃っているような世界ではとてもとてもそういう事態を改善できるはずもなく。渦巻く下の人間の不満は病院を辞職するという形で表現される事が多々あります。しかし、実際はこういう辞職は看護師間では本当によくある事。

それでも、資格職というのは非常に強力。どの病院に移ろうとも大概何の支障も無く再就職できます。そういう意味では看護師さん達の暗闘?は時と場所を変え続いて行くのでしょうが、こんな事して何か益があるというのでしょうか。

看護師の世界は狭い世界。名古屋で仕事を続ける限りいろいろなネットワークを通じて看護師同士の人物評というのは漏れてくるものです。結局自分の住む場所を狭くしているのは己の行い。何れの日にかその行いは自分に返ってくるものと思います。

悪貨が良貨を駆逐する世界ではあって欲しくないものですが、私の知る幾つかの病院では声の大きな人間が結局のところ「幅」を利かせているようです。

ところでこういう人達、実は最後には私の目の前から去ってくださいます。何ででしょうね?w

2025年5月20日火曜日

おばちゃんに「丸い」と言われ…

実は人生で初の75キロ越え状態です。orz

一番体が絞れてると思うのはこれから10キロ痩せている状態。この数年で何度か71キロくらいまで行った事はあるんですが、最近はアカンです。いつもお世話になっているおばちゃんは「少しぐらい太ってた方が男の人は良いんです!」と言っていたんですが、この前会った時に「そう言えば先生最近丸くない?」と言われガーンとなりました。w

何で最近太るのかというと答えは簡単で、食べるから。人生の中でそもそも食べるという事、そして食べ物というものにほぼ何の興味も無かった人が、この十年でいろいろと美味しい料理に晒されてきた事で食べる事の素晴らしさを知ってしまった事がシンプルにその体重に現れているだけなんです。

アメリカにいたらそれだけで太りそうなんて想像で思っている人は多いと思いますが、別にそんな事は無くて、結局日本人はアメリカにある食材を使って日本食もしくは日本に居た頃の食事を作るだけってパターンが多いと思います。しかも、大きな町ではエイジアン・マーケットも結構あありますし、ウォルマートのようなレベルの大きな店ではごく普通にエスニックの食材コーナーは充実しているのが当然。

というわけで、アメリカのせいで太ったという事は全く無くて太ったのは日本に戻って来てから。

結局嫁さんに言わせると「あんたは食に関して我慢するという意志が弱い」との事。確かに嫁さん自身は少しでも太る傾向を見せるとあっと言う間に食事制限が出来ますし、夕方以降には先ず絶対にものを口にしないという人ですから私の食に関する意志の薄弱さをとやかく言うだけの事はあるのです。

そう云う訳で、5月に入ってからは昼食の量をコントロールしたり朝飯の量は変えずに夜飯は少し減らして貰ったり等と「ちょっとだけ」頑張る振りをしています。

70キロ切ったらファッション的には幸せになれるのかな?

2025年5月19日月曜日

JAと農水省は農家の敵

ニュースなどでは表に出て来ませんが、知り合いの農家の人達に聞くとJAとか農水省というのは「農家の敵」と言い切ります。

そもそも各農家がJAを通じて農産物を販売すると、余計な手数料がかかるせいで「直接販売」するよりも農家の手取りが減少するという話。実際のところJAが集めなくとも軽トラに載せてガンガン売りに行く農家も沢山あるし、買い叩かれるくらいなら低く抑えられた納入価格なんて設定するなと体力のある農家の知り合いは怒っていました。

価格決定の自由度はそもそも農家が自分の裁量で価格を設定するもんじゃないかという話で、関税障壁などを作って日本の農家を護るなんて言っているのは農水省やJAの保身のための屁理屈であって、犠牲になるのは中抜きされる農家と国民。結局は余りに強かった利権組織JA全中等の組織の腐敗や独裁的な運営が問題視され、農協法の改正によってその権限が縮小された経緯も知ってる人は知ってる話し。まさに黒歴史としてJAとその関連団体達は存在しています。

おまけに、JAの「訳の分からぬ金融機関」である農林中金が巨額の赤字を抱えこんで、農協全体の経営にトンデモナイ負の影響を与え、農家にとって不安要素となっているという話もあります。農林中金というのは完璧にブラックな金融機関なんですが、そもそももう時代が違う。

ただでさえ場違いな感じが強い農林中金の存在は農家に要らぬマシンを次々と購入させ、その借金から利子を撥ね上げる組織というイメージしかありません。

政治的にも農家はJAを通じて票田として扱われる奴隷のような存在。「お前ら百姓の為に俺達が関税や障壁で守ってやる」等というお為ごかしの説教をのうのうとその口から吐きますが、それそもそもそのへ理屈はお前の存在の為やろう?という話。大体のところ、JAやその関連組織が国からの滅茶苦茶なボリュームの補助金に大きく依存している点が、税金の使途や公平性について議論を呼ぶところだと思うんですけどね。

挙句の果てに減反減反と私が小学背の頃からどっかの宗教の念仏のように唱え続けてきましたが、食料自給率の事等は毛ほども考えていない馬鹿な省庁ですから、結局最近になって米の価格が高止まり~なんて事で国民から死ぬほど叩かれる事となった訳で、正にメデタシメデタシです。

そして最後のとどめはその減反の結果起きたコメの価格高騰を全く解決できない宮崎の元馬鹿議員である故江藤隆美の更に不肖の息子「江藤拓」が己の食糧庫に皆様から頂くお米が売るほど積んであるから、米など買った事がありませんというバカ極まれりの発言。これで更迭されなかったら石破内閣は最終的に潰れるでしょうね。少なくとも選挙では大敗。w

JAもう要らん。補助金で日本を駄目にし続ける農水省と一緒にはよ失せろ。

2025年5月18日日曜日

長女の誕生日に食事会

 今日は長女の誕生日でした。

今の所は日本に滞在していますが、アメリカでのリモート・ワークの仕事を切って来て以来やはり仕事の選別にはかなり気を使っているようです。日本に戻って来てからというもの家や長崎のお婆ちゃんの家に閉じこもってはアートの作品を黙々と作ったりしているようです。「ようです」というのはそれが全て嫁さん経由の伝聞だからなんですが。

