2012年6月30日土曜日

アップル本社、スタンフォード訪問

まずは朝からシスコの中心街を訪れました。
主に娘たちの買い物につきあったようなもので私と息子はひたすら金魚の糞のように着いていくだけでゲンナリ。待ち時間に息子にバーガーキングでフレンチフライとチキンテンダーを食べさせるだけで、あとは日射しのもとでじっとしていました。w
ユニオンスクエアや道端でじっとしている間に残りの人たちはフォーエバー21、セフォラ、ビクトリアズシークレト、ナイキタウン、アディダス専門店、ディズニーショップその他を巡っていたようです。これじゃあ、お金は貯まりませんよね。
しばらくして街を出た後は、アップルの本社に向かいました。信じられないほど青い、文字通り紺碧と言えるほどの雲がどこにもない空のもとパロアルトを抜けてくパチーノへ行きました。残念ながら今日は土曜でしたのでショップは開いていなかったのですが、それでもあの有名な本社の玄関前「infinite loop 1」に立ったときは少し感慨深かったですね。しかも、そこは世界一資産を持っている企業なんですよね。更には次に訪れる時には、多分このビルはもう無くて他のキャンパスに移っているだろうという(既にブループリントになているあのUFO型の新ビル)ことで、結構歴史的な節目に来たなと思いました。
ここを出て向かったのは西海岸のハーバード「スタンフォード大学」でした。99度の高温の中ですが、からっとしていて汗が出てきません。ちょっと異様なほどの明るさの中にあるキャンパスで、「もの凄く人工的」な感じがしました。何と言うか、無理してここにキャンパス作っているというのか、巧く言えないのですがそういう感じです。ちょうど、アジア系の新郎新婦の結婚式が執り行われている途中でした。多分、ここの卒業生がこのキャンパスで写真を撮るのは結構普通なんでしょうね。
最後にシスコの方へ戻ってツインピークスというシスコの住宅街を眺め下ろす形になる小高い山の上へやってきました。ちょうど海からあがってくる水分が霧となって山肌にあたっているため、雨かと勘違いするほどの大粒の霧が絶え間なく強風を伴って吹き付けてきます。長女は風が強くてギブアップしたのですが、残りの人間は小高い山のてっぺんまで上ってその異様な強風を体感してきました。不思議な場所でしたね。
ホテルへ戻ってきた私は部屋でおとなしくしていて、残りの家族たちは外食へ出かけていきました。一日が長いような短いような。不思議な感覚でした。
ナイキタウンですね。娘たちによれば店員が皆イケメンだったとか。
息子の手をひいて歩くシスコ。沢山のゲイ達とすれ違います。まあ、多分、俺たちも勘違いされてただろうなと思いながら無視して歩きます。
なんか、変わった服を着たおじさんがこのポールに関してトップの銅像も含めて説明してたのをぼんやり眺めてたんですが、説明は忘れました。w
いつでも混んでいるトラムの終点。よく見ると、後ろのバナーに2013年にシスコでアメリカズカップが開かれる事が書いてありますね。
ユニオンスクエアの入り口にある可愛いハートの彫刻です。
向こうに見えるバーガーキングで息子と軽食をとりました。
ありとあらゆる人種と言語が混じり合っています。今回はスペイン語とフランス語がよく聞こえてきました。
フォーエバー21の入り口。トラムターミナルのすぐ脇で、現在は工事中のビジターセンターの真横でもあります。すぐそばにユニクロが開店準備のための店舗改築を行っていましたが、まだまだ時間はかかりそうでした。
手前の銀色に見える手すりのようなものはトラムの電停につながっているアウディデザインによる装飾です。実際に見るとカッコいい!
H&Mですね。
あり得ないような異様な乾いた山肌と青い空。
映画のようです。w
あの有名なアップル本社!ついに来ました。
スタンフォードへ移動中です。
スタンフォード入り口左にある尖塔。
入り口遠景。
更に近づきます。
逆に入り口の芝生側を見ています。 
教会がありますね。妙に古く見せようとして人工的。ちょっといただけません。w
息もできないほどの強風の中、禿げ山の下に家々が見えます。霧がすごい!
女の人たちもキャーキャー言いながら降りていきました。
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サンフランシスコ 二日目

