2025年12月23日火曜日

ベトナム旅行・(実質)三日目

今日は自分の意志で観光したい所を一か所決めました。

それはミーソン遺跡という所。ベトナムにやって来るまで全く知らなかったのですが、非常に古い遺跡で、そもそもベトナムの歴史の中では一旦は消え去っていたようなのですが、フランう統治下で再発見されたもの様です。
如何にも!のベトナムの山奥の景色です。
UNESCOにより世界遺産に管理されている所の様ですが、べトナム戦争中はB-52による大量の爆撃で相当のダメージを受けっとのこと。後に日本やインド、その他の国々の指摘、公的援助にて博物館を含めいろいろと修復が進んだようですが、実際にはまだまだ現在も掘り返し中のところがありました。
ドイツ語をしゃべる観光人が非常に多かった気がしました。
物凄くぶっ飛ばすカートに乗って凄い雨の中を進んで行くと突然現れる遺跡群。突然現れたその遺跡群は比較的コンパクトにまとまっているのですが、一体どこがどのような事に使われたのかわからないような建物たちで、一応解説はウェブやアプリなどで出来るのですが、ネットの環境が悪すぎて一苦労でした。

ワークマンの優秀なコートを着ていても、暑すぎて汗だくの内側。あきませんでしたが、ここを発って古都ホイアン(ダナンの人はホアンと呼びます)に行く途中で二か所寄り道。

先ずは炭焼きの村というあだ名の場所に運転手さんが案内してくれたのですが、そこは実際は昔日本人が瀬戸物を焼く方法を教えてくれた場所の様で、お土産物の中に沢山の日本の電話番号の入った寿司屋の湯のみがあったのには笑ってしまいました。
一時間ほどの滞在中に以下のような可愛らしい魚の焼き物の笛を1個120円で二つ買い込んでちょっとした日本へのお土産にしました。(べトナムでの初買い物!)
次に向かったのはダナンの人間には有名な郊外の春巻きのお店でした。浸けるものが滅茶苦茶辛いのですが、ロールの皮は特別製で素晴らしくエラスティックで破れることはなかなかないという優れもので、私のような人間でも巻き付けに苦労はしませんでした。

腹を満たして向かったのは古都ホアン。何と入り口には長崎から送られたというVOC(東インド会社)のマーク入り[逆さまに取り付けけられていましたが!w]の模型複製船が置いてありました。
旗が天地逆なのはこの向こう側の前のほうの旗も一緒でした。
長い日本人との歴史の中では、こんな遠くまでやって街づくりに参画していた当時の日本商人達の寄付で出来たという日本橋とその中の伝説の猿たちの彫刻を見ることが出来ました。
幾つかの説がある中の猿。二匹が向かい合っていました。
右に立っていたのはカメラマンを従えたベトナム人のモデルさん。結婚式用?
中を進んで行くと観光ガイドで有名な夜景のきれいな川が見えました。ただし、今回は昼でしたので、何というか奇麗だなというのは解りましたが、幻想的な時間ではありませんでした。ついこの前の大洪水でここらあたりは浸かってしまったようです。
数日後に再訪する予定ですが…
日本橋に行く直前にあった中華の寺の裏庭。けばけばしいのはあの国の文化かな。
取りあえず疲れ果てて帰ってきたのですが、全て込みで四人の人間が1200KVND(約7200円)で済みました。
その最終局面で見たのが以下の写真のようなバイク。ベトナムは未だまだ昭和の感覚。逞しいものです。


0 件のコメント:

コメントを投稿