もともと子供達の進路や種々の選択に私自身が口を出すことは決してありませんので、何をしているかも私からはまあ聞かない訳です。自分が育ててきた子達が悪い事でもしていない限りは特に「やりたい事」をできる環境を自分で揃えている限りは口は出すまいと。

親として子供のやっている事に口を出さないというのは、実になかなか「言うは易し」という事の代表例なんですが、ここはよっぽどの事が無い限り「口を出す」事で何かが良くなる事というのは先ず無いと考える私です。

子供達が何かを聞いて来るのなら話は別ですが、いい加減もう大人。彼女達が自分の経験に基づいて時間をかけていろいろと判断している事に「彼女達のやろうとしているエリア」の事など何も知らない親父が何かを言って物事が改善するとはとてもとても思えないのでした。ですから黙って見守るというのが最良の選択かな?と思います。

さて、そんな長女との誕生祝いは藤が丘界隈にある美味しい和食のお店での食事会でした。以前次女と三人で行った時に大変美味しかったので、ここなら堅い!という事で決定。息子も含め4人で食べ始めたのですが、嫁さんが妙に張り切って嬉しそうに次々と注文を繰り返していきます。

余りの勢いに私が呆れていたところ、流石に長女も「お母さん、今食べているのを食べきってから注文したら?」と嗜める始末。w

週末に自分で料理を作らなくていいというのと、美味しいものを食べるのが好きという相乗効果が発揮されてガンガン注文するという「舞い上がり」状態になってしまったようです。まあ、毎度の事なので驚きは無いのですが!

美味しい料理で満腹になった我々は成城石井やマックスバリュでちょっと食料品を買い込んで、家路へと就いたのでした。


それにしても、長女が生まれて31年。よく無事にここまで元気で育ってくれたもんです。感謝感謝!

2025年5月17日土曜日

三重にひものを食べに行く

今日は朝起きたら私の大好きな雨降りの日、何時もの様に昼から四日市のひもの食堂へ向かいました。

今日はいつもお世話になっているおばさんを誘ってのミニ食事会となりましたが、嫁さんと藤が丘駅に向かいおばさんを拾い上げ、ゆっくりと向かっていきました。それでも40分もかからず現地へ到着。

何時もはお土産物としておばさんの所に帰りがけに持っていくだけですので、今回は初御招待。やっと本場の本物を一緒に食べることが出来ました。店の引き戸を開けると11時ちょっと前で激混みし始める直前。お土産分の魚もドサッと買い込んで三人分の縞ホッケを定食として注文させてもらいました。

さて、wikiでヒモノとはそもそも何なのかを調べてみると「干して乾燥することで、独特の食感とそれに伴う食味が生まれ、蛋白質が分解されて旨味が形成される。旨味が増すのは、水分が減って味が濃密になるほか、魚の死後に増えるイノシン酸が寄与している」との事。じゃあイノシン酸って何だとなるとヌクレオチド構造を持つ有機化合物で、カツオ節のうまみ成分の一つなんだそうです。

そういう理屈は今回は頭の片隅に置いておくとしても、素で食べるよりも美味くなるのはそういう理屈があるのだね!という事が理解できて嬉しいです。やっぱり人生において「知る喜び」は私にとっては大きな喜びの一つですね。

取り敢えずおばさんも満足して下さったようで、腹に入りきらないと言ってどんぶり飯の方は半分でギブアップでしたが、お魚の方は奇麗に無くなっておりました。三人とも腹満タン状態で名古屋へ戻りましたが、美味いものを食うというのはやっぱりいいですね。食道楽とまではいきませんが、やっぱり良い。

おまけに御婦人方にとっては週末に御飯を作らなくて良いという幸せも大きいようで…。(恐らくそれがより大きかった?w)

また行きたいと思いました!

2025年5月16日金曜日

ゲームのオフ会・初出席

結局、スマホでちょこっとだけやっているゲームのオフ会というものに出てみる事になりました。

集合する予定となっていたのは北九州からの人物が一人、残りは全員が名古屋もしくは愛知在住の人間達という事で事前にネットのチャットで聞いていましたが、そもそも本当に集まるのか?というのもこういう事の初心者である私にはちょっと心配でした。

金曜日の仕事を終えてサクッと家に一旦帰りシャワーを浴びた私は藤が丘駅から一路名駅へと向かいました。ゲーム内のメッセージング・システムが唯一の連絡手段だったのですが、移動中もきちんとこちらの会話に反応してくれていましたので、あんまり「会う事」自体は心配していませんでした。

結局、名駅に到着して約束していた店にアクセスしたところ出口の方にスッとある男性が「人探し顔」で登場。お互いに目線で会釈したところ、向こうの男性から私のゲーム上のハンドル・ネームで呼んできましたので「XXです」と応えたところ手招きされて店の中へ。そこにはサーバ上で最強レベルの強さを持つと言われているVさんと、幹部連の一人Sさんが待っていました。

全員がオジサンですが、待っているとそこには更に二人の男性が登場しました。結局総勢は6人。名前を聞くと其々が既にネットの上では有名になっている人物達でした。

全員が集合したところで其々のハンドル・ネームを紹介しあいました。お互いが「おお、あんたがあの?」という反応が顔にまざまざと表れていて面白い瞬間でした。その後いきなりい全員がスマホを取り出してゲームの画面を出して会話開始だったんですが、「先ずは酒注文しようよ~」というところから始まって焼鳥やその他の食べ物をササッとオーダー。

モノが到着するまでの間にも、やっているゲームに関する聞きたくても聞けなかった恥ずかしい質問やその他の有用な知識の伝授が盛り沢山!来て良かったと思わせるだけのお話が最初の十分で大量にゲット出来ました。

その後は当然の如く乾杯して、ゲーム・サーバ上で繰り広げられるゲームの内容や課金者非課金者の間の差に関する話題などが出たのですが、それとは別に驚いたのは基本的にここに集っている人間達の職業的背景でした。

1人は一部上場工作機械メーカー、もう1人も一部上場企業の製鉄の方。もう一人は税理士さん、そしてもう一人はビル管理業を営まれている悠々自適の方。最後の一人はこれも一部上場の物流関係の方。私は内心で「何じゃこの集まりは?」という感じでした。というのも、アメリカではPCでオンラインゲームをやっている人間にはjob hunterという呼び名の失業者の面々が実に多かったからです。

