2013年4月18日木曜日

ニュージーランドの新法・ゲイマリッジ

アメリカでは同性婚を巡っての激しい憲法上の戦いが続いています。
あのカリフォルニアでさえも、合法非合法の間を右に左に揺れ続けている状態ですから、その激しさがアメリカ全土のレベルではどれほどのものか想像していただけるかと思います。私は東海岸に住んでいますので、南に大きく移動すればするほどゲイの結婚に関しては非寛容になっていきます。東海岸でも、いわゆる伝統的なカレッジや芸術家、その他のポップカルチャーを標榜する人達を中心にゲイであることを公言したり、芸に対する擁護が大勢を占めています。
私の場合はどうかというと、まあハッキリ言って男性などというものにはカッコイイ男、ハンサムな男というものが世の中には存在し、そういうのがいわゆるイケメンとして存在しているのは認識していますがそれ以上でもそれ以下でもありません。まあ、生まれ変わるチャンスがあったらイケメンというものに生まれ変わって女性にモテる人生というのも一度味わってみるのもいいかも?とは思いますが。w
自分の中に男を性的に愛する感情というのはまあ、「全く」起きたことがありません。しかし、男が男を女が女を愛するというゲイに対して否定的な感情を持ったことも一度もありません。ただ日常的にその人達と話して見ることは今まで数えきれないほど有りましたが特に何も他の人達と変わったものを彼らが持っているわけでもなければへんてこりんなキャラクターを持っているわけでもありません。むしろ話が面白くて知的な印象を受けることのほうが多いのかもとすら思ってしまいます。まあ、中には変なのもいるのでしょうが、それが普通の性的傾向を持っている人達の中にいる比率以上に飛び抜けて多いのかと言われたらそうではないと思うんですけどね。
個人的には、このような性的な傾向を持っているからといって差別の対象にするのは全く持っておかしな話だとしか思いません。結局、xenophobiaやhomophobiaというのは精神的な意味で自分に理解できないものは排除するという「田舎もん」の発想でしか無いと考えます。
しかし、地理的には世界の田舎と思われるニュージーランドで歴史的なゲイマリッジの法案が議会を通過しました。そのスピーチが秀逸。
どこに住むかではなく、どう考えてどう実際に生きるかがその人の精神的な成熟度を示すものだと思います。何かの一つの極端な考えに縛られて、「思考する自由」という人間に与えられた特権を自ら投げ捨てるようなことだけはしたくないものだと思います。
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