2016年2月5日金曜日

人生最期のとき

医者という仕事はその性質上、何時も患者さん達の生死に常に向き合うことになります。

その延長線上で何時も考えるのはやがて訪れる自分自身の死のこと。つい先日も、90過ぎのお爺ちゃんとかをみていた時も「ああ、この人は自分が生まれた時に既に40過ぎてたってことか。ということは俺が死ぬ時には今年生まれたような赤ちゃんが俺に死に目を若い医師として看取る事になるってことか」ということが当たり前の現実として具体的に実感できるようになって来ました。(まあ、それまで生きていればってことですが!w)

病棟にも、ごく普通に元警察官、元看護師、元XX、元YYと多彩なお仕事をされていた昔はきちんと社会を支えておられたお年寄りの方々が寝たきりになってしまっています。
年令に関係なくまさしく「異常に」頭がしっかりしている方、もう文字通り右も左もわからなくなってしまっている方、それなり〜の方など様々ですが、やはり筋力の低下は90にもなるとごく自然なこと。

私も”もし”病院に入院となって人生の最後の瞬間を迎えることになった時には、看護師さん達から「あのじいちゃん、元々お医者さんだったらしいよ」とか言われるんでしょうな。w
まあ、個人的な経験では医者が病棟に入院となると”通常”スタッフとしては「困った患者」で有ることが比較的多いのが事実です。特に、病棟でバリバリ現役で仕事していたような医師がそのまま入院してベッド上から自分の検査のオーダーや投薬を組み立てたりすることがあって、正直看護師さん達が”迷惑”していたのを研修医の時に垣間見ておりましたので・・・。

まあ、そのときには耄碌しているでしょうからそんなことも出来なくなっているでしょうけどネ。
人生最後の日々は「息をしているだけ」ではなく、何らかの活動を「できる・している状態」で前向きに倒れて逝きたいものですな。実際のところ大変難しい話ですけど。

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