やっぱりこれはゲームの更なる大衆化なのか、日本特有のものなのか。しかも、話をしていく中で理解できたのは一人の方を除いては全員が3人の子持ちという状況で、とてもこの人達を日本人の標準サンプルとしては海外に紹介出来ないなと感じました。w

さて、話はいろいろと飛びながらもゲームの話がメインで、ゲーム中の色々な顔を見た事のない人物に関しての話が中心で、皆がゲラゲラと笑いながらの良い飲み会でした。二次会の焼き鳥屋に移ってからは更にフランクにお話が継続。終電が近くなったという事で最後に散会する前に皆で写真を撮って再会を約して別れました。

今回、オンラインで顔を見た事の無い人間といきなり多数見たことになりますが、少なくとも野郎同士で出会うのはまともな人間であれば良いもんだなと思いました。特に、私のような、交友関係が医者同士に偏りがちなタイプの職業の人間には。

次回の交流、起きるのか起きないのか?期待して待っておきたいと思います。

2025年5月15日木曜日

世の中には救えない類の人間がいる

またとんでもない奴らが立て続けに出て来たもんだと思いました。

ニュースに出てきたのは、今月の始めに愛知県田原市で祖父母と一緒に暮らしていた同居する孫である高校2年の少年が逮捕されたのが先ず一件。殺害されたのは70代の少年の祖父と祖母で、就寝中に襲われ、二人とも全身を多数回刺され出血性ショックで亡くなったというもの。少年は「人を殺してみたくなった」「祖父、祖母の順で刺した」「自分より弱い者を殺した」等と言っているという話。

次の一件は中学3年生の少年が、千葉市の路上で5/11日に近くに住む八十代の女性の背中を刃物のようなもので刺し殺害した一件。理由としては「長く少年院にいるために、刃物で人を殺した方が確実だ」との事なんですが、ただただ碌でも無い救えない話。

精神科の病棟には残念ながらこういう人物が長期収容されているパターンというのが残念ながらあります。刑務所ではなく精神科。

最初の頃は閉鎖病棟で歩いている時に、横を一緒に歩いていた精神科の先生に「ここに居る患者さん達、なんか普通に見える人達なんですけど何があったんでしょうか?」と何気に伺った所、「いや、ここには日本の法を変える事件を起こした人物や、殺人を犯して裁判所では心神喪失のような判決で収監はされなかったけれども、その後もいろいろと不味い事を続けて…」云々という話が暫くその先生の口から語られました。

20年ほど前にも長崎は佐世保で佐世保小6女児同級生殺害事犯人というカッターナイフで同級生を殺したり、これも10年ほど前に佐世保で「人を殺してみたかった」「人を解剖してみたかった」「遺体をバラバラにしたかった」等と同級生を殺害後に証言した女子高生が逮捕されています。

人を殺す事に異常な興味を持ったり、殺す事で性的な快楽を覚えるような連中は正直近所には住んで欲しくありませんし、路上を歩いて欲しく無いっていうのは私の人の親としての感覚です。まあ、法理学者や一部の弁護士の方々は「人権の観点から云々」等という事を言うのかもしれませんが、そんならあんたが横に住めと言いたいですな。^^

反社会性パーソナリティの連中。私には同じ社会に生きる人間としては受け容れる事の出来ないタイプの人間ですね。救えないと思っています。

2025年5月14日水曜日

美味しいお茶を巡る想い出

最近は医局にあるコーヒーと緑茶、そして家では他人から頂いたジンジャー・ティーとコーヒーを飲むことが増えていました。

基本的に一日に3~4杯のこれらの飲み物摂取は種々の疾病予防に効果を持つと言われている事はここでも数回書いた記憶があります。実際のところ、その効果はどれが何を上げてどれが何を下げるのかというのは論文の作成者によって種々異なるのですが、一貫しているのは多くの加齢に伴う疾患に対する(恐らくは抗酸化という現象を通じた)効果を持つというお話。

しかし、私にしてみればどちらかというと純粋に美味しく喉を潤せないか?という欲求の方が少し勝って居る気がします。まあ、健康志向に少し気をつけるというのもあるにはあるんですが…。

基本的にタバコやコーヒーを体が欲しないタイプの私にとっては、特にコーヒーは「それほど」飲もうとは思わない飲み物。小さい頃飲んでいたいわゆる「牛乳瓶」というものに入れられていた甘~い偽コーヒーには小さな頃に随分とお世話になりましたが、アレは全くの偽物ですから、コーヒーとはちょっと呼べません。w

ですから、コーヒーを飲むときはどちらかというと眠気覚まし?というくらいの気持ちで飲むことが殆ど。しかし、私の場合はよっぽどカフェインが濃くない限りは寝る直前に呑んでもほぼ睡眠に影響が出ない人間です。

そんでもって、最近は緑茶に目覚めてしまって何とか美味しい緑茶を飲みたいなと結構真面目に茶葉を探しているんですが、本当に「おいしい」と思える茶葉にここ30年出会っていません。

実は大学生の頃に、実家の母ちゃんが友人に頼まれてお茶屋で売り子のバイトをしておりまして、その時に何気なく私に送って来た「開封済み」のお茶を何気なく飲んだことがあったのですが、その時のお茶が衝撃的な程に美味しくて、生まれて初めて「お茶っておいしいんだ!」と思った経験を持っているんです。

ところが、馬鹿な俺はその時の銘柄を覚えている訳も無く、ただただ「美味いな~」っていう感じで、それを消費した事しか覚えておりません。何ていうのかこういう「記録性の無さ」というのが私のダメな所なんですよね…。

それでも、最近はこの「失われし茶の味を求めて!」というプルーストのような旅を再開しておりますので、数年以内に何とか美味い茶に再会してそれをゴクゴク飲みたいな!って思う日々です。

2025年5月13日火曜日

信賞必罰は使い方次第

世界中の如何なる組織の中でも毎日成功と失敗が繰り返されています。

病院の中においても全ての職種の全てのレベルでありとあらゆる成功と失敗が流れ続ける日々。オペ、注射、診断など普通は当たり前の様に,、そしてほぼ全ての手技は成功裏のうちに終わり、誰にも評価されずに当たり前の様にその日は終わっていくだけです。しかしそれでこそ病院の日常であるべき姿。

