2017年7月24日月曜日

インターネットの普及前のネットの世界

私の同世代の人でももう知らないかもしれない。

日本には公開デジタルネットの幕開けとして(昔あったBBSは"一応"アナログとしておきましょう。)私が高校の頃くらいからCAPTAIN(キャプテン)システムと言うものが存在していました。
物凄〜〜く遅くて、物凄〜〜く中身がスカスカで、だ〜〜れも使わなかったこのNTTのシステムは、個人とかで超高価なシステムを購入しているもの好き以外には人混みの多い街角に極まれに端末が置いてありました。

その画面を操作していても地元の観光情報とか天気程度の情報程度しか手に入らない上に、1画面1画面が表示されるのがもう”当時でさえ耐えられないほど”遅いものでした。ほとんど”まったり”レベル。w

私のような末端の人間でさえ、当時NTTも政府もこの政策の邁進に多額の金や時間をつぎ込んでいたということは知っていたんですが、街角のキャプテンシステムを見て使ってみる度に確信を持って「駄目だこりゃ」と言えるレベルのものである事は容易に理解できました。

そうこうするうちに私の周りでは1991年位からインターネットというものが次第に大学院や大学レベルで登場し始め、更にそのネット環境にダイアルアップでモデムによる接続を行う人間が出始めたのでした。
しかしそれは同時にインターネットによる他のネット環境の駆逐でもありました、たしかフランスでもミニテルというこれまたインターネットのせいでガラパゴス化を余儀なくされたシステムがあったのですが、こちらの場合はインターネットの普及を遅らせるほど日常に溶け込む大成功ものだったと言われています。しかし、それほどのものでも、日本のキャプテンシステム終了に遅れること10年の2012年にはその命脈が尽きています。

私の周りではネットが出る前のPCというのは純粋に非オンライン上の計算装置や論文作成用のスライド作成マシン、または論文作成ワープロ、人によってはゲーム機・・・等となっておりましたが、次第にe-mailがアドレスの配布とともに普及し始め、gopherその他によるネットでの論文やデータ検索が始まりといったように”学術”においてネットの有る無しが勝負の一端を担うようにさえなってきたのが日本では1995年くらいだったと思います。

論文の投稿も1998年位には大手雑誌では次第にメールへのアタッチという形で普通になってきましたし、そのころアメリカに行った私の環境はNIHというこれまたガバメントがドンドコとネットにお金を使ってくれる施設だったので、学術環境の中でのネットの普及は生物学の分野としては最先端のものを診る幸運な環境に身を置いておりました。

それからたったの十年で・・・インターネットは本当に世界を大きく変えてしまいました。

まさかこれほど普通にネットで買物をして、隣のラーメン屋のメニューから情報を集めて、ネットで記録を続ける様な時代にまでなるとはね。これから10年経てば今日のネットの世界が全く”黎明期”と思えるレベルの何かがAIと共に登場してくるような気がしてなりません。

それまで元気に生きとるかいな?

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

80年代半ばの話なのでうろ覚えですが、当時、企業の開発部署で働いていた私(開発者をサポートしたり特許を管理したりしていました)は、霞ヶ関まで何回か研修に行って、「ダイアルアップでモデムによる接続(電話して信号音が聞こえたら音響カプラに受話器をセットするという超レトロなスタイルですw)」でデータ検索する方法を教わり、会社で開発担当者の提示する検索ワードを打ち込んで国内外の文献資料を取り寄せていました。
カラー画面に写真やイラストまで載っているのではなく、めちゃくちゃ地味なディスプレイ画面だったような記憶があります。
今はその頃とは雲泥の差がありますね。すごいわ。なるべく人々の役に立つ方向に伸びていって欲しいですね。

small G さんのコメント...

出ました!「音響カプラ」w

それにしても、そんな複雑な仕事をされてたんですね〜。(楽しいながらもストレスが多そうです。)

当時の通信の画面の多くは本当にテキストベースというのが基本だったのを改めて思い出しました。

娘達若い世代のネットとの関わり方は我々とはかなり違いますもんね。きっと世代が進むごとにネットというのはそれを意識させないレベルの”溶け込み”が進んでいくことでしょうから、ますます生活のなかで、ネットと実生活がシームレスにつながっていくのでしょうね。