2012年4月30日月曜日

科学とカルト宗教

我々の仕事は見えないものをあらゆる方法を使って可視化する事だと思います。
科学というのはざっくり理論、実験と別れます。我々は数学のように紙の上で24時間を思索に費やし続ける贅沢さは持ちあわせていませんが、実験でデータを出してそれを誰もがノーと言えない形で世の中に提示することも一つの特権です。
では、見えないものを論じる間はどう仕事を進めているのかということですが、そこは仮説の積み重ね、そして間接証拠の集合体からなるデータでその先を推測する事です。実際には推測したことのほとんどは間違いもしくは、後からかなりの修正を要するようなものがほとんどです。
ですから、人のデータを見た時もまずはタイトルに騙されないことは大事ですし、そもそもデータを注意深く見るまで、そのアブトラクトに書かれていることも「実験したグループの希望的観測」位にしか受け取りません。学生たちにサイエンスの論文を読ませて面白いのは、実に容易に書いてあることを信じようとすることです。見ていて怖いくらいです。(笑)
わざと、明らかに間違ったデータとその推論に間違いがあるものをわざわざ提示してあげてもなお、その修正が理解できない生徒が「本当に」沢山います。
一体どうしたらこんなに簡単に書いてあることを信じることができるのかと、、、。これは「お勉強」が出来るとかできないとか言うような事とはあまり関係ないみたいですが(むしろ記憶優位で進学してきた人間にはこの手のことを信じやすい人間が多いのかも、、、。教科書を丸呑みする能力に長けた人間がこういう点でどうしようもない頑迷さを持っているのは御愛嬌、それとも宿痾でしょうか?)、彼らに講義をするときはこういった「洗脳状態」を解除する脱洗脳作業から入ります。
これを書き始めるとまた長くなるのでまたいつか機会があれば書きたいと思いますが、これ、結構、多分、カルトからの脱出に近いくらい治療が難しい人がいますね。まあ、個人的推測ですが。(笑)
ましてや生まれた頃から繰り返し繰り返し神の存在をアタリマエのこととして何万回も吹きこまれた人達がそれからなかなか脱出できないのは、人が呼吸に酸素を必要とするようなレベルで神を必要としているのかもしれません。
まあ、ラボではよっぽど気心の知れた人間以外とは宗教の話などしませんが。

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