しかし、失敗は失敗で偶然も含めて当然の様に本人達には予期せぬ形でやって来ます。ところが、時間軸を後から丁寧に巻き戻してみると様々な準備段階を経て最終的にその失敗・事故が発生している事が理解できます。予期は「していないだけ」で、別の人の眼で見るとそのアクシデントは当然の如く「ある確率」で発生するはずのインシデントとの積み重ねいう形で準備されたと考えるのが普通。

それでも、そういう事態を失敗から学び、可能な限り次には発生しないように抑え込み続け、万一発生したらそう対処するかを考える事こそが日々大切な事になる訳です。

そういう日常を送る中で成果を上げた人物には報酬を与え、過ちを犯した人物には相応の罰を与えるという考え方がありますが、これは組織の秩序を維持し、公平さを保つために重要だと思う事が多いのですが、それが必ずしも最良の方法かというとそれは大いなる疑問で、そこにはある程度の緩みを持たせておかないと過度なプレッシャーや人間の相互不信を生む可能性も高まりますからね。

更には過度にネガティブナ面ばかりに目を光らせて失敗ばかりを拾い上げることで、組織に所属する人間が罰を恐れすぎて創造性やチャレンジ精神を失うような環境では、逆に組織の発展を長きに亘って妨げる可能性も出て来るのが難しいところ。

一方で成功者には適切な報酬と公正な評価を与える事で、モチベーションが高まり生産性が向上するのもまた事実だと考えます。ただ、成功時の報酬付与は良いとしても、今の時代若い人がミスをした場合に我々の時代の様に単純に厳しく罰するのではなく、そこから何を学べるかを本人に学ぶ機会を与えることでより持続可能な成長が促されるかもしれません。そこは本当に匙加減や方法論が難しい所。  

特に今の時代は失敗に対する取り扱いは下手をしなくてもパワハラとされがち。失敗し続ける人間、反省しない人間が攻守逆転で組織を訴える事もごく普通ですから要注意ですね。^^

最近、院内でそういう事を深く考えさせられるインシデントが発生し、ちょっと考え込むこと頻りでこんな文章を書いてみました。

2025年5月12日月曜日

前歯が叩き割れました( ;∀;)

今回、衝撃的なインシデントが発生しました。

タイトルの通りなのですが、私は何時もこのブログに日記として記録している様に昭和の子供として歯科医に献金を続ける世代である事は何度もインシデントの記録を通じて書いてきました。しかし、今回のはちょいと衝撃のレベルが違いました。

今回事件が起きたのは昼飯時。実は業者の設定した薬の説明会中に出された昼食を食べていたのですが、その途中あるデータが目にとまりました。よーく眺めていると「おや、これおかしいやろ?」という感じのデータが登場。更によく目を凝らしてみると明らかに説明に矛盾がある事を発見。

その直前に大きな揚げ物を割りばしで口に運びながらそのデータを眺めている状態でした。こりゃオカシイと思った瞬間、思わずガシッと揚げ物を力強く噛んでしまったのです!ところが、その時に割り箸が思っていたよりもその揚げ物を深く摘まんでしまっていたので箸の先端がそんなところにあると思っていない状態で思いっきり噛んでしまったのです。

しかも噛んでしまったのが左前歯の先端部。その瞬間に部屋中に広がる感じで「パキーン」と言う高周波の大きな音と共に私の口腔内で歯が叩き割れました。しかも、その割れ方は殆ど左の切歯を前後二枚におろすような凄い強烈な割れ方。

歯の根元がぐらぐらする事はありませんが、割れた歯の前のほうの薄い一枚は神経の根をぶら下げたまま揺れる有様…。

これはイカン!というのが余りにも明白なほどの崩壊ぶりでした。早速いつも通っている歯医者に電話をして予約をとろうとしたのですが、残念ながら長い昼休みに突入していました。ズーンと入って来る痛みに耐えながら一時間後に電話をすると4時過ぎなら時間をとれるという事で、それまで頑張って仕事。

結局それから病院の終業前には歯医者に到着して私は割り込みを陳謝しながら診察開始となりましたが、先生は歯を見た瞬間に「ああ、これはやりましたね~」と言いながら治療開始。

抜髄をしつつも奇麗に割れた歯を再利用する方向で対応して貰えました。今後はあと数回の抜髄作業を繰り返して仕上げていくとの事でしたが、己の馬鹿さ加減にガックリした午後の一日となりました。orz

2025年5月11日日曜日

どの企業や病院も入り口がダメだと…

何時も何処かの病院に連絡を入れる時に思うんですが、企業や病院の入り口にあたる「総合案内・受付け」や「医療連携室」の質は本当に大事ですよね。

大変申し訳ないんですが、入り口の受付をする人物の声の質や案内のレベルがその病院や企業の印象、大変大事な「第一」印象を決めてしまいます。無論、ここに出来の悪い人間を置くのはその企業や病院というシステムの質が高くないからこそ、という事になってしまうんですが、これが解っていないところって結構あると思います。

やる気無さげな受付や自分の組織の仕事や全体像が見えていない受付の人間の応答は本当に電話をしたこちら側を落胆させ苛つかせます。

秘書業務の出来ない秘書というのはこんな感じだろうなと感じる事があるんですが、通常そういう人達は「馘」になってしまいます。アメリカに居た時は秘書さんというのは多くの場合物凄いレベルで自分とボスの業務の流れというのを良く解っていて、次は何をするかどころでは無くて、先の先の先を読んで色々とリマインドしてくれます。

無論そうでも無いのも居るようですが、少なくとも私についてくれた秘書さん達は「これぞ秘書」みたいな感じで良く仕事出来ましたね~。

私のボスの場合はまず秘書さんがボス宛のメールを全部管理していて、その仕分けから簡単な返事まで全てやっていて、必要と判断したものだけをササッとボスに回してくれる方でした。会議や訪問者の捌き、電話も全て受けて、出張の管理も金銭の出納も全てバッチリ。この人が居なくなったらどうなるんだろうというレベルのオバサンでしたが、こういう人が2人いていろいろな仕事をしていました。

ですから、日本に戻って来て自分の病院に入ってみて感じたのはその受付の質の低さ。そして他の大小の病院に電話した時もイマイチという様なレベルの人がその入り口に立っている事が多くて残念感が強かったのを覚えています。

病院や企業のトップと云うのは己の組織の入り口がどういう質の人物が仕切っているのか本当に理解しているんでしょうか?

