2014年6月29日日曜日

瀬戸物の未来

このまえ頂いた「瀬戸物」のお皿に関して病棟の看護婦さん達と話し合っていてフト思ったことを一つ。

それはデザインのことです。
瀬戸の博物館にも実際入ってみて感じたことなんですが、焼いている対象となっているテーマが何だか狭い。
例えば前回は動物モノということで探しに探した瀬戸の焼き物でしたが、少なくとも干支の焼き物以外にはほぼ動物モノの常設的な販売物は皆無でした。

秋の陶祖祭の様な祭りでは個人レベルの出品者がいろいろな動物を焼いているのはブログなどで知っていたのですが、日常的にアクセスできるレベルで出店されたところではそういった多彩なテーマは本当に手に入らないということだけは確かでした。残念!

愛知や瀬戸界隈から戦前戦後にかけて大量のデザイン陶磁器(多くはフランス人形調)が輸出され、今でもアメリカのアンティークショップにいろいろな形で置かれ取り引きされていますが、やはり当時のような隆盛は二度と拝めないのでしょうか。

私自身が個人的に思う理由は東アジア各国との安値での競争にやられただけでなくて、長期的なビジョンに基づいた「戦略」が全く欠けていたのではないかと思っているんですがどんなもんでしょうか。
日本も何時迄も安かろう悪かろうの時代が続かないであろうことは当時から「解る人」には解っていたはずなんですが、一時の勢いの波に乗っているうちにそういった積極的な次世代攻略案を練る人が出てこなかったのかも。
手前の現金の力は多くの人の目を曇らせますからね、、、。気付いた時にはソックリのものをより安く作ってくる国に押しまくられ、ということになっていたんでしょうかね。

そのうちに隆盛を誇った瀬戸地方自体が沈み込んで今の状態になったのかも。
かつて隆盛を誇った繊維産業は一時の悲惨な状態から高機能繊維やカーボンを使った各種のマテリアル産業へと脱皮しましたが、陶磁器を使った産業も工業用の碍子や高機能セラミックスを使ったようなものは瀬戸地方には何も育たなかったのか?一度調べないといけないのかな、、、。

もし、デザインを重要視した皿やコップなどの陶器などで勝負するなら地元ノリタケのような方向性もあるのでしょうが、実際にお店で手にとって物をとってみると、瀬戸地方独自の人形や芸術作品ものの存在が如何にも弱く感じてしまいます。
悪く言えば今どきこんなものなら別にわざわざ瀬戸に来なくても、どこかそこらのスーパーか中国製の陶器を並べた土産物屋で100円で手に入るでしょう?というようなものばっかし。
やっぱデザインを重視するデザイナーを育てて来なかった、もしくはデザイナーの力を軽視しているんでじゃないでしょうか。技術はあってもトレンドを作り出せないのは絶対に戦略の欠如以外のなにものでもないと思うんですけど。

特に21世紀のデザイン・パワーを重視するような時代に若手から老人まで含めたデザインセンスのある人達にガンガンデザインしてもらって、コンペを開かせた結果を作品の具現化という形でいろんな陶器に仕上げていけば少なくとも今の沈滞してしまった瀬戸の様子は変えられると思うんです。

ネットの時代だからこそ、選考に残った応募作の投票を通じたデザインや意匠の買い取りなど幾らでもやれることは有ると思うんですが、、、。
行っても面白くも何とも無いハコがデカイだけの維持費だけは”多分”一流の陶磁器の博物館とか作るとか、如何にも地元商工会議所のオッサン達が考えそうなダメダメな案ですよね、、、。orz

瀬戸の陶器産業、座して死を待つのか。それとも未だ間に合うかどうかは知りませんが、若い人を中心とした新しい
アイデアを次々に検討して取捨選択し次のトレンドを作るのか。再び国外でも愛でられ大切に保存されるようなものが作り出せるか?

今から数十年後に「過去の栄光の歴史」を語るだけの鄙びた街にならなければ良いと心から思います。
瀬戸の陶器産業に再生のための時間が残っていますように!

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2 件のコメント:

CHICHI さんのコメント...

あくまでも私の知っている範囲で起きたこと、起きていること
瀬戸が衰退することを想像できた人もいたとは思いますが、
宵越しの金は持たない状態の職人肌経営が多かったため、なかなか、先を見通すことができなかったようです
こんな地域で長年生活していると、窯元の娘や息子の知り合いも何人かいます

学生時代の友達のところは、完全に廃業
跡継ぎがおらず、お父様が亡くなった時点で廃業されました

陶芸教室の先生の実家は、高度経済成長時代大きな窯元として、
多くの職人さんを雇い、日々食器類を製造していたそうです
斜陽を感じ始めたころ、お父様は陶芸家になり、
息子たちを美大に進ませ、大量生産の食器類の製造は止め、芸術的要素の高いものの生産に変えられました

もう一人は、お稽古先で仲良くなった友達、
ここは、弟さんが某難関大学を卒業後跡を継ぎました
弟さんはお父様とは違って職人ではなく経営者として家業を守っておられます
美大を出たデザイナーを数人雇い、センスのいい食器類や小物の製造販売をしています

三者三様の製陶業の歩みです
私の知っている3人の事だけですから
瀬戸にはもっともっと色々なドラマがあるでしょうね

昨日のうつ病の話、
友達が、大企業で保険管理の仕事をしているのですが、
「復帰書類を書いたと思ったら数日もしないのに休職書類。これが日常茶飯事起きている。」と言っていたことを思い出しました。
うつ病の判断は難しいですね
単なる怠け病?と思うような人もいれば
いじめが原因でうつ病を発病した人も知っているし
もうつ病が引き金となって(と思われる)自殺してしまった人もいるし
心の中の問題は、数値化もできないし、本当に難しいですね

small G さんのコメント...

CHICHIさん、

実体験に基づいた貴重なお話有難うございます。
瀬戸の中にも仰るようないろいろな動きがあるんですね。
しかし、それがある程度のベクトルの束を持たないことにはやっぱり厳しいんでしょうか。
知性とアイデアに溢れた若手達が伝統の上に立ってそれを突き破って出てきてくれることを祈るのみです。

うつ病の件ですが本当のうつ病のヤバさは身近で見ていて驚くほどで、一時でも離れたら死んでしまうんじゃないかというほどの凄みが有りました。しかし、彼の場合はどう考えても精々病名をつけたとしても「適応障害」、そして恐らくはただの「怠け者」なのかなという気がします。

まあ、心の問題は誰も外からは覗けないのでコレばかりは数値化出来ないのでしょうが、それを加味しても、所謂「普通の生活スタイルでは生きていけない」人達が増える時代というのはそれらの人を養っても社会が未だ活動をすることが出来るという意味では包容力のある素晴らしい時代という事ができるのかもしれません。

どういう形であっても仕事に出ることが出来ないというのは鬱ではなくて別の心の病気なんでしょうね。