本日はシスコの二日目。
どこをまわるかは嫁さんがリッチモンドにいる時点で予定をたてていたので、その時点でGPSに入力されたスポットを順番に巡ればまあ問題はないというもの。
まずは何はともあれシスコに来たならゴールデンゲートブリッジを渡らなければ話になりません。はじめにSausalitoという少しおしゃれな橋向こうの街まで渡りました。更に、北側にある長崎の街のようなクネクネした道を上っていったところにある国立公園に入り車を山の裾野に停め、小高い山を家族で追いかけっこしながら登っていきました。北側すぎてシスコの全景は見えなかったのですが、久しぶりの小登山です。次に行ったのは橋本体。さすがはシスコは霧の街というだけあって、この時期でさえも霧が海からさっとやってきてはほんの今しがたまで見えていた橋をかき消してしまいます。まずは対岸側で橋を見ましたがこれが絶景。普段見る観光写真はシスコの街側から見たものばかりという感じですが、北側から見た景色も素晴らしいものでした。霧と風がびゅーびゅー吹きすさぶ中を皆で歩いて行きます。写真を何枚も撮って今度は南側へ。6ドル払って南側に渡り、その袂にある観光案内センターの駐車場に車を停めて橋本体を家族で渡りました。渡るとは言っても南側の橋桁のところまで。高すぎて十分ビビらせてくれました。w こんなところから飛び降りて死ぬ勇気がある輩はどうしてそのエネルギーを生きて頑張る事に使えないのか、、、謎です。
次に向かったのはアメリカ最大(世界最大?)のチャイナタウン。着くと同時に猥雑な感じ満杯の景色が飛び込んできました。漢字だらけで、まるでブレードランナーの世界です。まずは新アジア(新亜州)とか言う名前の有名な飲茶の店へ向かいました。何はともあれ腹ごしらえの世界ですが、アジア人が9割くらいの感じで、ガンガン中国語で話しかけてきますので、解らん!という事をしっかりボディーランゲージと英語で伝え、次々に小皿をとっては食べました。店もたくさん並んでいて、二時間ほどウロウロしたあげく、いろいろ子供たちの目を楽しませてくれたものともおさらばしました。さらに、Lombard streetという皆さんも多分一度は写真や映像で見られた事のあるであろうクネクネした下り坂に向かいました。もう、何と言うか異常な坂道ですね、あの傾斜は。この街はお年寄りにはつらい街だと思いました。
最後に向かったのはFisherman's wharfという海沿いの海産物を楽しむところに行きました。まあ、既に腹は一杯でしたので、出店や大道芸を見て回り十分に堪能した後、ホテルへ戻りました。
夜は家族が焼き肉を食べたいという事でしたので、日本の焼肉店に行きましたが私は既に腹はくちていたので一切れもご飯も肉もを食べず、ひたすら家族に肉を焼いて終わりでした。
明日からはどうなります事やら、、、。
実はびっくりするほどの急勾配です。坂道発進は女性がマニュアルでしたらつらいと思います。向こうに見えるのはアルカトラズ島です! 
私の世代にはお馴染みの英語の教科書に載っていた三角のビル。まだ確認してないんですが、市庁舎の周辺にある有名な「何か」です。(笑) 
これがそのシスコ版いろは坂ですね。
Fisherman's wharfの看板です。人多し!!
霧に咽ぶシスコそのもののようなGolden gate bridgeです。この直後いきなり霧が晴れ渡り、今度は美しい姿を現しました。
説明不要のケーブルカーですね!あり得ないほどの「もの凄い」急勾配を上り下りしていきます。今までにブレーキが壊れて事故った事なんて無いんでしょうかね???

