2015年11月3日火曜日

人生への最後のお別れと家族

在宅医療も含め、病院では最近八十代後半から九十代の方々をお見送りすることが非常に多くなっています。

ところが、このお年寄り達の最後のお見送りに関しては本当に百人百様の「最後」の瞬間を経験します。
最後の瞬間に誰も身寄りの立ち会われ無い方々も沢山おりますし、ビックリするくらい大勢の御親族が最期の瞬間まで入れ代わり立ち代わり病室に来られる方々も・・・。

どちらの場合でも私は亡くなられる方ご自身が最も望まれる最後の形式でお見送りすることを心がけているのですが、それが一筋縄でいかないことが実は多いのです。

「親族」「家族」「身内」等と一口に言っても、患者さんとその人達の距離や関係はそれこそ無限のバリエーションが有り、友人と言って度々お見舞いに来ていた女性が実は内縁の妻だったというお話は病院では極々普通の話で、男女を逆にしたケースもまた然り。

血縁は繋がっていても、この数十年来連絡など一度もとったことが無い等というのもこれまた実に普通にゴロゴロ転がっているような話でして、お役所の方が探偵顔負けで必死になって探り当ててきた血縁者に連絡を入れた所、逆に怒鳴り返されて「連絡などいれるな!」という顛末になるなんて言うのも全く驚きのない話なのでした。

実際、親戚縁者には「亡き者」として扱われ、家族側から戸籍も抹消され死んだということにされており、親もとうの昔になくなっていた事が判明し、遺産の相続のことを蒸し返して裁判所経由で戸籍を回復するなんていう人も、私が医療職に戻って二年も経たないのに既に三件ほど経験しました。

若いころの好き勝手に生きてきた「己の愚かな行い」が災いし、老いに老いて80過ぎてから、本当に孤独の中で枯れるように死んでいく人達が眼の前にいるのを見ていると、やはり人生について何も考えるな、という方が無理ではないかと思うんですよね。

「野垂れ死に」という言葉に博打好きの自分はある種の浪漫の香りを感じていたのですが、現実的に潔くそれを「選択肢として」受け容れるためには、それを乗り越えるだけの強靭な精神力の持ち主でなければならないのだろうと考えるこの頃です。

私のような、「寂しがり屋さん」には到底無理っぽいです。 w

(この話明日もちょこっと続きます。)

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