2025年5月29日木曜日

古米、古古米、古古古米

 馬鹿息子の江藤の首が飛んで次に挿げ替えられた首は小泉のお坊ちゃんでした。

なんだかなぁとは思いながらも、江藤よりはイイかもな等とどうでも良い事を考えていましたが、あくまで相対性理論。坊ちゃんの事ですからまたまたやらかしたりする事になるのでしょうか。兎に角、この坊ちゃんの最大の売りは顔ですから、それを最大限に生かしていくしか彼の生きる道はありません。

しかし、聞いてると2000円/5キロで売れるように2021年の古古古米も引っ張り出して来て売り捌かせるとの事。まあ、その意気や良しと言いたい所ですが早速野党のボンクラ共がお坊ちゃまに難癖付けてきております。まあ、対案無き連中の文句などは野球の外野スタンドのヤジ程度のレベルですから、気にする事も無いのでしょうが、問題はここから。

実際、今回の価格高騰は種々の要因が複合的に絡み合って形成されたものだというのは諸説入り乱れている所ですが、その何れもが完全では無いにしろ部分的に正しい事をソレなりに表現していると感じる説得力があります。

結局、新米の値段が幾らに落ち着いていくのか更に上がっていくのかは正直誰にも正確にはわかりませんが、減反減反ではどうにもならない事は今回の件でも良く解った事ですし、食料の安全保障という観点からはこの永遠の減反政策というやり方では亡国の手段でしかないという事は明白。

誰も責任を取らない「役所」という組織は上の少数の人間への忖度で動くただのロボットですから、優れた首ついていない今の組織に任せたところで今後に明るい未来の展望が開ける訳も無し。

適正な価格というのは需要と供給のある種の均衡点から形成されるものですが、農家が飯を食えるだけの稼ぎが米作から得られ、その農家が作る米をまた我々が適正な価格で購入する循環が形成できる価格の均衡点はどこにあるべきなんでしょうか。

私はJAだけが買取するというようなコメの流通経路は廃止して、もっともっと個人が売り買いをできる環境を手助けしてやればいいと思います。その途上で駄目になる流通経路は消えるだろうし、より合理的な経路は益々繁盛するでしょうから。

国の連中の流通統制なんていうのは殆どの場合「大失敗」に終わるもの。戦中の統制経済じゃあるまいし、塩やコメの流通に商売の際なんて欠片も無いようあ政府の連中が口出すなって感じです。

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