2011年12月23日金曜日

何を今更、、、恥知らずも程々に

本来はブタ箱にぶち込まれるべき人間たちがいけしゃーしゃーとよくもそんなこと言うよなというのが正直な所感。
TBSニュースでは以下のように報道
震災と原発事故への対応について検証を続けている文部科学省は、放射性物質の広がり方を予測する「SPEEDI」のデータが当初、公表されなかったことについて、「公表するべきだった」とする見解を改めて示しました。災害時の省内の対応について検証してきた文科省は、23日までに第一次報告書をとりまとめました。その中で、放射性物質の広がり方をコンピューターで予測するシステム「SPEEDI」のデータが事故発生当初、公表されなかったことについて、「避難の参考として本来、活用すべきだったが、活用されなかった」と振り返りました。そのうえで、今後の教訓として、「SPEEDIを事故発生直後から公表することが必要だ」とする見解を改めて示しました。しかし、報告書では、当時、SPEEDIをめぐり、どのような判断がなされ、なぜ、公表に至らなかったかといった詳しい経緯には触れられておらず、今後、さらに詳細な検証が求められます。
とか書いてますけどね。
このSPEEDIという名前からして、本当に穴があったら入りたいような皮肉な名前ですけど、日本政府中枢がともかく日本人というものを如何に信じず、「拠らしむべし、知らしむべからず」という科挙の時代のようなことをこの国難において行なったという事。ちなみに科挙で生まれた俊英と言われた宦官達は国と時代を超えて日本に大量に息づいてますけどね。(笑えないです。)
同志社の山口先生の寄稿「メルトダウンを防げなかった本当の理由」を読むと本当に誰も責任を取らないし、取れる器を持つ人間も居ない。本当に糞詰まりの組織の中で起こるべくして起こった事故でした。
前例踏襲、前例踏襲、前例踏襲、右のものを左に流して私の順番で爆発しなければそれで良し!というどっかのゲームのようなことしか出来ない日本の受験秀才と馬鹿議員達。自分達がワリを食うことを避けるという回避能力と危機探知能力には長ける官庁のスマートな皆様。(笑)
激動の時代を生き延びてきた日本の戦後も、人材の枯渇という形で立ち枯れを起こしてきているんでしょうかね。科学の世界ではまだまだ人材の排出は続いていると信じている私なんですけども、それもはやぶさは潰されてスパイ衛星のほうがもっと大事となる始末。サイエンスの今年の十大ニュースの栄誉に浴したはやぶさも、バカ官僚と馬鹿代議士様達にかかれば藻屑と一緒のようでして、、、。
最後に山口先生の文章の中の最後のほうを消える前に全文ここで記載しておこうと思います。
イノベーション不要という病
再び問いたい。なぜ東電は、このような事故を引き起こしたのだろうか。直接的には「廃炉による巨大な経済的損失を惜しんだ」ということになるのかもしれない。けれども問題の本質は、重大な局面で、そのような発想に陥ってしまったということであろう。
 その根源は、東電が「イノベーションの要らない会社」だからではないかと思う。熾烈な世界競争の中にあるハイテク企業の場合は、ブレークスルーを成し遂げないかぎり生き抜いていけない。一方、東電は独占企業であって、イノベーションの必要性はほとんどない。
 こうした状況下で人の評価がされるとすれば、その手法は「減点法」にならざるを得ないだろう。「減点法」の世界では、リスク・マネジメントは「想定外のことが起きたときに如何に被害を最小限にとどめるか」という構想力ではなく「リスクに近寄らない能力」ということになってしまいがちだ。その雰囲気が、人から創造力や想像力を奪う。
 人が創造力や想像力を存分に発揮できる組織にするためには、事実上の独占環境をなくして競争環境を導入し、人々が切磋琢磨できるようにすることしかないだろう。東電の場合、発電会社・送電会社・配電会社、そして損害賠償会社に4分割する。そして損害賠償会社は、この原発事故の原因が「技術経営の誤謬」にあったのだということを深く自覚し、みずからの「技術経営」の失敗を国民につけ回しすることなく最後まで、自分で自分の尻を拭く覚悟を持つ。
 その上で、「制御可能」と「制御不能」の境界を経営する最高責任者としてのCSO(Chief Science Officer)を新設する。CSOは、通常存在しているCTO(Chief Technology Officer)のように日々の技術とその改善に責任を負うのではなく、「知」全体の「グランド・デザイン」とそのイノベーションに責任を持つ。
 それが達成されないのであれば、独占企業に原発の経営は無理だ。
 実際、東電の経営者は「海水注入」を拒んだあげく、少なくとも2つの原子炉を「制御不能」にもちこんでしまい、ようやく自分たちが「物理限界」の外にいることを悟って、原発を放置のうえ撤退することを要請した。みずからが当事者ではないという意識で経営していたからだろう。
 さらには、現状の原子力経営システムをそのままにしておくことは罪深い。これは日比野氏の指摘によるものだが、そもそも事故後に保安院が東電などにつくらせた安全対策マニュアルによれば、今でも「隔離時冷却系が止まってからベント開放をし、海水注入をする」というシナリオになっている。これこそ事故に帰結した福島第一原発の措置と、まったく同じ手順であり、何の対策にもなっていない。この期に及んでも廃炉回避を優先しているのである。これでは、ふたたびまったく同じ暴走事故がどこかの原発で起きる。この国の原子力経営システムの闇は深い。
 この原発事故が日本の喉元につきつけたもの。それは、「ブレークスルーしない限り、もはや日本の産業システムは世界に通用しない」という警告ではなかっただろうか。電力産業に限ったことではない。農業にしてもバイオ産業にしても、分野ごとに閉鎖的な村をつくって情報を統制し、規制を固定化して上下関係のネットワークを築きあげる。その上下関係のネットワークが人々を窒息させる。イノベーションを求め、村を越境して分野を越えた水平関係のネットワークをつくろうとする者は、もう村に戻れない。それが日本の病だ。
 しかし、世界はもう、「大企業とその系列」に取って代わって「イノベーターたちによる水平関係のネットワーク統合体」が、産業と雇用の担い手になってしまった。だから、私たちが今なさねばならないことは、村を越えた「回遊」を人々に促すことである。そして分野横断的な課題が立ち現われた時に、その課題の本質を根本から理解し、その課題を解決する「グランド・デザイン構想力」を鍛錬する。そのためには、科学・技術と社会とを共鳴させ、「知の越境」を縦横無尽にしながら課題を解決する新しい学問の構築が必要となる。日本は、この事故をきっかけにして図らずもブレークスルーの機会を与えられた。

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