まあ、良い人を手に入れることが出来た組織は幸せ。そうでない組織は・・・という事なんでしょうか。自分の病院も人に依るのですが、駄目な輩は表に出すな!と思いますね。ホンマ。

言い過ぎましたかね?言い続けるつもりですが。w

2025年5月10日土曜日

ものを食べられなくなったら

病院にはいつも「食べる事」に関して問題がある人々が沢山治療を受けています。

その多くは高齢になって食べるという行為の経過の中で誤嚥の繰り返しから肺炎を併発するようになったり、食欲自体を失ってしまったり、食べるという行為をすっかり忘れるほど認知症が進んでしまったりというような事が起きて最終的にお亡くなりになるというパターンが多くあります。

食べることが出来なくなった方々に「どうやって生きて頂くのか」という事を問いかけるのですが、御家族の希望、本人の希望でその先は様々に枝分かれしていきます。

胃瘻を造って何としてでも生かしてくれという御家族は最近は本当に減って来られて、中心静脈栄養も御希望は減り、経鼻栄養も減って来て、末梢点滴でゆっくりと旅立たれる方が増えてきているというのが現場の人間の強い実感です。

私が日本に帰って来て10年経ちましたが、私自身は中心静脈栄養による延命というものには正直真っ向から反対で、御家族に希望されたり特段の状況が出現すれば変えて参りますが、通常は私自身が「自分の家族にしたく無い事は患者さんにもしたくない」そしてその逆も。基本的に家族を診る感じでしか診ることはありませんので、それでよいと私自身は考えているのですが。

実際に患者さんや御家族と話をしてみると、御家族や御親族をそのような姑息的な手段で延命させた挙句、逆にその方々を辛い目に遭わせてしまったという経験をする方々が増えてきており、「延命のための延命」が決して人間にとっては正しく無いという事を実体験として体験、若しくは聞き伝えてきている人達が増えているという事。

私はそのような情報が広まって、結果として口からものを摂れない、若しくは摂らないという病状になってしまった場合の選択肢は「そういう手段をとらない」というものがあってしかるべきだと考える人間です。

無論、食思不振症やその他の精神疾患で摂食の機能というものが失われていないにも関わらず、心の問題で食べることが出来ない方々というのは全力で加療していく方向に力を尽くしますが!

食と人の命。本当に密接に繋がった「深い判断」を必要とする世界です。

2025年5月9日金曜日

やっぱり俺のヒーローはこっちだな!

やっぱり嘘の番組も作るけど、真面目に作って良い番組を出す事もあるNHK。

プロデューサーの違いもあるのでしょうが、今回新しく始まった新ProjectXで放送された「H3ロケット宇宙への激闘 〜革命エンジンに挑んだ技術者たち〜」を視た時にやはり目頭が熱くなると同時に、自分にとってのリアル・ヒーローというのはスポーツ選手では無くてサイエンティスと技術者だなと再度確信。

勿論のこと大谷は神ですし、F1のフェルスタッペンやWRCのロバンペラやエヴァンスも神の領域の人々。また、Blue Impulseの隊長機をコントロールするような人々もやはり生まれ持ってきた「何か」がいろいろと揃っていないとなれないレベルの住人の住む世界の一員。こういうのは己のような凡人の努力云々では追いつけない所に住んでいる住人達。

それでも、これはやはり小さい頃からの擦り込みとか時代背景もあるのでしょうが…科学技術に関連したエリアの人々の異能や、苦闘の末に得られた素晴らしい結果に感動してしまう私が居ます。

今回のH3はH-IIからの引継ぎという形で打ち上げ能力の強化と価格の引き下げ、打ち上げ準備期間の短期化などという時代の要請に応じた能力の強化を果たしているのですが、その主要な開発課題の中心はLE7から新たに切り替わるLE9エンジンというお化けエンジン。

革新的な性能とコンセプトで登場し、世界のこのエリアの人間達から「出来る訳が無い」と言われていたものを、ここまでには打ち上げないといけないという時間との戦いの中で「許されない失敗」のプレッシャーと闘いながらも襲ってくる数々の大小のトラブル。

これでもかこれでもかと襲ってくるそれらの大小の波に対し、知恵の限りを尽くして対応策を考え、自分達を本当のギリギリのところまで追い込みながら対策を考え尽くす様子は涙なしでは見れない映像でした。家族の人達も最先端の技術の現場でこういうレベルの激闘をする技術者を持っていると大変だなと心から思いました。

結局のところ、どの世界でも先端のその先端で働く人達には働き方改革などという温(ぬる)い世界は全く無いんだなと再確認できたのが何か嬉しかったですね!^^

アメリカでも一緒。働いた人間にはそれだけの報酬が約束される世界。日本の場合は恐らくそんなに大きくは無いでしょうが、達成感と他の人に感謝・尊敬される仕事に就いている事自体が報酬ですよね。

素晴らしいものを見せて貰ったと改めて思いました。



2025年5月8日木曜日

ホンマ政治家ときたら

先日、ある病院のX周年記念パーティーに出席してきました。

お祝いの席ですから、理事長や院長の話があるのは当然なんですが、ソコはソレ、ある種の人間が「御呼ばれ」として話をしに来るのでした。

医師の会合で時折あるのですが、愛知県選出の衆議院議員Xセンセイの御挨拶~というアナウンスとともに現れる、私にとってはどうでも良い糞のようなオジサンやオバサンが「何故だか」登壇してはよく「何かの話」をしようとするのです。

その話というのは通常まさに取って付けたような、本当に本当に心の底からつまらない、当たり障りのない下らない話。美辞麗句は並ぶのですが、一切何にも心に響かないもの。最近の進んだAIに作ってもらった方がもっとましな文章になるんじゃないのという様なレベルのナニか。w

