2011年7月11日月曜日

文系と理系(日本の場合)

浪花の理事長・校長先生が何時も書かれているブログを読んでいて面白い記事があった。基本的にこの理事長先生の話は自らが、住友金属時代に厳しく上司と現場に鍛えられ、その時に学んだ感性と常識をそのまま「学校」という、常識の通じない人が沢山居る世界に持ち込むことによって起こる様々な話の「極一端を」日常的にブログで垣間見せてくれる私の大好きなブログの一つだ。ブルドーザーのように物事を進める実力と先読みの能力がしっかり備わっているので、まあ、普通の学校の先生なんかは触った瞬間に弾き飛ばされるだろうなという鉄のような意思を持った人物だ。(何でも「普通のぬるい人からみると」極端なところが密かに気に入っている。)
さて、その先生が書いていたのが、新聞に取り上げられた話題の「日本における文系と理系の就職の難易度」の話。こういう話を見聞しても、私自身が自分で理解できる理系文系の話というのは、結局のところ自分が高校生だった頃という限定された話になってしまうが、それは致し方ないところ。お許し願いたい。実際我々の前後も含めて、共通一次、共通テストなどと試験自体の名称や傾斜配点、それと二次試験との組み合わせなども含めて毎年のように大きく制度が変わっていることが発表はされていたので、私が高校生だった頃の30年弱昔の「日本昔ばなし」レベルのような話しかここではできません。(笑)
この日のブログの趣旨は要約すると、「理系という日本の形を作ってきた人間達に、その実力に相応しい地位と待遇を与え、更にそれを目指す質の高い若人を養成することを真摯に目指すべき」という提言と言って良いだろうか。
我々の先輩の時代も、少なくとも我々の時代も、田舎の進学校というのは実にシンプルで、東大か京大の法学部を目指す特殊な人達を除けば、所謂「学校の成績が良い人達」というのはそのまま、理学、工学、医学などを目指す理系の人間達と相場は決まっていました。高校でも、先ずはよっぽどの事がない限り「理系のクラスに居ること=成績が上位」という意味でした。学年が上がるに連れて、科目の増加についていけなくなった人間から文系へクラス替えをし、「私立文系選択」という名前で現代国語、英語、そして大学のレベルや種類に応じて数I、そして上のレベルでも数IIBまでの選択でそれに歴史や地理なんかの社会科選択がつくという感じでした。おまけに理系の人間は通常五教科七科目というのが普通でしたから、傍から見ていて「うーん、楽そう!」と素直に思ったものです。
しかし、正直なところこうも考えました。生物とか科学や物理を学ばないまま一生を終えるとかなんかもったいないよね、と。勉強がただ大学に通るためだけの通過儀礼若しくは単なる「道具」ならそういう人達にはそれから先の進歩というのは望むべくもないし、実際に面白くも何とも無いでしょうね。実際に我々医学生物学の世界に働く人間達は普通に高校時代に習った数学、化学、物理なんかの基本的な常識が必須のものです。時々こちらのラボでも、このような背景がない人が「体験」のために来ることがありますが、、、結果はご想像道理のものです。(要するに同じレベル、同じ用語を余り説明しなくても理解し合えるというSame languageが喋れない状態。)
しかし、実際にこのような勉強をしてきた「文系」の人達が今の日本では平均して給与ヒエラルキーの上位に位置すると言うんだから大笑いです。自分達の飯の種を創りだしてくれる理系の人間の創造物を売ったり、その特許を守る人間達の給与のほうが上というのは普通の人が普通の思考回路で考えて「?」と思いませんか?まあ、こんなくだらない給与のランキングなんて考えてたら創造的活動なんて普通出来ませんから、文系の暇人たちに勝手にやらせた結果なんでしょうかね。(笑)
ただし、ここで一言大事なことを!ごく一部の文系の人には非常によく切れる論理構成力が備わっているのを過去に何度か見てきました。この手の人達は是非、会社や役所の最前線で渉外役として「タフ・ネゴシエーター」の名前を国内外で日本のために使って欲しいと思います。(実はこのごく一部の人達、数学も良く出来ることが多かったですね。)
文系の人、この文章読んでお気を悪くなされましたらゴメンナサイ。理系の人間でも、馬鹿な市民運動なんかにうつつを抜かしていると今、日本で総スカンを食ってる、行政のトップに居座っている馬鹿野郎のようになりますので、人間一生涯勉強!というのを今日の結論ということでご容赦願います。w
数日以内にアメリカ版のお話で続きを書ければよろしいのですが、、、。

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