2010年5月31日月曜日

のんびりした一日

今日はラボに一回行って細胞の餌やりと次の実験の仕込みをしたのみで切り上げ、後は嫁さんと息子とともに近くのモールへ行ってOld Navyでバーゲン品の買い物をした。
バシバシ買い込んでいったのだが最終的に税込み101ドルだった。同じものを日本で買ったら、、、どうなんだろうか。
それにしても夜中のサンダーストームはすごかったですな。

メモ:この夏は日本へ三週間ほど帰りいろいろと用事を済ませることにした。

追加:今日こんな面白いものを発見!


<選挙直後>
↓に向かって読んでください


民主党:待ちに待った日がやってまいりました!
有権者:在日に選挙権をあげたりする?
民主党:そんなことはありません!
有権者:財源はちゃんと確保されてるんだよね?
民主党:当然です!
有権者:投票した人たちを裏切ったりする?
民主党:いいえ、決してそんなことはいたしません。
有権者:景気をよくして雇用も所得も増やすんでしょ?
民主党:もちろんです。どんどん増やしますよ!
有権者:赤字国債は発行するの?
民主党:永遠にありえません!
有権者:日本人が住みやすい国にしてね


<選挙45日後>
↑に向かって読んでください

2010年5月30日日曜日

残念

三台あるマックのノートが一台数ヶ月前から死んでいたのだが、今回またディスプレーの接続が悪くなりもう一台が修理を要しそうだ。まあ、モバイルPCの定めとでも言おうか、いろいろなものがよく壊れる。
マシンも野菜のように旬のものだし、昨日買ったものが明日にはもう旧型と呼ばれるものになってしまう。そんな中で修理にいくら使うかという質問は常に私を悩ませ続けます、、、。


どうしよう、iPadとの兼ね合いもあるしな、、、。

2010年5月29日土曜日

アメリカの学校って

今日の今日まで知らなかったのだが、子供達は当たり前のように知っていた事。
それは小学校のクラス分けが成績順だったということ。
日本の頃の常識で小学校におけるクラス分けのことを考えていたので、アメリカでもそんなもんかと思っていたらなんと「キッチリ」成績順のクラス分けだったのだ。それを聞いてアングリ。アメリカの学校って中学や高校は当然のように成績順だというのは知っていたのがまさか小学校もそうだったのか、、、三人目の子が今度中学生になるという今まで知らなかったのでした。(どれほど子供の教育に口を挟まないかこれで少しは解るかも)
日本の学校では成績順というのは中学以上では進学を意識した学校ではそうなのかもしれないけれど、まさかこちらの普通の小学校がそういうことをしていたとは正直驚きでした。親は知らなくても子どもたち同士では当然のようにそれを知っていたようで、、、。

どうでもいいけどこのBPの原油流出食い止め作業のライブ画像は凄い。

2010年5月28日金曜日

ACS grant ゲット!

グラント当たりました~!
まあ、ガソリン代にはなるのでホクホク顔です。あとはきっちりプロポーザルを実行するのみ。
今回のことでHPVの事をようやく調べることが出来るようになった。
嬉しい限り。Erythropoietinの事とこの二本でしばらくは論文書きとグラント申請が続くだろう。
なかなかエキサイティングな夏が始まりそうです!!
R21,R03,R01,intramural, etc,. :)) グラントを書いて書いて書きまくるつもりです。

2010年5月27日木曜日

何だかキナ臭い

何だか朝鮮半島が騒々しい感じですね。
あの独裁者と隣合わせに住まないといけない韓国が何だか気の毒です。
いつも包丁振り回す頭のおかしい狼少年にはまともに付き合ってられるかと言うのが個人的な思いですが、国家のレベルであれば否が応でもそれに反応しなければならないという残念な側面は有ります。実際の戦争にはならないと思いたいのですが、一触即発と言うのは文字通りいつでも不可抗力のために拡大する要素を含んでいるわけで、本当に予断は許さない状況ですね。もしかしたら何らかの小競り合いは避けられないのかも知れません。

がしかし、、、。

この北の人達、戦争を遂行する能力自体が有るのでしょうか?
私にはガソリンの入ってないトラバントに拳銃と刃物をコメの糊で張り付けて、おらおらと嫌がる隣人を脅している狂人にしか見えないのですが、、、。

2010年5月26日水曜日

Faculty Meeting / Day 2

今日も朝からミーティングで、テーマはスタッフの給料と実績評価に関する共通基準の作成にどのような項目を追加検討すべきかと言うものだった。正直言って全く興味なし。まあ、院内で患者さん方と向かい合うドクターはこの国では利潤追求の方法論の一環として評価されることになるので、大方の場合利益を生み出さない我々とはどうしても評価のコンテンツが異なってくるのだ。
その点は致し方ないものが有る。我々の場合は何が評価基準であるべきか自ずと明白なので、その点は個別に毎年上司や学長と当然のごとく話し合いが文書及び口頭で行わている。したがって、このような場所での臨床系のドクターに合わせたこの手の話は精神的疲労の源以外の何ものにもなり得ないのだ、、、。
兎にも角にも昼には話し合いが終わったので、ホテルの昼食も摂らずラボに直行。一日が短い。

2010年5月25日火曜日

Faculty Meeting

今日はFaculty Meetingがホテルで執り行われた。
例年はVirginia Beachで二泊三日で行われるものなのだが、近年の財政厳しき折、そのようなことももう行われない。少なくともこれから数年は行われないだろう。
しかし個人的にはその方が嬉しい、泊まりがけでしょうもない話を聞きに行くよりも大学の近場でそのような事をしてもらった方が毎日家にかえって美味しいご飯を食べられるので。なんと行っても一日中大学の経営の話などを聞かされるのは堪ったものではない。まあ、大切なんでしょうが、不景気の折あんまり文句行っても仕方ないですし、、、。本当に生徒や卒業を控えた人間も含めて大きく経営に関与しているのは良く分かるのですが、ほんともうカネカネで気持ちが萎えます。明日も半日のミーティング。唯一の救いはホテルのバッフェが美味しいことですか。:)

2010年5月24日月曜日

夜間走行

今日は娘の三回目の自動車教習。
やはり場所は変えず同じ駐車場内での実習とした。三回目になってくると少しは運転というものに慣れてきたようで、首相アクセルを踏む場面も増えかつ、フラフラする事も少なくなってきた。
要するにステアリングの動きとカーブの曲率の関係が実感としてわかってきたのだろうと思う。
最低45時間の路上実習のうち、15時間は夜間の訓練でなければならないので、何度かこのような訓練をしなければならないのだが、次回からは学校の裏を使って夜の訓練をさせようかなと考えているが、、、まあ、もう一回くらい同じ駐車場で夜間走行をさせてもいいかも。
最初の頃と違って、車を運転する怖さという事の怖さが解ってきたようで、免許取得に対する責任の重さというものが如何に重いものか納得しているようだ。

まあ、これからも訓練だけは重ねて最終的には路上に出しても恥ずかしく無いレベルにまでは持って行きたいものでだ。

2010年5月23日日曜日

鉄道小旅行

今日は我が家のシーズナルな行事であるDilwynの鉄道に乗ってきた。
家から約一時間、ルート60を只々西へずーーーっと走っていくだけで良い単純な道のりで目的地には着く。
最終目的地はグーグルマップで確認できるここである。御覧のように物凄い田舎なのだが、アメリカではまあ郊外にある普通の街の一つです。今回はマル鉄の息子と二人だけで行って楽しんできましたが、生憎のそぼつく雨の中での鉄道乗りも乙なものです。この鉄道、リッチモンドの鉄道愛好家達の組織であるOld Dominion Chapterによって保存されている車両によって運行されており、年に数回走ります。目的地の鉄道の組織はバッキンガム・ブランチ・レールロードという会社のものです。
これが通常の客車シート席になっているものです。
これがFREIT型の剥き出し型の車両です。暑い時は暑いし、寒いときは寒いのですが、子どもたちにはこちらの方が当然のように人気です。
これが最終目的地でJames riverにかかる橋の上で止まっている時のものです。今回は雨の影響で少々増水してましたね。
旅の終わりに全体車両をパチリ。又、これからも何度も来ることでしょう。動力車を含めて全部で6輌編成でしかない小さなものですが、醍醐味は確実に鉄道旅行そのもの。
私は今回は中でずっと読書をしつつ外を眺めては息子と語らっていました。

2010年5月22日土曜日

卒業式

今日は学部学生達の卒業式があった、が、私は行かなかった。
Cell cycleの実験が佳境に入っていたので申し訳ないがパス。
実験を通じて親しくしていた子は一人だけだったので、まあ後で個人的にお祝いを言えば良いということで。
それにしても四年前は受かって喜んでいた子がもうドクターですか、、、。

こっちも老ける訳だ。(笑)

2010年5月21日金曜日

今日のプレゼン

今日Cancer centerでp53関連のプレゼンがあったので聴きに行ったのだが、、、。
senescenceとautophagyは何だかまだまだサイエンスの確からしさという意味では怪しいですな、、、。
それが素直な感想でした。ビトロと実検体での結果に大きな差があるというのも何だか虚しさを感じるし、何よりビトロの実験結果自体も、抗癌剤と組み合わせた話としてはマダマダ何をリードアウトにしていいのか訳わからん感じがしました。でもあれでDODの予算貰ってるんだから「どういうサイエンスの評価?」と疑いたくもなります。(実はなるほどという裏話も知っているのですが、それは御本人の生存権に関わる話なので。(笑))

