2025年7月15日火曜日

記憶の喪失とそれを理解する哀しみ

訪問診療に行く家のうちのある一軒に1人で住んでいるお婆ちゃんが居ます。

このお婆ちゃん「物凄く」明るいキャラクターで、話をしているこっちがいつも明るい気持ちにさせられるような素敵な方です。糖尿病や高血圧は持病としてあるのですが、年齢にし
ては「まあこれ位のコントロールレベルなら良いかな?」という程度の数値は保ってくれています。

ところが、今の所それは良いのですが既に現時点での食生活が全く滅茶苦茶で”今後”という意味では非常に危ない生活を送っておられます。何時行っても万年床の脇には四つか五つくらいが一つのパッケージになっている餡やクリームのドッカリ入った菓子パンを何時も買い込んでいるのです。そしてその脇にはチョコレート菓子…。

2型糖尿病の説明を解りやすくして、食べていいもの駄目なものを理解できる範囲で説明するのですが、これがなかなか上手くいきません。そもそも我々が診療に行ってもお向かいの家に遊びに行っていて我々が来ることをすっかり忘れている事も度々で、既にその事を理解している我々はお向かいの家に診療の為にお婆ちゃんを呼びに行く事も頻回です。^^

また、お婆ちゃんには既にかなりシビアな認知機能の低下が見られていて、それがそろそろ一人暮らしの限界を迎え始める所まで来ているような状況になってきています。

具体的には今言ったばかりの事をすぐ忘れてしまう事。その記憶の保持時間約一分。要するに殆ど新しい物事を覚えられないのです。例えば家のエアコンのリモコンを一緒になって探している時に手許にあるテレビのリモコンを右手にとって「これ、リモコンじゃない?」と聞いて来るのですが、完全にテレビのリモコン。そこでやんわり否定して再度手許にあるその同じリモコンを「これ、リモコンじゃない?」と聞いて来るのです。そのやり取りが3分程度で7回発生…。

お婆ちゃんにその事自体を告げると、寂しそうな顔になって「イカンね~、本当に物事を覚えられんくなって…」「本当にいかんくなったら先生の所に入院させてくれるかね」と何度も聞いてきて、何時もは明るい顔しか見せないお婆ちゃんが涙をポロリと流して下を向くのでした。

実はこのお婆ちゃん、物事を理詰めで理解する事は未だに十分出来るので、自分が記憶力というものを喪失している事はしっかり理解できるという哀しさがお婆ちゃんの中に同時に存在しているのでした。しかし、その悲しみ自体も記憶の彼方に消えていくという事実。

忘れるというのは歳を取った時に実は不幸な事実ばかりではないのかもしれないと思う事が多くなっている私です。

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