チャイナタウンです!怪しげでしょ?
シティーバンクも中国語。Bank of Americaも柱からして中華の龍が巻き付いておりました。
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2012年6月29日金曜日

飛行機の中で、、、

朝までほとんど娘も息子も嫁さんも寝なかったらしい。
理由は興奮して寝付けなかったというまさに子供のような理由です。まあ、子供たちは子供だから良いんですが、嫁さんまでとは、、、。いつまで経ってもお祭り女の本性は隠しようもありません。orz
朝の4時に出たにも関わらず、Virgin Americaは7時の45分前で大型荷物の受け入れを終了したせいで、乗り込みを中止せざるを得ませんでした。代わりに10時20分の次の便を提示され、仕方なくそれに乗りました。
機内は噂通り、紫の照明で飾られていました。(笑)機内では論文のレビューで、中国人の酷い英文と馬鹿げた実験に気分が悪くなってしまいましたので、評価を70%で一旦止めて、少しだけ、ほんの少しだけ寝ました。
サンフランシスコに来たのは初めてでしたが、日射しが強いこと、意外と気温が低く、この時期でも風が吹けば肌寒いことに内心驚きました。ホテルカブキに到着した後、すぐに目と鼻の先にあるJapan Townに家族で直行、ダイソーの安さに驚き、日本関連のいろいろな食べ物、商品の豊富さに二度驚きました。シスコの人たちうらやまし過ぎ。
初めてバージンアメリカを使ってみました。
勉強用?の表示器? 
日本の踊りのレリーフですね。
S&Bの「しちみ」?唐辛子w
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2012年6月28日木曜日

もうふらふらの状態

幾つかの仕事の同時進行でかなりフラフラ。w
とりあえず、バケーション突入前の仕事の大半は終わらせたのだが、これから旅先に持ち込む仕事の量も半端ではない。機内ではレビューを書き終えないといけないし、旅先でもドライブの時間以外はキーパッドを叩き続けないと帰宅時にグラントを書き上げておくなんていうのは無理ですか、一体お父さんたる私はバケーションに行くのか修行に行くのかちょっと境界不明瞭なところがあります。やるしかないのでやるだけやります!としか言えない普段怠け者の私でした、、、。orz では行って参ります。
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2012年6月27日水曜日

娘が変身してもうた~

我が家は娘たちの行動にほぼ無介入。
基本的に、娘の連れてくる友人達がどういう人物なのかというのはまあ、見たり話したりすればほぼあらましはわかりますし、特に上の娘などは問題のある人間とは距離を取り周りから眺めるタイプの人間だと思っているので、その辺は信頼という一言で済ませているといってしまえばそれまでですが、、、。
ただ、学校からネット経由で通知される成績表の事だけはたまにチクリと警告を発したりすることはあります。どっちかというと「特定の項目で成績が落ちたときとかの質問」なんですけどね。(笑)こういうときはまず新担任自身の自分が教えようとする授業の理解度が足りないとかいうような、自分本位の理由を挙げて事細かにどうあるべきかというのを私のほうに説明してくるので辟易するんですけどね。(そんなに文句言うなら自分で授業せえや、とでも言ってやりたいのですが!w)
友人の家にお泊りに行ったり(無論、親しい数人の女の子達です)、皆で映画を見に行ったりしているようですが、何故か今の段階では同じ年齢の男の子達はみな子供っぽく見えるらしく、彼氏を作ることには「未だ」興味無いようです。
ところで今日のタイトルは上の娘の話ではなくて下の娘の話。風呂場に長くいることは知っていたのですが、あれ?と思ったら髪をまっかっかに染めて一階へ降りてきました。夏休み限定スペシャルということで、明後日からのカリフォルニア旅行に(本人なりに)気合入れて備えているみたいです。「日本やったらそういう夏休みの洋服とか髪の変化って不良になる第一段階で、要注意とか言われるんやぞ~」と、嫁さんと笑いながら本人に言いました。本人はただニコニコ。実際不思議なことなんですが、ここら界隈では少なくとも化粧をしたり派手な服を着たりすることが不良になることとは直接結びつかないんですよね。ミニスカートはいてるからフシダラだとか、髪が茶色いから親に反抗的だとかいうのは全然関係なくて、悪い奴はいきなり静かに悪いです!!(笑)こういった差は日米でなんで起きちゃうんでしょうか?普段抑え込まれていると、その反動の第一歩が「形態変化」として出やすいんですかね。
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2012年6月25日月曜日

