2013年9月11日水曜日

伝説の教師が亡くなられた

伝説の国語教師橋本武先生がアメリカ同時多発テロの祈念日に亡くなられたことをウェブのニュースで知りました。
先生には勿論私が習ったことはありませんし、灘高という我々の時代に御三家と呼ばれたようなトップノッチの高校に行く機会なども私自身全くありませんでしたが、先生のことはウェブやその他のメディアで随分と前から「凄い先生がいる」という認識のもとに、良く先生にまつわるお話を読ませていただいていました。
中勘助の「銀の匙」を三年間かけて読み込むという普通やるような所謂「文部科学省指導要領」に沿ったような授業とは全く異なる指導法を用いて、当時は公立校の滑り止めとまで言われていた灘の名前を、東大に合格する生徒の数を鬼のように引き上げたそうです。
実際、国語の授業を通じてすべての教科の基礎力を高め、灘という学校の存在自身を天下の人々に知らしむる役目の先導役になったというものですが、橋本先生の信念の背骨になっていたものは「国語の力はすべての力の基礎であり、ひいては人生を形造る力そのものの根源である」というものだったそうですが、私も橋本先生のおっしゃるこの言葉には強く共感します。

実際に物事を深く考え洞察する力というのは結局は言葉の力と表裏一体であって、数学者に魅力的な文章を綴る人が多いのはごく自然な成り行きなのだろうと何時も思っています。頭のなかにあるものを数式や文章で見事に表現するためには誰もが理解できる共通の記号を使って平明な文章を積み重ねることを繰り返すことにより、それが如何に壮大な思考であっても、その内容を詳らかにする事ができるというのが言葉の持つ素晴らしい力。
昔の日本人が言霊と言って言葉のもつ力に畏れを持っていましたが、そういった事を含め、精緻を極めた論理の構成を美しく簡明な言葉で表すことができたら、それはその人の人生を豊かにする一生の宝ものを貰ったのと同じことだと思います。

橋本先生の真の功績は灘校生の東大への快進撃と言う、二次的、表層的なアウトプットではなく、実際は橋本先生に受け持ってもらった生徒達全員への、6年をかけた多感な時期の彼らの人生へのありとあらゆる薫陶だったのではないかと思います。

すぐに役立つものはすぐに役立たなくなってしまう」これも橋本先生がおっしゃられていた言葉らしいのですが、国語の時間を減らして英語の時間やITスキル習得の時間を小学校に導入しようとかいう近視眼的で愚かな行為を画策する馬鹿な役人達にはこの言葉をこそ忘れぬように「額に墨入れ」してあげないといけませんな。w

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