2011年6月23日木曜日

縁故主義の行き着く先は、、、

英語ではNepotismというのですが、日本語では縁故主義とでも訳される言葉でしょう。縁故の定義が血縁によるものがもっとも原始的なものなのでしょうが、色々な意味で知り合い、仲間、同級生というようなものを考慮にいれれば多くの採用は縁故を含むものである可能性が高まりますよね。
人を採用するのに縁故を使い続けるとどうなるかちょっと想像してみればその結末がどうなっていくのかはアンマリ難しくないと思います。(縁故採用でも、能力の高い人の「ヒトと能力」をよく知っているのであれば未だ救われる道もあるのかとは思いますが、、、。)縁故採用でなければ、通常は競争による選抜が行われるわけで、その企業や研究機関というシステムにとって必要な能力が上から輪切りで「例え完全とは行かないにしても」順番に抜き取られて採用されることになります。
勿論、人の選抜システムはこのような競争制度のもとであっても完全にその人の能力を見切ることは無理ですから、たまには能力に疑問符のつく人材がピックアップされる可能性も毎回あるわけです。しかし、それも選抜制度を変更、改変していく努力を「適正に」続ける限りはより、そのシステムが求める人材が選び出されてくるわけで、一般的にいって公平な選抜による人材が適材として選ばれる可能性が高まるわけです。
しかし、縁故採用を繰り返した組織がどうなっていくのか、、、。先ずは・能力が必要水準に達しない人間が組織に紛れ込んでいくこと。・そしてその人間が縁故者からの庇護を受けつづける限り、実績の伴わないプロモーションが起きること。・そのようなプロモーションがそれ以上の能力を持つ人間の昇進を超えて起きた時に組織に大きな軋轢が発生すること。・そのプロモーションを受けた無能な人間がその部下に当たる、より有能な人間に指示を出さざるをえない状況の継続が、(たとえその指示が最悪な物でなかったという幸運に恵まれていても)システムのモチベーションと質を下げること。なんて言う順序をちょこっと頭の中でシミュレーションしてみたんですけど、私自身、会社勤めというものをしたことがない人間なので、そんな事が眼の前で起こったというような経験がないんですね。
しかし、まあ、明らかに世界中でこんな事は日常的に起きていることであろうし、日本でも例外では絶対にないでしょう。何れにせよ、そのような組織は早晩、根腐れを起こした大木のようにある日突然轟音を立てて崩れるのでしょうが。しかし、その前に多くの兆候がその組織から出てきているはずなんですが、、、。敢えて無視しているのか、自分がいる間はそれでも構わないと考えているのか、、、。巷に聞く、放送業界、出版業界、新聞その他諸々の衰退にはこういうモノが無縁ではないと思えるのは間違いかな。
こういうことを今日書いたのはあるウェブの記事を読んだからでした。

0 件のコメント: