2013年8月31日土曜日

さらば! そして夏休みも終わり

両親が帰国しました。
朝早くから目が覚めました。今日が今回の両親のアメリカ訪問の最終日。朝から揃って朝食を食べたのですが長女は昨日から事あるごとに涙を流しすぎて目がバンバンに腫れて眼が糸のようになってしまったので、階下のコンチネンタルの食事には行きませんでした。これも毎度のことですので驚きもしません。
皆でホテルを出て、外で全員揃っての記念撮影をしました。実はこれも恒例行事なのですが、私が「母親を抱きかかえて一枚パチリ」と言うショットも一枚追加で撮りました。母親は随分と恥ずかしがっていましたが。w
皆で飛行場に移動したのは十時前後でした。荷物を運んで両親に代わってチェックインの手続きを済ませて直ぐに出国ゲートに向かいます。パスポートとボーディングパスを持たせ、何分にも間違いのないようにしっかりと指示を出してどこに行くべきかどうすべきかを説明します。
その時でした、いよいよ別れの瞬間になって嫁さんも上の娘も滂沱の涙。驚いたことにオヤジも眼から大量の涙を流し、母親まで泣いていました。うーん、今までこんな事はなかったのに年取ったか?そのせいでこっちまで少しウルッと来てしまいました。
親父は最後に私に「XXにもっと優しくせな!(XXは嫁さんの名前)」と言って私の頭を軽くパシンと叩いてきましたが、、、。自分の若かった頃の非道ぶりを棚に上げるか~?というわけで、出国ゲートで係官として我々と老親との遣り取りを見ていた東アジア系の若い兄さんが二人を別個にエスカレーターではなくエレベーターの方まで連れて行ってくれました。彼が戻ってきた時、謝辞を述べたらかっこ良く笑顔を返されました。
両親を見届けて直ぐ今度は上の娘をボルチモアの大学の寮まで送り届けねばなりません。飛行場からは約1時間10分という計算が出てましたが、ボルチモアの市街に入ると突然の渋滞が始まりました。何でかと思っていると掲示板にレースのことが出ていました。そうでした、去年も娘をフレッシュマンとして送り届けた時にこうやってボルチモア・グランプリの準備で混雑していたのでした!やっと思い出しました。
しかも今年は既に予選の車がバンバン走っていて、その時見えたのはポルシェを駆るワークス達のチームで、ものすごい速度できついカーブを曲がっているのが高架上から見えました。
しばらくして渋滞を抜け娘を大学の外にある新しい寮のビルまで届けて我々自身も大学の駐車場に車を停めて娘の部屋へと向かいました。
周りの道路はなんだかやたらとほじくり返されてました
ここが部屋へ移動途中の廊下ですが、実に綺麗でした。
ビルは未だ新品のようにきれいでレンガ造りの瀟洒なもので、一階はバーンズ&ノーブルが入っています。部屋自身は9階でまるでホテルのロビーのようなところを抜けて部屋まで行きました。
なんだか俺の大学生時代の男おいどん的な、サルマ茸でも生えていそうな頃のオンボロ下宿とは対極にあるなんだか理解できない世界でしたね、、、。時代も国も違えばそうなるか。
取り敢えず、娘はここでもまた涙を流して嗚咽してました。いつまでたってもこういうところは母親ソックリですな。その点、下の娘はドライですが。
帰りにはポトマックミルズのIKEAと靴屋によってちょっとした買い物を済ませました。家に帰り着いて電話を見てみれば、上の娘から写真付きテキストで、すっかり元気になった様子で今から運動に行くと言うメッセージが入っていました。今年も頑張ってdean's listに名前をのっけてくださいね~。(学費代支払い低減のために!w)
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2013年8月30日金曜日

