「社会死」という聞き慣れない言葉をもって70代のトラックを運転されていた方の死が確認されましたが、社会死というのは「医師の診断を必要とせず、社会通念上明らかに亡くなっている蘇生が不可能な状態を指し、救急隊は蘇生措置や搬送を行わない」ような状態の死であるとのこと。
1月28日に、本当に「有り得ないような理不尽な形で」唐突に命を奪われたこの方の事を思うと、この三か月の間、もし自分の親兄弟がこのような形で事故に巻き込まれたならば憔悴しきて、飯など喉を通らないのではないかと思うのです。
暫く生存が確認されていたにもかかわらず、訳も解らず吸い込まれた穴の中で寒さに打ち震え、汚れきった大量の下水で流されてしまう等というのはやはり受け容れ難い死そのもの。何の罪も無い、まさにたまたまその瞬間にその場所に居合わせただけの働き者の男性にそんな最後が待っていることがあってはならないのです。
県道で発生したこの事件。どこの誰が最終的な責任を取るのかは全く私には判りませんが、残された御親族の味わわれた「理不尽な、塗炭の苦しみ」が、せめて金銭面では十二分に保証される事を願うばかりです。
亡くなられた御本人とその御家族、御親族に心よりお悔やみ申し上げます。
そして、これからも老朽化するインフラに関連した人災で人の命が奪われない事を祈らざるを得ないのです。嫁さんとも話していたのですが、本当に全く以て他人ごとでは無いのです。明日は我が身で無いとは誰も言えません。人口が減る中、インフラの維持も物理的に可能な範囲が狭められていく時代が来ているとやはり強く思うのでした。
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