こういう連中は本当に邪魔で気持ち悪いです。選挙期間中になると自分の名前と顔を印刷したでかい紙切れをベタベタと張ってまわり、どこの誰ともわからん人間とも握手をして回るんですから本当に節操が無い。期間限定で顔と名前を憶えて貰ってナンボという変わった仕事をしているおかしな連中ですから、まあやることなす事変なんですけどね。

実は公明党から出ている同じ大学出身の医学部同級生の男が居るんですが、勿論彼は故池田犬作ダイセンセイの創価学会出身。当然の様に学会丸抱えで国会議員になってシコシコと栄達の道を歩んでおられるようですが、何を考えているんだか…っていうか考えてないか!考えていたらあんなカルト教団に人生を捧げようとは思いませんわな。^^

民主主義にとっての最高のシステムは投票。そしてその不幸はその投票を左右するのがカルトを含む宗教や利益団体が集団でその投票権を簒奪している事。更にそのシステムにとどめを刺す最大の不幸はそれらによって選出されたセンセイ方というのが極めつけの俗物や世襲政治家という事ではないかなと思います。

20歳を過ぎてある程度の時間が経った心ある大人であれば、民主主義における投票というシステムには巨大な実務的欠陥が存在している事は既に明示的な合意であって、それが理解できた上で投票するか否かという話になります。

白票を投ずることも立派な政治的意思表示ではありますが、よく言われるのはマイナス票作れとかいう様な話。まあ、下手に人知を絞って複雑に手を加えだすと大抵碌な事にはならないし、制限選挙の再現とかになって来るのでそこは素直に投票といきたい所ですが、その挙句に選ばれるのが斎藤知事とかなんだから投票する側もオイオイですわな。orz

それでも、意思表示をするためには投票し続けるしかありません。中華やロシアやイランに比べればまだまだマシです。相対性という奴でしかありませんが、選ばれた連中を馬鹿だのアホだの自由に言えるシステムはまだまだマトモです。

今回、たまたま出席したパーティーにノコノコと出てきた糞議員を見て思わずこんな文章を書いてしまいました。すんません。




2025年5月7日水曜日

弟の誕生日

実は今日は弟の58回目の誕生日でした。

弟は実は私の年子でして、何時も3か月弱は一つ違いになります。このブログにもちょこっとだけ弟の事を書いてきましたが、脳性小児麻痺で言葉の無い世界に生きてきました。小さな頃から弟は延岡というところの養護学校に預けられて私とは離れて育てられています。

親父は国家公務員で母親は当初は無職というか手先は器用だけど特に何らかの資格を持っていた訳でもない家庭の主婦でしたが、薄給の親父の給料だけではお金を貯めることが出来ないと考えたのか、弟が小学生になるのを待って、遠く離れた学校に預ける様な選択を行い、仕事に出るようになりました。

何というか弟には言葉というものが通じませんから、いろいろと兄弟の間で喧嘩が起きます。

それはもう障害があろうとなかろうと我々兄弟同士は単なる兄弟ですから、道徳の教科書の様に体の不自由な弟を兄が労り、その兄を弟は敬って~等という事は無く小さい頃から私の大事にしていたものを手に握ってはくしゃくしゃにして私を嘆き怒らせ、その怒っている私に向かってきては隙を見て私の髪を握りしめ怒りに任せて引っ張り続けるという具合。

もちろん私も当時はクソガキですから、そんな弟に怒りの反撃を加えようとするのですが流石にそこは何もしません、母ちゃんに文句を言うもガン無視。まあ、当然ですわな、親としては何のしようもありませんので。そこで私は学校の宿題をする時だけ自分の四畳半の部屋の襖をつっかえ棒で閉じて宿題をする毎日でした。それでも、見つかったプリントなどを破られることはありましたが!w

そんなこんなで、今はお互い取り敢えず互いにアラ還までやってきました。今は宮崎市の別の施設で人生を過ごしていますが、20歳前後までは片足を引き摺りながらもなんとか歩いていたのですが、古いタイプの抗てんかん剤の長期服用の副作用として骨粗鬆症が酷く、骨の年齢自体は優に100歳を超える様なボロボロの状態です。その影響で何度か脚の機能も奪われ今では歩く事もままならず、車椅子で移動するのみ。今ではもう歩く事はほぼ出来ません。

また、小さな頃から「ものを嚙む」という事が出来なかった弟は何でも「呑み込む」という事で食事を摂ってきたのですが、いろいろと状況を送ってくれる老いた親父によると最近はそれもなかなか問題が多いようです。

まあ、それでもお互いにここまで何とかかんとかやって来ました。昔は弟のような子は二十歳までは生きられないと医者に言われていたらしいので、それを思えば良く生きてくれていると思いますし、周りのサポートをして下さる施設の皆さんにも本当に頭が上がりません。

今度弟に会うのは何時になるのかはわかりませんが、遠く名古屋からお誕生日おめでとうと呟いた馬鹿な兄貴でした。

2025年5月6日火曜日

プラチナカードのご招待?w

随分昔からクレジット・カードには年会費別のカードの「ランク」というものが存在します。

実際の所、クレジット会社としてはいわゆるノーマル、ゴールド、プラチナ、ゴールドとかいう感じでそのステータスのようなものを区別したいのらしいですが、私が良く使用するアメックスではノーマルの奴がグリーンとか良く言われていますね。

昔から使っていた理由は至極簡単で、学生時代にヨーロッパを旅行した時に、必死で作っていったビザ・カードが本当に役立たずで、どうしようもなくなってアメックスのアシスト・オフィスに駆け込んだところ異様なまでのサービスを受けて、アメックスのカードも持っていない俺に本当にいろいろな助言を与えてくれて助けられた思い出が出来た後、いざ医師になって申し込んだカードは当然の如くアメックスでした。

以降、アメリカに移動してからもアメックスのサービスには嫌になるほど助けられ、ゴールドのダブルポイント・カードという超お得なカードに乗り換えて以来はアメリカでの支払いはほぼ全てそのカードに寄せて日常の支出記録にしていたくらいです。

さて、どのカードも長年にわたってお行儀良く使ったり、年収が上がってくるとその上のランクのカードのお誘いがやって来るようになります。それは皆様も御存じの事かとは思うのですが、そこでの疑問は「果たして年会費に見合ったメリットがそのカードに付帯しているのか」という至極単純なものです。