造幣局に行きました・両親の滞在もあと一日

前回、母親と家族で飛行場そばのハイアットホテルに滞在し、その物理的に近さ故に全ての予定設定の上で非常な余裕を生んだことが良い経験としてあったため、今回もそれに倣い同じようにハイアットに滞在の予約を入れた上でワシントンDCにある合衆国造幣局(Bureau of Engraving and Printing)にまずは向かいました。
前回と言っても10年以上前ですが、その時には連れてきたのは良かったのですが、駐車場を探しているうちに入るタイミングを逃してしまい入り口まで来て「残念!」ということになっていたので今回は十年後しのリベンジでした。
裏口にあるタダのチケット配給所に行ってまずは12:45分からの全員分のチケットを確保した上で、その隣にあるホロコーストミュージアムを訪れました。私自身はここは既に数回訪れていますし、ポーランドのアウシュビッツやワルシャワ市内の旧ゲットー・エリアを個人的に散策したことも有りますので、その悲惨さはよく知っているつもりですが、それらには劣るとはいえ両親や家族にここを見せるのは意義深いことですので、一時間ちょっと時間が有りましたのでゆっくり皆が回ることが出来ました。
それが終わったあとはいよいよ造幣局へ入館。いつものようにガイドさんがついてゆっくりと説明をしてくれます。無論、まわっている間は写真やビデオ撮影は禁止ですが、私自身はガイドさんのいうことを両親に通訳しながらの二次ガイドでしたが、説明の間も母親はといえば中で働く人達に手を振って微笑んでばかり、、、。皇室の方ですか?
何はともあれ、ここも無事に見学が終わりどうやら満足してもらえました。積み上げられた大量の紙幣を見ては「ほ~、は~」と母親が声を出していたのが印象的でしたが、それは私にとっては想定内でした。w
このあと、以前両親が来た時には未だなかった「第二次世界大戦の戦没者記念碑」までみんなでチンタラと歩き記念撮影。この時期はキング牧師がポンドであの歴史的な演説を行って50年ちょうどという時期でしたのでそれに関連した幟などを見ながらホテルの方へチェックインをし、直ぐに今度は親父だけを連れて飛行場近くのスミソニアン宇宙航空博物館に行き、展示物を隈なく見ました。前回は親父以外の全員と見に行きましたが、今回は親父と二人だけでじっくりと。
エノラ・ゲイ、スペースシャトル、その他諸々の展示物におおいに感心していました。二人だけでいろいろとそれらに関して話し合ったのですが、それは極私的なことなのでここでは割愛します。
二人がホテルに戻ったら全員ダウンしていましたが、暫くして皆を起こしてホテルの近所のハーンドンのお寿司屋さんに行って皆で「中国人の握る」ちょっとシャリが硬めのお寿司を食べました。まあ、こんなもんかなという寿司でしたが、良しとしましょう。
夜はいろいろと両親と私の家族でひとつの部屋に集まり家族だけで通じる「しょうもない話」に花を咲かせました。大家族も楽しいもんだなとフト思いました。
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2013年8月29日木曜日

アメリカの「家」で最後の日

明日からDCに両親を連れて行ってそのまま飛行場の直ぐそばのホテルに滞在、両親、特に血圧の高い母親に疲れを残さないようにしてそのまま日本に飛び立ってもらう計画ですので、本日が今回のアメリカ滞在における我が家の滞在最終日。
家では上の娘も大学に一緒の車に乗って飛行場でじいちゃんばあちゃんを見送った後、ボルチモアに帰って行きますので、荷物の整理に余念がありません。
それは両親も同じでした。ANAが無料で運べるスーツケースを2個から1個に減らしたことも有り、もともと少なめの荷物ではあるにしても、それなりにあれやこれやと詰めるものはあったようで、重さを時々計っては大丈夫かどうかを確かめていました。
なかでも重さという意味で大きかったのは母ちゃんが買ったという100枚!のハーシーズのチョコ、、、。「100枚も何するん?」と聞いても「100人くらいやる人のおっと!」という一言で片付けられてしまいました。w
今回の両親の訪問で改めて確認出来たのは親父の真っ当さと母親の住んでいる世界の狭さ。どこに行っても何を見ても視野の狭ーいフィルターで即断して自分なりの意味付けをして終わりという行為の繰り返しで、どうしてこんなに親父とキャラが正反対なのかと50年近くこの母親の息子をしていながら未だに理解出来ないでいます。orz
まあ、私としては両親にはともに育ててくれた事を感謝するのみでしょうか。取りあえず後は健康に過ごしてくだされと言うしかありません。
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2013年8月28日水曜日

