2013年4月7日日曜日

学会の存在意義

たまたまでしたが、分子生物学会の今回の会長を勤めておられる近藤先生の、学会に関する発言を読んで色々と考えさせられることが多かったですね。
日本では日頃から、X学会、Y学会、Z学会といって信じられないくらい細かく細分化された訳のわからないほどの数の学会がありますけど、(某S学会は宗教カルトの学会ですがw)個人的な暴論では、(わたしの知っているのは主に医学生物学系の学会ですが)これらの学会は、サル山のボスになりたい小猿の大将達がテラ銭集めの為に認定医とその生涯教育と言う大義名分をその学会の運営意義に被せて走らせている神輿とその収納容器いうふうに定義してます。
信じられないような年会費を学生と学会員から毎年毎年絞りとって、書いた本人しか読まないようなしょうもない症例報告集を発行し続けて、その報告集を「論文」集の一覧に載せて、自分とこの学会の認定医の資格維持のお題目に代えるとか本当にヤクザのような組織もたくさんあります。いや待て、悪を真っ向から正直に標榜するだけまだヤーさんのほうがましかも。(笑)
ジジイの乗った神輿を金を払ってまで担がされて、毎年毎年学会会場で知り合いに会っては「先生、飯食う?」と一言旧交を温めるのが目的なのならば、正規の観光の方がよっぽど前向きですし、学会出張と言う名の税金を使い込む必要もないわけなんですが、、、。
まあ、多くのショウモナイ教授にとっては物見遊山で顔を売っておくのも、己の退任時期の自分の所属する学会年次総会での運営校引き受けのための下地作りには必要なんでしょうかね。w
兎に角、日本の大型学会とか合同会とか、意味不明でフォーカスも何もあったもんじゃない学会なんぞ参加もしなければ、会員自体にもなるべきではないと強く強く思います。
下らない学会も、その会長も、会員の減少と運営の危機を速やかに迎えて干物のように干からびてネクローシスを迎えることを切に希望いたします。(おお、なんだか皇族風の物言いになってしまった。)
本質的に有るべき学会の姿というのは真に新しい情報を交換して互いに討論する場を設けることであって、例えばアメリカのGRCのような人数を極端に絞って、ポスター演題提出者や口演者の極近縁のもの者のみが被招待資格を持つような会でなければならないと思いますね。
それが嫌なら最初から学会などと名乗らず、遊興会とか、交流会とか正直な名前を課すのもいいし、学会などと名乗らずに、精々研究小会くらいに名を止めとけばいいんじゃないかなと思うんですけどね、、、。だいたい運営主体ごとに一々事務局があるとか、一度動き出したら「やめられない止まらない」のかっぱえびせんか、官庁のような組織を科学者自体が作ってどうすんのという感じです。
ああ、これ考えだしたら今の眠い時間には正直キツイのでまた改めて書こうかなと思います。
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