2013年10月6日日曜日

日本のノーベル医学生理学賞の未来はそんなに明るくない・・・

今年もノーベル医学生理学賞発表の季節になりました。

基礎研究、臨床研究にかかわらず、このような表彰の対象になる研究というものは広く深い研究の裾野というものがあってはじめてその国において可能となるものが殆んどですが、そういった研究のアウトプットは論文数、質が如何かは別としても、少なくとも勢いととしてはそれで出てくるのが「一般的」です。

日本の論文数の劇的な低下のことに関しては最近のトレンドが多くの人に最近はよく知られていまして、ある先生のブログでもそのことが書かれています。この先生によって国立大学の法人化に合わせて云々ということが随分前のある日のブログにも書かれ、話題にもなりました。その中には以下の様な一文もあって自分では「・・・」と思ってしまう点もあったのですが、この先生がブログでこういった問題点の議論に関して再活性してくださったことが有意義であることには間違いありません。

このような論文数減少のカーブを描いた国立大学法人化第一期(2004~09)において、国立大学法人評価がなされ、その点数によって運営費交付金が大学間で傾斜配分されても、いったいどういう効果があるの?と問いたくなりますね。国立大学法人評価やそのインセンティブは、国立大学全体としてのパフォーマンスを向上させることが目的であると思いますが、法人化第一期の国立大学の研究のパフォーマンスは下がっているわけですからね。

その上で思うのですが、最も簡単な理由はどう考えても2004年からの臨床研修必修化政策であると考えています。当時は既に日本に居ませんでしたし、当時教授会や学部長がどうやって文科省に丸め込まれていって研究拠点として死んでいくかという諸々の自殺化政策を受け容れたかなどということの詳細は間接的にしか見聞していません。

しかし、実際に発生したことは臨床研修必修化による「日本の医学基礎研究を実質的に担っていた」卒後の若手臨床ドクターをベッタリと病院に張り付くことを義務付けたことだとしか思っていません。
臨床研修自体は特に必修化しなくても、私が医学部を卒業した当時から臨床でバリバリやろうとする人間は一直線で臨床に行くし、(2004年以前でもほぼ99%以上だと思いますが統計的根拠はありません)極小数の自分のような変わり者が基礎系に行くことを考えたりという感じであること、その上で臨床にいった先生も熱い心とマダマダ動ける若い身体があるうちに基礎の研究室と臨床棟を往復するようなアクティブな研究生活をすることで日本の医学生物学研究のアクティビティーを下支えしてくれる人々が沢山いたのです。

実際、この臨床の先生方の下支えの部分は決して小さくなくて、臨床研究を行ってかつ基礎の研究も大学の病棟からやってきて夜にはデータの仕込みを行うなどという行為が「政策によって」妨害された時からこの論文ネタの仕込みが邪魔され始めたわけで、上のブログのグラフやトムソン・ロイターのオリジナルの他のグラフを見てもその結果が出てくる「三、四年後」がどれほど惨めでドラマティックな影響を及ぼしたか余りにも明白。

この長期的かつ明白なトレンドの結果を見てもまだ文科省はその重い腰を上げリ気配さえみせません。そのくせに日本のノーベル賞の数を「政策として」増やすような愚にもつかない下らないアイデアを発表していた時期があって「コイツラときたらサイエンスの事なーんも解っとらん」と腹の中でせせら笑っていたのですが日本の医学生理学賞のノーベル賞受賞者数を気にする前に何故自分たちの政策が日本の基礎研究を殺し続けているのかに関して深く反省するのが先ず第一歩ではないんでしょうか。

まあ、ここまでトレンドがセットされるともう逃げられないのかな、、、。

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