アメリカで親父の誕生日

親父の誕生日が偶然アメリカ滞在と重なったので、我々一家で誕生会を開くことにしました。
日本時間では半日前にすでに75歳を迎えているわけですがここはアメリカ。なるべく歳はゆっくり取りたいでしょうから親父には都合が良かったかも?w
夕食は普通にとってみんなでお喋り、75年生きて母ちゃんとは50年以上連れ添って、、、なんて書くと長い長い人生であるように感じますが、実際は子にとってはあっというもの50年弱にも思えます。
若いころの親父は子供にとって非常に理不尽で、すぐに怒りに任せて怒鳴り散らすどうしようもない荒くれに見えましたが、歳をとってこれまたスマートなロジックなど全く通らない理不尽な母親とも声を荒らげて激しく喧嘩することなども無くなりました。
まあ、親父いわく「諦め」なのだそうですが、昔を知る私にとってはいつ右手が飛んでくるかわからないバイオレンス親父でしたが、子供の私もそれなりに滅茶苦茶をしていたものでまあそれ相応かということでしょうか。お陰様で外道になるようなことも無く、取り敢えずは普通の家庭を築くことが出来ました。これには感謝です。
さて、娘達は母親とともにケーキを作りお爺ちゃんの75歳を祝うということでカードも書いていました。私の方はこっそりプレゼントを用意する役だったのですが、何をプレゼントにするか暫く考えた末に、デジタルフォトフレームに決めました。
これに関してはメカ音痴のオヤジ世代のことも考えて「使い方がわかるかな???」という不安も一瞬頭をよぎったのですが、実家ではデジタルテレビの予約再生などはきちんと出来ているようなので、私が教えれば出来るだろうという前提で買い込みました。
ケーキにローソクを立てて誕生祝いのうたを歌った所大変喜んでくれたようでした。(両親世代というか、この世代の人達はこの手のお祝いパーティーをしたことがない人も多いようで、両親も初めてということで我々が逆に驚きました。そういえば、俺自身も小さい頃は誕生日だからといって特別に洒落た何かをした覚えはないですな~。w)
もし75本立てたらケーキどころかも家まで燃えそうです。(笑)
デジタルフォトフレームも何のかんの言って大変気に入ってくれたようで、老夫婦でじっと見入って、一枚一枚の写真に子供のように歓声を上げては笑ってしまうようなコメントを付けていました。
なにはともあれ健康一番、少々物忘れはするとはいえ年齢的に正常な範囲のようですし、これからも元気で齢を重ねて三桁を目指して欲しいものですね。
次は喜寿!77歳のお祝いをハワイにでも集まってみんなでしましょうか。
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2013年8月27日火曜日

娘の高校オリエンテーション

今日は娘が選んだRichmond市内にあるGovernor's Schoolの初オリエンテーションが有りました。
親も初日である今日だけは呼ばれて子供達の出席や成績評価についての手短な説明が二時間弱行われました。子供達はそのまま学校に居残り3時まではオリエンテーションの続きです。
後になって知ったのですが、緊張したせいで娘は夜の一時から全然眠れなかったのだそうです。w 友達が出来るのか、昼飯食べる時に一人っきりになるようなことはないのかとかいうような「大人からみるとどうでもいいようなこと」がやはりこの年令の子供達には重大な関心事のようです。
もっともそれも無理はありません。彼らにとってみればこれから四年弱お世話になる学校は人生の節目において最も多感な時期を多くの固定された人員の人間(と言っても一クラス20人前後で、一学年8クラスしかありませんが、、、。)と過ごすわけですから、こういった人対人のコンパチビリティーに神経質になるのに一理も二理もあるわけです。

なにはともあれ今日の娘の格好ときたら髪は金髪。(決して茶髪ではない!)
日本だったら何処のヤンキーか底辺高校のDQN等と言われるところでしょうが、アメリカは然にあらず!金髪などどこでも普通にいますし、パンチパーマも黒人にとっては彼ら本来の髪型ですから、髪の毛などピンクにしてモヒカンにでもしない限り「目立つ」こと等あり得ません。実際、学校から帰ってきた娘に聞いたら「カワイイ~」という一言で終わってしまったようです。(頭頂部かき分けるとプリンのカラメル部分が丸見えなんですが、、、)
金狼w
これからの三年九ヶ月。彼女が何をしてどういったことを学びどういった交友関係を築きあげ、何処のカレッジに向かって旅立つのか、、、。一切は彼女の手に委ねられました。親としてはひたすら経済的な面では間違いのないように手立てを講じ準備しておかねばなりません。
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2013年8月26日月曜日

