久しぶりの来名ですが、前回も書いた如くそろそろ人生の最終段階になってきているオヤジをなんとかかんとかケアしつつ「湯の山温泉」をエンジョイして貰わなければなりません。
その為には仕事を暫く休まなければなりません。この点私は恵まれておりまして、きちんと休みを入れる時に仕事を頼める医師が居ります。その反対は私が受けるというパターンなのですが、とにかく信頼できる方が院内に居るというのは本当に助かります。
こうやって考えると「きちんとした休み」をとってリフレッシュする時間を導入するのは物凄く大事な事で、医師自身が疲れ切って患者さんを診る事が雑になるようであれば正に本末転倒と私は考えています。忙しい日々というのは医師にとっては有難い事とは考えるのですが、それも限界というものがあって「疲弊」という状況は望ましくありません。
昭和の時代から平成の頃にかけてはまさに「24時間働く」という感じの仕事をしていましたが、20代半ばの若かった私でさえソレは無理でした。次第に体の中から精神の力が抜けていき、最後は帯状疱疹が右脇腹に出現するという事になってしまいました。あれ以上無理に無理を重ねていたら、恐らくは抑うつ状態に陥っていたんだろうと思うのです。
仕事の質を保つためには休暇が必要。アメリカにいた時の仕事の事を思い出しても、詰めに詰めてやる瞬間というのも余りに長く続くと仕事の質が落ちるという事が間違いない事実でした。
私自身は替えの効かない歯車というものは本来システムの中にあってはいけないとずっと思います。大天才や神の如きスキルの持ち主…というのもその存在は貴重で、人類の運命を切りひらく能力を持っていると言えるでよしょうが、残りの殆どすべての人間には「代用」が効くようにシステムをセットアップしておくことが大切な事です。医療行為程度のことではスキルフルな人間や知識をふんだんに持った人間を複数用意しておいて、誰かが欠けてもこちらの代用が効くという事こそがシステム・セットアップの肝だと思います。
属人的なシステムは必ず崩壊する、そして崩壊する時には一瞬で崩壊すると思います。替えが効くシステムの中で人々が後退にきちんと休みを取りながら、少しでも長くシステムを支える事こそが現代の効率化というものでしょう。
そういう意味でブラック企業は潰れて当然のシステムだと思います。
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