他のカードでは年会費無料だったものが、グリーンだと例えば年会費3000円になって今度はサービスがちょこっとだけ良くなって、今度は年会費4万になるとかなってきますし、プラチナだと年会費15万前後とかいう感じなんですが、メリット無いのにそんな決済手段如きに毎年10万以上出すとか私のような個人のレベルではほぼ意味無いなと思っています。

アメリカに始終行き来していた頃にはスーツケースの宅配無料サービスとか、空港のラウンジ使用無料サービスとかありゴールドまでは便利でしたが、今はそんなサービスを使う事もほぼ無く…。長い間使用しないのならば時にはダウングレードや廃棄もあって良いのかなと思います。

ただし、アメリカでは特にクレジット・カードの廃棄に伴うクレジット・スコアの低下発生などもあり得ますので、そこは慎重にしないといけない事が多いんですけどね。最初のうちはそんな事あんまり詳しくない人が殆どですから仕方ないと言えば仕方ないんですが。

クレジット・カードの使用歴による信用構築はアメリカほどでは無いにしてもやはり大事。娘達もそこは良く解っている様で「絶対に」支払いの遅れなどは発生させないようにしています。

しかし、たかがプラスチックされどプラスチックの世界ではありますが、今どきゴールドもプラチナも何のステータスもありません。単純に会費に見合ったカードをサクッと選んで集中的にサービスやポイントを溜めれば済む話だと思うオジサンでした。

2025年5月5日月曜日

酒を呑む場所

家で飲むのか外で飲むのかという事になるといつも悩んでしまいます。

家で飲めば圧倒的にコスパが良いし、外で飲めばお金を払えば家で食べる事のないそれなりのものが出てきますので、それはそれでヨシ!おまけに一人の時間という代えがたい時間が即席で手に入ります。いえにいると感じる事の出来ない雰囲気に包まれることもできますしね。^^

基本的にどちらで何を飲むかというのはその時の一瞬の判断で決めてしまうわけですが、私自身は結局その時財布にいくら入れているのかというのをチラッと見て飲みに行く店までの距離と金額を概算して出撃となるパターンが殆どです。

何にも懐の事を心配せずに飲めるような身分になりたいものですが、所詮そこはサラリーマン。経費で食費を落とすようなことが出来るような御身分ではございません。^^

一杯、二杯とゆっくりと飲んでいきある程度まで来ると気持ち良くなり、かつお腹も満ちてきて~となって、最終的にそろそろ家路を目指しますかと心の中で決めた時点で「お会計お願いします」というリクエストを出して家を目指すわけです。

そもそも私はホテルのラウンジのような高級?な所で飲む勇気は無し。大昔、日本に一時帰国して高校大学の時の友達に誘われて、東京のどこかのホテルに行って一緒に飲もうとした時に私だけドレスコードに引っ掛かり弾き出されて友達が申し訳なさそうに私に謝った挙句、二人とも飲めなかった苦い記憶があります。本来、そういうところでは少なくともスーツやブレザーのような「らしい」服装を羽織って行かないといけないという事自体を失念して、というか知りませんでした。とんだ田舎者ですな。w

それ以来、ホテルのような「高級な人間達」が集まる所では飲むのを躊躇う様になりましたとさ。

という経緯の後、私が飲むところと言えば上に書いたような家飲みか安い所。ボトル自体の購入には時にお金をかけますが、それを飲むために必要な雰囲気にはあんまり金をかけないようになってしまったのでした。

まあ、酔ってしまう程呑むことは実際ありませんけど、きっと周りの、特に地下鉄乗車時などには他の人からは「お、このオッサン臭いな」とか思われておるんでしょうな。orz


2025年5月4日日曜日

オフ会?

世の中がネット社会になってからというもの「オフ会」というものが普通にありますよね。

実際の所、アメリカではマイク越しに顔は見ずに互いに話し合いながらゲームの進行をするというのが普通でしたので、半分オフ会(off line meeting、オフミ)等という感じとでも言いましょうか?

とは言え、リアルに顔を見せたりする事はありませんでしたので、何というかキャラクターは良く解っているつもりでも、どんな人物達かわからない人間と会うのはちょっとね~という感じで考えもしていなかったのですが、最近のネットの調査では(回答してくれた人間の)結構なパーセンテージでオフ会に行った音があるとの回答が出ていて驚きました。

勿論、その割合は年代別に違う様なのですが、我々のような50代の人間でも15%は参加したことがあるという様な話。20台前後では4割程度の人間がその手の会に「出た事がある」というのですから、時代は変わったものです。

オフ会に集う理由も、アイドル推し、ゲーム、車趣味、カードゲーム仲間、何らかのサブカル仲間等様々なようですが、実は私も今回あるネットゲームで誘われて名古屋で主催されるオフ会に参加「させられる」可能性が高くなってまいりました。

今回は中村区に住む事が判明した男性が主催者で、もう一人は福岡!からやって来るとの事。他は大阪、静岡、関東等々。全く何を考えているのやら。w

会話の中身や背景、共通の知識から推察するに恐らく全員が職業をしっかりと持ったオッサン。それも、30代よりかは上とみました。弁護士と税理士、海外赴任経験の長いビジネスマンも混ざっているのは確かそうなので、まさにオッサン's ミーティングになりそうです。^^ 

発言内容からして、時間を惜しんで生きる仕事の達人が多いようで、どんな人物たちなのか実物に会うのが大変愉しみです。恐らく名古屋駅界隈での集合になると思うんですが、どうなる事やら…。

オフ会に関する一般常識をネットで掻き集めてから臨みたいと思います。 

2025年5月3日土曜日

嫁さんの秘密の誓い

嫁さんがバイトを始めて2週間ほど経過しました。

最初はどうなる事やらと私自身が心配する素振りは見せずにジッと見ていたのですが、どうやら体育会系の嫁さんはこの手の肉体労働は向いている様で、先ずは配られたマニュアルを眺めつつも実際には体が覚える、眼が覚えるという感じになっているようです。

偶々だったのですが、外食を家族でした折りに家族三人でわざと嫁さんが昼に仕込みの仕事をしているお店の前を通ってみたんですが、ビックリするほど人が詰まってて、大変な賑わいでした。