Richmond市内観光

息子も両頬が腫れていることも有り、今日は私と両親だけの実に珍しい組み合わせでの久方ぶりの外出となりました。
行き先は手近にリッチモンド。距離的に近いからと言って実は一度も行った事の無い観光名所は意外とあるものです。今回はまず予てからのオヤジの要望であった私の仕事場を見せてくれといううものに応えることにしました。二時半過ぎにビルの四階にあるオフィスに両親を通して椅子などに座ってもらい記念写真をパチリパチリ。そのあと、実験室や細胞培養の部屋を見せてまた実験の簡単な説明をしました。培養室では一枚だけがん細胞を培養しているプレートを両親に見せました。
次に移動したのは昨年日本でも公開されたスピルバーグの映画リンカーンの舞台の一つとして使われたState Capitaol(バージニア州議事堂)の建物内ツアーです。ここに関して私が事前に知っていたのは貴婦人の幽霊が出るところとして有名だということくらいでしょうか。
一昨年でしたか、冬の時期だったと思うんですが、キャピトルの脇を通る度に大量の幌馬車と南軍兵士の格好をした多くの人間を見かけていました。
無論キャストたちなのでしょうが、「一体何をする人達ぞな?もしかして恒例の南部関連のお祭りの一環か?」くらいの感じでしたが後で、映画のキャストだったと知ってなるほどと納得したものです。
実に天気の良い爽やかな夏でした
キャピトルの周辺にひろがる芝生の上では歯の治療に大学にやってきた嫁さんと昼ごはんを屋台で買ってその上で食べる位で建物の中に実際に入ったりしたことはありませんでした。
今回、そのチャンスが来たわけですが、建物の正面からドーンと入るようなことは出来なくて、一般観光客は皆、丘を下って南側にある道路沿いの入り口まで降りて行って金属探知機を使った簡単な身体検査を受けなければなりません。
その時点で入っていっていたのは我々三人だけで、警備員とおしゃべりしながらすっと入場。(この人コミュニティーカレッジで日本語を選択してる男性でした。)
州議会室に入っていく階段です
州議会、下院の討議室
州議会議事堂を後にして向かったのはジェームスリバーの防波堤(といっても、開閉式の洪水防止装置なんですけどね)です。実際数年前にも大雨で多くの車と人が流されて亡くなっていますので、こういった施設は時にある大水の時には実際に必須の防災設備です。

ここを訪れている時に面白いものを見つけました。菌輪(fairly circles)と呼ばれるものです。自分で見つけたのは初めてでした。
直径は二メートルくらいでしtが、時間的にどれくらいかけてできたのかは不明です。
身近にもまだ面白いものってあるもんですね。
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2013年8月25日日曜日

抜歯後の様子・両親の働き

息子が四本の親知らずを抜歯して二日目。
長女の時と同様に二日目のほうが顎が腫れています。(経験的には3,4日目がピークアウトのはずです。)具合はどうかというとやはり少しベッドの上で寝ている時間が多いのですが、元気は元気食欲も本調子ではないとはいえ有ります。
朝起きてきていきなり日本から持って帰ったマルちゃんの正麺をリクエスト。w 嫁さんもちょっと驚いていましたが、具を入れないことを条件に私の方でゴーサインを出しました。腹が減っていたのは間違いない状態でしたので、案の定つるつると胃の中に麺が入って行きました。
その後も、活動性は低めとはいえ一日中元気な感じでしたので、まあ長女の時のように明日くらいまでは微熱が出たり痛みが続いたりして、、、と言う感じが続くかなという予想です。

さて、もう後一週間弱になってきた実家の両親のアメリカ滞在ですが、今回の滞在を通じて嫁さんがしきりに両親の仕事ぶりに感心しています。曰く「よく働く」と。
確かに朝は六時には起きてきて犬の散歩をするかと思えばその後は家の壁拭きをしたり窓の掃除をしたり、かと思えば雑草抜き。なんだかんだと言っては家の中や外をきれいにすることに余念がありません。昔からこんなに働き者だったかな?と思いつつ親父を眺めていたのですが、休日は結構寝ていたりなんてこともあったのですが、もともと非常に綺麗好きの性格で、遺伝子レベルでそれが組み込まれているようです。
何かあったらそれをきちんとした場所に収めるというキャラは間違いなく私と私の息子にもしっかり伝わっていて「間違いなく」親、子、孫へとその性質は引き継がれていますね~。
俺も歳とったらオヤジのように娘の家に行って草むしりや掃除をするようになるのかな?取り敢えず、75歳でも元気ピンピン。マダマダ現役で仕事もするし、嫁さんにいたっては「私は舅と姑さんとにはめっちゃ恵まれている。お義父さん達となら一緒に住んでも全然問題ない」等と言っていますが、、、。
昔の家ってのは老親との同居が普通だったんですよね。しかし、離れていてたまに会うからこそ解る有り難みもあるわけで、それが今なのかなと思ってます。いつまでも元気で居て欲しいですね。しかしあまり優しくすると老けるので、それはソコソコに。(笑)
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2013年8月24日土曜日