明日はミニレクチャ

明日、肺癌研究のグループで作る輪講でミニレクチャをする番です。 昼から一時間ほど、データ検討を兼ねたお話し合いなので他の研究者からのフィードバックが最も大切な収穫となるはずです。とりあえずはこの研究テーマを一年間取り扱わせようと考えている韓国系アメリカ人の学生を引っ張っていって講義を兼ねてのデータセッションということになるでしょう。 更に翌日は次のNHグラントに向けての他のドクターとの打ち合わせもあるので、夏のカリフォルニア旅行を前にちょっといろいろたてこんでいます。明日のミニレクチャが終わったら、明後日の討論の準備の仕上げ、それが終わったら今度はある雑誌からの論文レビューを二報済ませないといけません、、、。そしてそれが終わったら更に今書いている自分のレビューを書き上げて共著者に送り返さねば、、、。これでホントにバケーション?まあ、家族にとってはそうですね。(笑)
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生活保護制度、消費税増税

生活保護制度の審査基準の厳格化は絶対に必要だと思いますが、その上で敢えて言えば、今回の一連の芸人関連の生保醜聞の最大の被害者は「保護が本当に必要な人達」ではないでしょうか。
得てしてこういう人達こそが、申請をせずにぎりぎりの耐乏生活をしていたり、恥を知る気持ちのために心も体も壊れるまで我慢したりと言うようなことがないようなものでなければと切に思います。
卑近な例で申し訳ないのですが、私がNIHで働いていた頃、懇意にしていただいていたドクターは帰国後にMS(多発性硬化症)だけで無く、もう一つ非常に稀な自己免疫疾患を患われ、失明かつ食事も経腸栄養も不可の状態(日常的に経血管栄養のみ)になってしまわれたのです。彼の家族は突然収入の道を絶たれたのみならず、家族の大黒柱で有るべき人物が要介護者となりました。奥様も三人の小さな子供さんを抱えて毎日、仕出し屋でバイトをされておりましたが、頑張り続けたものの、遂には物理的、経済的に心身の負担に耐え切れず(ご本人曰く「恥を忍んで」)生活保護申請の相談に行ったところ、窓口からは「あんたんところは世帯主が医者だろ」と言われ、身体障害者一級の手帳を見せた後でさえも露骨に嫌な顔をされたそうです。
医療従事者なんて所詮は体ひとつ、技術と知識が全ての裸一貫に近い仕事。こんな話も明日は我が身。人間働ける時にバリバリ働いてどんどん稼いでガンガン納税し社会で名誉ある責任を果たすというのを高所得者が誇れる社会であって何ら問題はないと思うのです。そして心身に万が一でも問題が出た時には誰もが安心して保証を受けて暮らせる社会。当然の報酬ですよね?働かざるもの食うべからず。働けないものは助けを受け、元の社会に戻れるようにするシステム、そしてそれが不可能であれば公的扶助が面倒を見る。私の考え方おかしいでしょうか? 日本が壊れるこの時に何故社会が大きく動かないのか、本当に不思議です。
もともと日本人はそういう運動を起こす訓練を受けていなんですよね、基本的に。日本は政治に関与する人間は右と左ばかりで中道の人達がほとんど意見発表をする訓練を学校でされていないと思うのです。私自身も、どうやって自分の意見を「具体的に」手続きとして表明するのか、公民で習いはしましたが、その「具体的に」というのはあくまで机上の話で、実務上はどうすれば良いのかまではまず教えてません。 最初びっくりしたのですが、アメリカの学校では小学校の段階から実際の二大政党に対する挙手や投票による政策評価とその評価に対する討論等が当たり前のごとく自分の子供達の小学校のプログラムに組み込まれていました。その授業の中で理屈・屁理屈を武器にガンガン激しい討論をします。いわんやそれが中高生になれば大人と同じレベルで政治の議論に参加し自分の支持する個人や政党に考察を加えるなどというのは「普通」です。ここの公教育の大切な目標に「政治に騙されない、自分で考えることのできる人間を作る」というのがありますが、まさにそれを地で行っているのです。アメリカでの国民の政治に対するスタンスは右に左に極端に動きますが、少なくともどう転ぼうと、自分の意思表示の結果が反映されるものである分まだマシかなと、、、。実際に、みんな投票やデモでの動きは地方自治体レベルでも「本当に」日常的です。
ちょっと、話が脱線してしまいましたが、元に戻って生保と納税の解決方法の一端として最も有力なSSN(Social Security Number)ですが、(SSN=アメリカでは長年にわたって使用されている「実質的」国民背番号制度。この番号がクレジットカードの発行から車の購入、家のレンタルの申請、電話での個人識別などに重要な役割を果たします。特にこの番号の下四桁はアメリカに住む間は誰でもスラスラと言えなければ、少なくともまともな成人であれば生活に支障を来します。)納税と生保の問題も社会保障番号を発行すれば親族一同の納税状況などを通じて一発で判るのになんで日本はそれをしないんでしょうかね?コンピュータを使った効率的インボイス制度の導入を拒み続け(多くのサラリーマンにとってはインボイス制度で国家が徴税しそこねている巨額の税金のことはそもそも知らない人が殆どだと思いますが)合法的に納税を拒否する小売業者。もともと納税の概念がない多くの小口農家。戦後のどさくさに紛れて、まず納税自体をしない巨大宗教法人の放置とそれに阿(おもね)る政治勢力。
個人情報だか何だか知りませんが、本来、素晴らしい「抗」脱税、高効率の社会保障制度管理手段の礎石であるべきソーシャルセキュリティー番号が国民全体に一律に発行されないのは何故でしょう??厳格かつ公平な徴税と国民生活の安心の基礎であるべき社会保障制度がこんなことでは日本の先行きは更に暗し。公平な徴税制度が再検討されずに一律の安易な増税を行う等というのは究極の本末転倒ではないかと考えます。 人気ブログランキングへ

