2016年3月16日水曜日

やっぱり小さい子供達は柔軟そのもの

帰る直前に病院の保育園に入っているヘルパーさんの子供さんの一人に廊下ですれ違いました。

ところがこの子にちょっと驚かされることがありました。
それは英語で話しかけられたことでした。それも結構難しい文章を含んだ綺麗な発音だったので、最初は冗談かなって言う感じで軽く応対していたのですが、驚くほど話が普通に続いたので???となってしまいました。

びっくりしたので、一緒に廊下を歩いていたお母さんに話を聞いてみたところ普段別に行っている学童のようなところで、先生が英語を教えてくれていると話してくれました。
少なくとも私が話をした子供は字が書けないし読めないらしいので、全ては「耳」から吸収したものしか無いわけです。

子供の脳味噌っていうのは改めて柔軟そのものだなって感じ入る次第です。
最初はハローだけ言ってきたので、冗談半分で始めた英語だけの会話。あとから聞いたら「お医者さんだから英語が話せると思った。」(<完全な間違いです。w)ということで先に走ってきた子供さんが白衣と聴診器をかけた私を見つけて話しかけてきたというのが事の始まりだったらしいのですが。

言葉を喋るということは相手の話している言葉を繰り返す事のできること(少なくとも頭のなかでは!)が話せる、(解るということとは同じでは有りません)ということだと考えています。結局は耳が良いというのは相手の言っていることをそのままコピーできる、そしてその中の名詞や動詞や形容詞を変えて「会話」というものを創りだす能力ではないのかなっていうのが持論です。

勿論初歩的なもので始まるのでしょうが、やがてはそれが流暢に出てくれば・・・。
才能があるっていうのはこれが何歳になっても出来る人なのかもしれません。子供はみな語学に関しては天才なんでしょうね。

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