親知らず四本一気抜き

家族内で二人目。
アメリカでの親不知一気抜きが行われました。二人目は長男。前回は長女でしたが、ちょうど一年ほど前のこの時期でした。朝の六時半には起きて七時前には家を出ました。大学の口腔外科に着いたのは七時半過ぎでまだ誰もオフィスには来ていませんでした。
暫く自分のオフィスに行ってPCでメールを読んだりしていましたが、八時近くにもう一度口腔外科の行くとすでに受付業務を開始していましたので前日のうちに用意していた問診票を提出してコールをまちました。直ぐに呼び出しがあった後、息子とともにオペ室に入って行きました。
今回のドクターはDr.Strauss教授で口腔外科で最も優れていると私が信じている人物です。型通りのリスク説明があった後、我々両親は外に出されてソファで待ちました。
今回も当然のように全身麻酔での四本一気抜きです。いつもと違う治療室の物々しい雰囲気に息子も表情が堅く実に不安そうでしたが、静脈のラインを取るときも含めて常に協力的で、先生は「何の問題もないね、この子なら」と言ってくれました。
最初は自閉的であることでパニックのような状態を心配されていたようですが、そういった典型的な自閉症の症状を出す子ではないことが事前に理解してもらえたようで、あとはスムースに行きました。
待つこと約1時間。娘の時とほぼ一緒の待ち時間でしたが何の滞りもなくオペは終了し、息子の待つオペ室へと案内されました。待っていたシュトラウス先生からは「ほとんどの患者の時よりよっぽど簡単に手術させてもらえたよ~!w」とお褒めの言葉を頂きました。
本人を見ると薄眼を半分開けつつもこちらからの呼びかけには最初余り反応しませんでしたが、十分くらいかけてやっと支え付きで立ち上がれるほどにまで戻ってきました。
直ぐに車椅子に移してバレー・パーキングの所に停めておいた車のところまで連れて行って、後部座席に嫁さんと二人で座らせました。家に帰り着くとそのまま頬を冷やし始めるとともに鎮痛剤を飲ませてそのまま眠らせました。
口の中のガーゼは暫く頻回に交換したのですが四、五回交換するまではなかなか大量の血餅は止まりませんでしたが、本人は無言である以外は至って平然としていて、長女の時のようにギャーギャー文句を垂れることもなく静かに過ごしてくれました。
四時間に一回ほどガーゼを交換すると同時に鎮痛剤を飲ませましたが、ちょっとした腫れが出始めているくらいで取り敢えずは無事に終わってくれたようでした。
さあ、あとは二年後くらいに次女が同じことを終えたら我が家の子供達は全員親知らずを抜き終えることになりますね!
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2013年8月23日金曜日

アメリカの教育は現実の政治とも「強く」結びついている

日本では少なくとも政治を授業の中に持ち込むようなことは極力排除される方向で為されるのが普通の公立高校だと「私的な経験上」思っています。(無論、一部の日教組教師出身の基地外教師による左寄りの思想教育が流し込まれることはありますが、それは残念な高校の場合でしょうか?)
ところがアメリカという国はそうではありません。モロに、それこそ小学校の頃から教室内で支持する政党はどこかとか、どの候補者を応援するのか、その理由は何でどんなことを主張しているのかをまとめなさいとか、、、。ちょっと日本の公立校では想像もできないかと思いますが結構こういうことを平気でやっています。
高校に行くとこれが更に先鋭化してしまって大統領選とか知事選などの大きな選挙ではクラス内で意見が割れるのは当然の事、学校の中でも張り紙やポスターを作って自分の意見を主張することが許されています。(無論これが全米的に許されているかは知りませんし、プライベートスクールでもそうなのかは全く持って身近には知る由もありませんが、、、。)
対立する意見が当然のように同じ壁に並んでいるのですが、何故そう考えるのかという事を簡潔に知られている事実を元に堂々と読み手に対して訴えかける理路整然とした主張が高校生たちの手から生み出されるのはまず日本では有り得ないといつも感心させられます。
それがいいかどうかは別として、政治的主張は彼らの中では当然のように日常的に自分の立ち位置を決める「インシデント」で有るということが興味深い点です。
そしてその「政治」なのですが、今回、娘の通う学校に対して州知事名義!でノースロップ・グラマン(御存知航空機関連を筆頭とした有名宇宙及び軍事企業)提供によるサイバーディフェンス・コンテストへの参加通知が為されているのでした。主催はアメリカ空軍ですから、完全な産軍複合でのコンテスト通知です。これ、もし仮に日本で通知されたらというと三菱重工提供の航空自衛隊によるサイバーディフェンス・コンテストが県知事名で為されるようなものですから、いろいろな意味で政教分離の問題を飛び越えた大問題として格好の議論の餌食になるでしょうし、そもそもそういう提案がこういう形で出てくるとは到底思えません。w
税金の使い道、投資教育、政治への見解、現実世界への絡みなども含めてアメリカの公教育というのは将来の実体験への結びつきの強さという意味で日本とは極めて大きく事なりますよね、、、。
どっちが良いかというのではなくて、そういうものなんだというのは国の成り立ちなどの差からくるのでしょうね。
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2013年8月22日木曜日