私は嫁さんに一言「おお、これならXXも首にならんで済むんじゃないか?w」と話しかけたんですが、実はこの後ちょこっとこのバイトの件を道すがら話続けたのですが、実は今回の現場ではうちの嫁さんが一番の年上なんだそうです。今まで、いろいろな所に顔を出しては周りの人間に「XXさん、わか~い」とか言われる側だったそうで、こうやって60前になってバイトの現場に立つと、改めて自覚が湧いてきて自分が「頑張らねば」という気持ちになって奮い立つようです。

取り敢えず、彼女の小目標?は現場で長く働き続けて、どんなに周りの人達が入れ代わり立ち代わりになっても、周りの人達が最終的に「コレどうします?」と聞いてくれるような
立場になれるまで頑張りたいというのです。

その意気や良し!これこそが今まで家に居てゴソゴソするだけだったうちの嫁さんを変える一大転機になるような気がしないでも無いです。^^

人は社会に出る機会をたくさん持っていろいろな人と(友達にならなくとも)知り合ったほうが良いと私は思いますので、今回のバイトは私としてはお金などとはまた別に「良いアクション」だったと心かっら思っています。

何より嫁さんが自由になるお金が増えますからね!w

2025年5月2日金曜日

心よりお悔やみ申し上げます

埼玉県八潮市で発生した道路陥没事故による事故の一件、遂に御遺体が回収されました。

「社会死」という聞き慣れない言葉をもって70代のトラックを運転されていた方の死が確認されましたが、社会死というのは「医師の診断を必要とせず、社会通念上明らかに亡くなっている蘇生が不可能な状態を指し、救急隊は蘇生措置や搬送を行わない」ような状態の死であるとのこと。

1月28日に、本当に「有り得ないような理不尽な形で」唐突に命を奪われたこの方の事を思うと、この三か月の間、もし自分の親兄弟がこのような形で事故に巻き込まれたならば憔悴しきて、飯など喉を通らないのではないかと思うのです。

暫く生存が確認されていたにもかかわらず、訳も解らず吸い込まれた穴の中で寒さに打ち震え、汚れきった大量の下水で流されてしまう等というのはやはり受け容れ難い死そのもの。何の罪も無い、まさにたまたまその瞬間にその場所に居合わせただけの働き者の男性にそんな最後が待っていることがあってはならないのです。

県道で発生したこの事件。どこの誰が最終的な責任を取るのかは全く私には判りませんが、残された御親族の味わわれた「理不尽な、塗炭の苦しみ」が、せめて金銭面では十二分に保証される事を願うばかりです。

亡くなられた御本人とその御家族、御親族に心よりお悔やみ申し上げます。

そして、これからも老朽化するインフラに関連した人災で人の命が奪われない事を祈らざるを得ないのです。嫁さんとも話していたのですが、本当に全く以て他人ごとでは無いのです。明日は我が身で無いとは誰も言えません。人口が減る中、インフラの維持も物理的に可能な範囲が狭められていく時代が来ているとやはり強く思うのでした。

2025年5月1日木曜日

コーヒーと紅茶とお茶

私はあまり嗜好品というのを体が求めない人です。

タバコは勿論、コーヒーも紅茶も人生の中に例え無くても「別に困らない」と言い切れる人だと言って良いと思います。しかしながら、世の中にはそれ等が無いと生きていけないというレベルの人も沢山居ます。

私にとってそれが(タバコ以外の嗜好品の話として)最も印象深く残っているのはヨーロッパを一人で放浪していた時に出会ったイギリス人男性のコーヒーの飲み方。当時の私にとって殆ど中毒と言って良い程のコーヒーの飲みっぷりで、少し歩いてはカフェに入ろうというし、また少し歩いてはまた「あそこのカフェ」に入ろうと言うのでした。

私は内心でビックリしながら、本物のコーヒー好きの顔をまじまじと眺めながら横でじっと軽食を食べたりする事が多かったのですが、彼とは数日で別れてそれっきりでした。彼は喫煙もしていましたが、当時はそんな事は周りが何も気にしない時代。とりあえず、コーヒーに関しては驚くほど依存する人が居るという事を知った第一の遭遇でした。

それから10年ほどしてアメリカへ渡って、今度はもとアルゼンチン人であったラブ・チーフの主催する研究室へ入った時の事。ヨーロッパや南米からも人が沢山来ていたのですが、その連中のコーヒーに対する種着ぶりは最初のイギリス人との印象的な出会いを遥かに凌駕する飲みっぷり。

眼の前でドサドサとフィルターにコーヒーの粉末を落とし、ドリップを繰り返します。まるで墨のようなコーヒーを美味そうに飲んでいたのですが、当時の私には到底飲めた代物ではなく、他のアメリカ人も「奴らの飲むコーヒーはオカシイ」と言って笑っていました。

ここで今日、そう言う話を書いたのは実は医学論文でのこういった嗜好品を飲むとどうなるかという研究モノをたくさん読んでみた後だったからです。

実はあの論文、この論文と結構な割合で体、特に寿命や各種疾病の発生率に対するコーヒー、紅茶、お茶(グリーン・ティー)に関する論文は多く存在し、且つ(困ったことに)結論も多彩。しかし、それらの多くの論文で言えているのは(私の印象では)緑茶はどの方向を向いても体に良さそうというもの。ただし、これらの効果は一日3—4杯が限度で、ネガティブな効果も無い代わりにそれ以上は効果にブーストがかからない印象。そこらあたりがコーヒーとは違う感じですが。(コーヒーは呑みすぎると顕著にネガティブな影響を見る感じだと論文では感じましたね。)

しかし、個人的には日本に住む私としてはどちらかというと緑茶が一番美味しいと思っています。昔、私の母親がデパートのお茶売り場で友人に頼まれてお茶の売り子をしていた時に家に何気に持って帰ってきてくれたお茶を飲んだ時に、余りの美味しさに目を丸くしたことがありました。

高校生くらいの時でしたが、正直な話「美味しい」と思える緑茶がある事に衝撃を受けたのですが、そのお茶がどこの何というお茶だったのかを記録していなかったことを未だに強く後悔しているオッサンになった今の私です。

さて、今後は少量多品種でいろいろなお茶を飲んでみますかね。体にも良い事ですし!どなた「これは!」と思えるお茶を御存じないでしょうか。