2012年6月23日土曜日

お呼ばれ致しました

本日は、ある日本人のご家族の家庭にお呼ばれして大変美味しい夕食を御馳走になりました。
おいしいサラダとマカロニ、ピーチパイなどを頂き、娘達も息子も大満足。勿論、私も嫁さんもお腹がばくんと膨れましたが、食べ甲斐のある夕食でした!
さて、実は今回の訪問の目的はコンピュータの異常な遅さの原因になっているものは何かを探索することもその一つでした。実際に到着後にすぐに調査を始めたのですが、バイラス、トロイの木馬、マルウェアが合計7つ検出されました。また、実は2007年からアップデートがかけられておらず、サービス・パック2の状態のままで使用されていました。その上、Celeronの420のバージョンで1.6GHzのVostro200ですから、もういっぱいいっぱい。おまけにメモリーも0.99GでHDも100G有りませんし、そのうち79%が使用済みで、且つ断片化が激しい状態でした。
今の時代にこのようなマシンをアップデートすることはかえってお金がかかりますので基本的には買い替えですということをお伝えしました。(やはりこの状態ではメモリとHDを追加してみても、状態の改善という意味ではかなり難しいかなと、、、。個人的には大変そのあたり興味深いのですが、人のお金で自分の思考実験の結果を確かめるの訳にはいきませんので!)
メールとブラウジングくらいがメインとのことですので、i5の標準マシンを揃えればもう完全にサポート切れまで使えるだろうと思います。私が組み立てても良いのですが、ここは継続サポートを期待してDellかHPのマシン購入のほうが良いかもしれません。あと、ネットが未だカッパーでしたので、これはFiberへの切り替えで劇的に体感接続速度が変わると思います。
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