Maymont Parkへ行く

一昨日におきた犬の一件で書きそびれたメイモント・パークへのお出かけのことを書いておこうと思います。
メイモント・パークというのはリッチモンドに有る巨大な公園で、もともとは20世紀初頭まで生きていた新興階級に属するリッチモンドの富豪Dooley氏がその遺言によってリッチモンド市に寄付をしたもので、現在ではメイモント財団によって運営維持されています。
ここは子供達が小さな頃は無料かつ近郊にあるお手軽な公園として月に一回くらいの感じで来ていたのですが、子供達が成長して親と行動を共にしなくなってからと言うもの余り来る事も無くなり最近来たのはどう考えても5年以上前のことではなかったかと言うくらい来ていませんでした。
ですが、今回両親が久方ぶりに揃ってアメリカを訪れたのを幸い、嫁さんと息子も一緒に連れて久しぶりの公園訪問となりました。
中には小動物園、自然展示館、日本庭園、イタリア庭園などがありますが、これだけの広さのなかにある色々なアトラクションを維持運営していくことの大変さを思うと無料で入園できることのありがたさを感じます。(勿論寄付する箱は据え付けられてますので当然のようにお金は落としていきますが。)
こういった動物を飼っているエリアも有ります。
牛、ヤギ、ニワトリ、羊、基本的に家禽が多いですね。
ここは家禽コーナーから降りていく途中で、この先に牛、鷲、熊などのコーナーがあります。
ここは日本庭園!素晴らしく手入れがなされている上にこの時期水も豊富でよどみなど無く美しかったです。
しかしこの庭園のベストの時期は後二ヵ月後の9-10月。紅葉の見事さは特筆ものです。
先にある池で、植生が日本のものに似ている為(竹まで植えられています!)
ここは日本に似てるなと強く感じるエリアです。
やっぱりまわりに歩く先が日本に似ていると言うのはその国を思い出す上で大切な要素なんだと良くわかります。
実はこの公園の横にはCSXの鉄路が並行して走っているのですが、今回偶然にも熊のエリアまで降りたときに息子の大好きなCSXの貨物車がいつものように100両編成くらいで横に走ってくると言うイベントが発生した為、二人して大急ぎでそこまで走っていって大喜びでその列車が途切れるまで二人でじっと眺め続けていました。
こんな行幸は息子が7-8歳の頃に一度起きたきりだったので沢山「息子と列車」がフレームに納まる写真を撮りまくりました。
全体で二時間ほどかけて一周しましたが、両親も汗はかけどもそれほど疲れたそぶりも見せず楽しんでくれたようでした。良かった良かった。
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2013年8月21日水曜日

犬とチョコレート・2

結局娘は朝の7時くらいまで起きていました。
代謝による半減期は17時間半なので、食べてから八時間ほどは経過を必死で見ていたことになります。途中、頻尿や異常行動、嘔吐、下痢など一切ありませんでしたが、時折胸を触って拍動を採ってみた時何となく徐脈気味かな~?という気もしたのですがすっかり寝付いたような眼で私を見上げていたような感じの時だったので、単に安静時脈拍という感じだったのかもしれません。実際24時間経った時点で心拍を触った感じでは昨夜のチョコレート事件の7時間後ほどの脈の感じとほぼ同じでしたので、、、。
取り敢えず朝までの時点で「少なくとも」今回のチョコレート誤食の件は問題無さそうだということがほぼ間違いなくなったので、娘には「もう寝なさい」と言いました。
感受性の差なども様々なのでしょうが、我が家の犬はどうやらそこまでチョコレートに感受性のある個体では無いようですね。悪食は飼い主と一緒ということか?w
何はともあれ今回のことでいろいろと懲りたようです。何しろアクシデントとしては既に2アウト!二度あることは三度あるといいます。今までは二、三年に一度の感じでこんなアクシデントを経験していますが、いくら注意していても犬は甘いものが大好きです。少なくとも大きなブロックのチョコレートは買わない、チョコをまとまった単位で買わない、一箇所にチョコを集めるような事はせず最悪でも高いところにおいて鍵のついた所にきちんとしまうというのがfail safeの思想的には最善の手段かと思われます。
ああ、それにしても下の娘に将来生まれるであろう孫の育児手伝いが「既に」今から思いやられますわ、ホンマに、、、。orz
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2013年8月19日月曜日

犬とチョコレート

向こうの部屋で下の娘が大きな声で喚いている。
何だとは思っていたが暫くして嫁さんと娘がPCの所に居た私の所へ犬を連れてやってきた。下の娘は最初何か叱ったような声を出していたのだが私のところに来た時には泣きはらした眼で犬を小脇に抱えてやってきたので「もしかしてまたか?」とおもっていたのですが、案の定、嫁さんが説明しだした状況はロッテのガーナチョコレート(普通のエクセレントのもの)を犬が食べてしもうたというもの。
思わず「またか!バカが!」と言ってしまいましたが有害成分である所のテオブロミンがどれくらい摂取されたかが問題となります。最初ベッツに電話しましたがつながらないのでとりあえず落ち着いて調べ始めました。日米でいろいろな話があるのですが、テオブロミンの致死量がどれくらいかということをはじめ、実際に摂取された犬を持つ飼い主の体験談その他を見ていてわかったのはいろいろあったのですが、まあどうやらオーバーな表現と科学的根拠に乏しい又聞きのようなものばかりということでした。(残念ながら人間の医学でも多いことですが、、、)
そこでメルクマニュアルでテオブロミンをみてみますと、、、以下の様な記述が有りました。

