朝から全くと言って良いほど解っていないベトナム語をグーグル先生の力を借りて双方向でどんどん通訳。恐ろしいほどの聞き取り能力に頭が下がります。日本語の聞き取りは私の喋りに関してはほぼ完璧。ただしベトナム語の様に抑揚等で意味が変わってしまう言葉は結構槍の死をしなければならないようです。それでも凄い聞き取り能力には変わりありませんが。
さて、今日は午後から知り合いが日本からやって来ての合流というイベントがありますが、それまでは十分に時間がありますので、フエ王朝に運転手さん付きで移動となりました。
最初は一体誰なのか判りませんでしたが、運転手さんを連れてきてくれて雨の中を家族さん達の一部と出発。物凄い雨が降ったり止んだりですが、道路事情は昭和40年代の日本そのもの。まだまだあちこちがデコボコですし、信号も正直全然未整備なレベル。しかしながら正に「阿吽の呼吸」という奴で車とバイクが抜群のタイミングで流れを縫い上げていきます。近い将来信号がきちんと整備され始めたらこうはいかないでしょう。
さて、フエ王朝は昔の「阮朝」の二重城郭都市で、「順化皇城」とも呼ばれており、200年越しの歴史があるようです。ここにやって来て種々の建築物、特に太和殿なども入りましたが、木造建築や漆喰を使った壁などは高湿・高温の中ではこれ程劣化が厳しいのかという事実を見せつけられ驚きました。
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| 近くに寄っていくとタイルなどで美しく仕上げがされています。中はフランスの影響で様々な西洋文化とのごった煮。 |
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| 奇麗な朱と黄色、城の色の調和が曇り空の下でさえ奇麗でした。 |
返って来る途中、もう今日は遅くなった事からホイアンに行く事は止めてダナンに直帰。家に帰り着いて一息つきました。返ってきて出てきた食べ物にちょっとギョッとする事になりましたが、それが以下の食べ物。
ヒヨコなのですが、これは何とアヒルの卵で名前はベトナム語で「トウン・ホプロウ」とか何とかいっていたのですが、まあ、良しとしましょう。卵の中は三種類の構造に別れていて、硬くなった卵白部、未だ使われ切っていない卵黄部、そして鳥の雛が形を持っている部分の三つ。卵白部は味が無くコリコリ。卵黄は普通に美味しいのですが、雛の部分は一部は羽が出来ていて見た目はグロテスク。どうしようどうしようと思いながらもここは旅の経験と思いガブっと食べると全くなめらかで骨などを噛む感じは無く普通に美味しかったです。
だからと言って二個目を勧められても手は動きませんでしたが!w
現地の人達にとってみれば当然の如く御馳走の一種。酒を呑みながら普通にパク悪皆で食べていました。
この後、日本から一日遅れてやってきた知人の二人組と合流しましたが、今日はベトナムの色々な観光地と言える場所を巡った初日となりました。まあ、基本的に観光地巡りは計画の中では重きを占めないのが私の旅ですので、誰でも知っているようなベトナムの観光地の一つを制覇出来たのは珍しい事でした。
明日はmy Sonと書いてミ・ソンと呼ばれる古墳群とホイアンに行く予定です。





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