2012年2月24日金曜日

悲観論ではきりがない

何をするにつけてもネガティブなことだけ言っていては何も前には進まない、とは思っていてもそういう思考回路が発想のもとになっている人間にはなかなかそういう癖が抜けないのでしょう。
自分の周りにはそんな人はほとんど居ないんですけど、もしそういう人が自分の周りで日常的にそんな発言を繰り返したら多分それを避けるために遠ざけるんじゃないかなと思うことがあります。特に我々の業界は10転び7起きの世界なので「上手くいかない」ということに対して腐ったりぶー垂れているだけではどうしようもないんですね。
予想と違う「あうっ」と思うようなことが起きても何故?という理屈を再び考えて仮説検証の繰り返し。(予想と違うことは素晴らしいことです!)周辺領域の分子や事象で既に既知とされている報告事例と相反する事柄が起きている時は興奮しますが、だからこそ、それが本当なのか再検証、、、と、繰り返しの作業も待っていますので、ちょっとやそっとのことでへこたれているようではこの世界では一週間でうつ病になってしまいます。w
それを乗り越えるのも人によりいろいろとスタイルがありまして、皆が皆、修験道の行者のように艱難辛苦を乗り越えて~!というような感じではなくて、結構息抜きの仕方はそれぞれが心得ています。週末は思い切りオフという人もいれば、論文の読み書きでストレスが抜けるという人も居ます。思いっきりやれるところまで突っ込んでいって、ドカンと結果を出すまでドロドロになるタイプの人も見たことがあります。なかなか業界外の人からは窺い知れない方法が有るんですが、それを各人がわざわざ告白したりするわけでもないので、よっぽど親しい人でもない限り、外から見て方法が「それ」と判ることは私の経験上はあんまり無いです。(無論週末の楽しいお酒や日々の晩酌という人もたくさん居ます。)
悲観論を並べても実験は進まないし、他人の報告を検証してみて、自分達のシステムではそんな結果にならないなんて言うのは「極日常的なこと」なので検証から見つかる判例探しも大事なんですね。人の出してきた結果を横目で何時も確かめつつも、そこかしこに穴や矛盾を見つけてはほじくり返すことも新しい知見に繋がりますから面白いものです。
その見つける穴の大きさはその人の持つ「書き尽くせない」いろいろな要素が決めるんですが、私が見つけるのは、、、いつも蟻の一穴程度ですね。
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