The LD50 of both caffeine and theobromine is reportedly 100–200 mg/kg, but severe signs and deaths may occur at much lower dosages, and individual sensitivity to methylxanthines varies. In general, mild signs (vomiting, diarrhea, polydipsia) may be seen in dogs ingesting 20 mg/kg, cardiotoxic effects may be seen at 40–50 mg/kg, and seizures may occur at dosages ≥60 mg/kg. One ounce of milk chocolate per pound of body weight is a potentially lethal dose in dogs.

ようするに半数致死量はキロあたり最低で100ミリグラム。しかし個体差や場合によりもっと低い量でもシビアなケースや致死的なケースも有り得る。主な症状は20mg/kgのマイルドなもので嘔吐、下痢、多飲など。心毒性はその倍量ほどで、痙攣などは60mg/kg以上で起こりうるというものです。一ポンドあたり一オンス(28g/454g)のミルクチョコで犬の場合死ぬ可能性有りとのこと。

ではうちの犬の体重はというと約3キログラム超。今回食べたミルクチョコのトータルの重さは一枚で140グラムとのことですが、実際には最大見積もりでも半分は食べていないとのこと。半分食べたとここでは仮定して70グラム。しかし、上の表記をもとにこれを換算すると185グラムのチョコを食べないと上記の記述致死量には達しません。
念のため日本のロッテチョコに緊急で電話して消費者相談窓口のN様に懇切丁寧にこのチョコのテオブロミンの含有量のデータをお伺いしました所、100グラムあたり0.26グラムと教えて頂きました。ということでこれも換算してみると70グラム摂取したとして最大180ミリグラム前後の摂取量です。3キロの犬の半数致死量の300ミリグラムの60%。徐脈などの心毒性が起きる可能性のあるレベルに達しては居ますがここは経過観察ということにしました。
まさに経過観察ということで、娘には二度目の失敗の罰として今晩は寝ずに経過観察を申し付けました。(無論バックアップの親父も実は寝ないのですが、、、。)

生き物を飼うということは人を育てるのと同じこと。ちょっとした油断が生死を分かつことが有るのですから、その重さを今のうちに十二分に理解してもらおうと思います。
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Outlet Mallへ行く

今日は両親を連れてWilliamsburgのアウトレット・モールへ行ってきました。
お客さんを日本などから迎える度に一度は連れて行くアウトレットですが、今回は娘達も同行しての移動でしたので一時間ちょっとの間オデッセイに7人を詰め込んでの移動となりました。
行く途中では特に何の渋滞もなくスムースなもので、アッという間に到着し娘二人と我々残り五人にに分かれての二時間程度の自由散策。ちょっと恥ずかしかったのが親父と私と私の息子の三人が一緒に前後して歩く道すがら時々その三人のソックリさに笑われることでした。まあ、遺伝子は嘘をつきません。ほぼ三十年ごとに加齢した感じのアジア人が前後して歩いているのですからまあ一般的にはすれ違う人のちょっとした話題にはなりますよね。w
中のフード・コートでも少し食べましたが、結局は家に帰り着いて作りおきのカレーを夕食として食べてお腹を満たしました。何のかんの言ってやっぱリ家が落ち着ちつきますよね。
結局買ったものはといえば、行動を共にしなかった娘達は珍しくほぼ何も買わず次女がイヤリングを買った程度。私は親父に21世紀のシューズの快適さを味わってもらおうとリーボックで2つ買うと99ドルになる非常に軽いランニングシューズを買い込みました。黄色の派手なやつをわざと買っておやじ様にも元気溌剌の毎日を送っていただこうという作戦。実際に履いてもらったらその軽さに驚いていたようで、これを履いて帰国してもらえば機内では快適かも?
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2013年8月17日土曜日

