少なくとも私が生まれた昭和40年などという時代はまだギリギリ風景の中に日本の「戦後」が残っていて、田舎の道路にはマダマダ未舗装の砂利道が結構残っていて、アスファルトの裂け目からはごく普通にコールタールが染み出すようなレベルの低い舗装道路だらけだった時代。
マツダのキャロルやスクーターのラビット等というまさに今の時代から見ても、当時小学生であった自分でさえも「レトロ」と思えるレベルの乗り物が日常の中で普通に走っていた頃。公務員官舎という名前のアパートに住んでいた我々の家は鍵などをつける事も無く、向かい合った家の扉を四六時中開けて靴も履かずにお互いの家を行ったり来たりするのが普通でした。
日本中、子供がまだまだ溢れていて電話が未だ全家庭には行き渡っていなくて、ビデオデッキなんてお金持ちの歯医者の子の家にしか無くて、車を持っていてもホンダ・ライフとか小さなカローラ、パブリカ、サニーなんていうのが主役だった時代でした。でも、みんな自分が貧乏だという気持ちは無くみな中流感満載。今の時代の基準から見るといろいろと貧乏なんでしょうが、馬鹿でしみったれた事をすると婆ちゃんから「みっともない」と言われる日常。
悪い事をするとすぐに全ての大人から叩かれまくっていました。そしてそれを親が見ても「あんたが悪い事をしたんやろ?」と言われ、事実そうでしたので黙るしかありませんでした。まあ、悪い事をした後の平手打ちやゲンコツは当時ほぼ必須の大人からの挨拶。学校の先生でも全く容赦なしでした。それを母ちゃんにいった所で、上記の「」の中の様に言われて以下同文状態でしたから何も言わないのが身のためでした。w
そんな時代、みんな本当は「貧乏」でしたけど「貧乏くさい」時代では無かったと思います。今回それを感じたのはネットで呼んだある記事。それは、メルカリに銀行のATM脇に置いてある現金袋を出品する人間が居るのを見た事がきっかけでした。送料を抜いた後での一回分の利益は数十円。そしてそれが事実かどうか確かめてみたら、確かに出品されていました。何だいコレ?って感じでしたが、デジタル技術を使ってやっている事の中身は「ほぼ乞食の所業」です。
行為のみみっちさ、その矮小感。何か日本人も時代と共に劣化していってるのかなと感じてしまうんですけど、こういう事を大の大人がして何も感じないのか?マクドナルドの景品転売ヤー達も多くは日本人では無いなどと言われていますが、正直「どうだか…」という奴です。
カネは無くとも心豊かに過ごそうとする哲学を持つ人が多かった昭和とそれ以前の時代。バブル以降は沢山の何かが壊れて行ったのは見てきましたが、心の中に住む誇り高き心を取り戻すのはやっぱり難しいのかな。時分も含めて「足るを知る」事の出来ない間抜けな日々を送る情けない時代なのかな。
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