今日はLuray Cavern・シェナンドーへ

今日はシェナンドー(shenandoah)にあるルレイ・キャバンという洞窟へ親父を連れて行きました。
二年前には母親を連れて行って大笑いした失敗談があったのですが、今回はその時既に行った母親は行かずに家で待っているということでしたので親父と嫁さんだけを連れてあとの人間は家でお留守番です。
Luray Cavernsに行く途中に沢山のアンティークショップがあることに我々自身が気づき、嫁さんは申し訳なさそうに私の親父に謝りつつも最終的には四、五件のショップを覗きこみお気に入りのマグやボウルを手に入れていました。
途中小腹がすいたので何処か小さなレストランでもと探すのですが、残念ながら簡単にはその手のものは見つからずやむなくマクドナルドへ行きフィレオフィッシュを注文することになりました。この後は一直線に洞窟へ!着いてみて驚いたのはその人の多さでした。いつもの倍以上の人の出で、大量の人が入り口に入りきらずに長い列が外へ溢れ出ていました。夏休みも最後の段階に入ってあちこちから人が寄ってきてるのかなと考えたのですが、それは私達もその中の一人ということで同じように渋滞を作り出しているわけですから文句は言えません。
中に入って親父に通訳の説明を翻訳して、、、と思ったら何度も来たせいか中身を覚えてしまっていて、個人ガイドとしてグループの流れに関係なく先に進みながら説明をしていきました。
これは洞窟入って直ぐの広場ですが通常の倍以上の人でした
いつ行っても結構神秘的だなと思います
ピンぼけで申し訳ないのですが、これがツアーの最後の方に有る水溜りに投げ込まれている小銭の集計表です。定期的に回収されて寄付にまわされていますがもうすぐで百万ドルになりそうですね。
小一時間ほどで中から出てきた後はオヤジもそれなりに満足してくれたようで、一路家路を急いで家での夕食にありつきました。また両親を連れてくるチャンスはあるかな?あるとしたらケンタッキー方面かも?
何れにしても安全第一の旅路が安全で良かった良かった。
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今日はCary Townへ

疲れている母親は家で休憩、元気の余っている親父と息子、嫁さんと上の娘を連れて久し振りにCary Townへと向かいました。
お陰様で暑くもなく寒くもない天気で雨も降らずに落ち着いて歩きまわれました。久しぶりに訪れてみて気づいたのはかなりいろいろな店が入れ替わっていたことです。廃業したお店も幾つかありましたがそれ以上に新しいお店が増えていることに嫁さんと二人で驚きました。
そのなかでも嬉しかったのは小洒落たレストランが増えていたのとおしゃれな雑貨を売る店が増えていたことでしょうか。そのお店の一つに入って母親が欲しがっていた卵をたくさん載せるイースター用の皿でシンプルで良いデザインのものが有りましたので、それを一つ求めました。
その他にも壁の装飾品や飾りなどが有りましたが、大きさが両親が持ち帰るのには少し大きすぎるものばかりだったためその他のものは買いませんでした。
別れて行動していた上の娘とは最後に東京マーケットでおちあってお菓子や米を買い込みました。
その後はRichmond名物の南北戦争博物館を訪れた後に壊れた橋などをみせた後ドミニオンパワーのそばを走るRobert E Lee Bridgeの下にある歩道橋に連れて行きました。高所恐怖症の私にとっては毎回苦手な場所なんですが親父には綺麗な眺めを楽しんでもらいたいということで、前回母親を連れてきたときには寒さで震えてきたこの橋に今回は父親を連れてきたのでした。
愉しんでもらえたかな??
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2013年8月16日金曜日

休暇途中のレビュー仕事

日本はお盆休みだということについ先日気付きました。
私もお休みとは名がついていますが実際にはこの間もラボやリサーチの仕事への指示を出し続けないといけません。(ペースは絶対量として落としていますが、、、)
ラボなどの仕事はまあ全体的に良いとしても厄介なのはエディターやレビューの仕事です。こればっかしは休日関係なし。終わらせないといつまでも相手も待たされるわけですし、サイエンス・コミュニティー全体としても正しいレビューの円滑なサーキュレーションが保たれないといけません。
国によっても季節や曜日、日付がそれぞれ休日としてはバラバラですし、これに宗教的慣習などが組み合わされると自分のところが休日だからといって相手も休みだとは全く言えないしその逆もまたしかりです。
という訳で幾つものレビューとエディットの仕事を回しながらの休日ですが、実際は西洋的監修で行くとこの暑い季節はどうしてもバケーションをとっておられるサイエンティストも沢山居てエディターとしてレビューを回して依頼しても休暇に入っている、もしくは休暇に入ることを理由にレビューを断られることも多々という状態です。
しかしそこはお仕事。使命感を持って仕上げていかなければなりません。断るのは簡単ですし、怠けていくのもそう難しいことではありませんが、自分が怠け者だと知っていればこそ一度怠けると取り返しの付かないことになる恐れがありますので自ら尻に鞭入れてこの夏を乗り切ろうと思っています。
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