2010年5月20日木曜日

Sweet Sixteen :)

昨日はもう一つ家族で行事があったのだった。
長女の16歳の誕生日。
アメリカではSweet Sixteenといって、結構派手にお祝いをしてくれる家族もあるとのこと。
昨日のプレゼントを忘れないようにメモしておくことにする。(笑)

  • God is not Great
  • What I wish I knew when I was 20
  • コードギアスのストラップ
  • CD
  • Life Magazine 三冊 (すべてビートルズの有名な特集、60、70、80年代の有名なやつ一冊ずつ)
  • DVD アニメ5巻
  • DVD フレッド・アステアのミュージカル映画4本一枚組のモノ
  • なんかわからんアニメのネックレス(この時点でシンガポールからはまだ届いていない)
なんかこうやってみてみるとうちの娘は十分オタクって奴ですね。(笑)
親ばかで申し訳ないけど、可愛いもんです。変な男にだまされないで欲しいな。将来は。

2010年5月19日水曜日

検診

今日は三年前のオペ後二回目の年一回検診だった。
ラボを休み、午後から一時間ほどかけて心エコーが行われたが結果はなんの問題もなし。
もう来年はやめて、もし調子が悪くなればとか、二年後で結構とか言われたのでした。

健康は大事です。大病を患うと本当にそう思います。何を頑張るにも、健康であればこそ働くこともできるのですから。明日からまた頑張ろう!

2010年5月17日月曜日

美の基準って、、、Miss U.S.A.

娘達がテレビを見ていたので何気なく横で見ていたらミス・アメリカの最終選考をしていた。
家族全員がひとりひとりの候補に関して勝手な事を言い合っては自分の予想を言い立てるのだが、私も参加させてもらった。(笑)
皆さん各州のコンテストを通過してきただけあって、スタイルも顔もそれなりそれなりの基準を通過した、それなりの人達なのだが、、、如何せん個人的には全く魅力を感じるような人達では無かった。(良いとか悪いとかの問題ではなくて、単に私個人のレーダーに反応する何も無かったという意味で)
我らがミスバージニアも最後の7人に選ばれ、更には最後の三人にも選ばれたのだが、最終的にはミシガンの女性が勝利した。
ハッキリしないのだが、家族全員の印象で思ったのはミスバージニアって何か顔の表情が整形手術後のように硬いね、、、というものだった。まあ、どうでもいいんですけど。
しかしこの女の子W&M卒なので間違いなく賢い子ではあるんだろうなと内心思ったのは有りますが。
いつもこの手のアメリカでのミス何とかコンテストを見ていて思うんですが、日本でのコンテストでは明らかにそこ辺を歩いている女の子たちよりコンテストの最終審査に残った子たちと言うのは綺麗さが平均値より大分上だという気がするんですが、こっちのコンテストを見ている限りでは、近所に住んでる普通の女の子のほうが遙かに可愛いよな、、、というのばっかりです。
今回も例外では無かったと強く思いました。これは二人の娘達に聞いても同じ感想を言ってました。クラスのアルバムなんか見せてもらっても、日本に来たら直ぐにトップモデルでしょうというような子ばっかりで何だか不思議な感じです。
しかし不思議なもので、人種をまたいで伸びの判断基準と言うのは個人によってもまた物凄く違っていて、個人的には?と思えるような東洋人の顔の女の子を見て、こっちのかなりイケメンの男子生徒がこの子は素敵だ!とか言うこともあるのです。また、僕が「かわいいよ」って思った娘の同級生なんかが学校では可愛くない等と言われていると娘が言ったりしてくるので、まあこういう事は何にしろ割れ鍋に綴じ蓋というものなんでしょう。
人の美醜の感覚は時代や地域によっても全く変わってくるし、本当に不思議なものです。

2010年5月16日日曜日

Lebanese food festival

今日は嫁さんにせがまれてHenricoの方で毎年やっているLebanese food festivalへと行って来た。以前にも行った事があったのだが、そのときは家族全員で未だ子供達が小さい時だったので大変だった。今回は長女は友達達と遊んでいた為、我々とは行かず家に留まり残りの四人での行動となった。レバノンの料理は本当に嫁さんの大好きな料理で、シシカバブ、フムス、シャワルマ、ミートパイ等々を味わった。それにしても沢山の人出だった。
以下に写真で雰囲気を伝えます。行事自体が行われるのはいつもこの教会の敷地です。
このテントの外に別に張られたテントではレバノンの民族舞踏をやってました。

美味しそうでしょ?

2010年5月14日金曜日

新しいグラント申請へ

今日は午後のデータ発表会の後Cancer centerのH先生と次のR21グラント提出に向けての基礎データ提出案を互いに検討した。どうも現在得られている実験結果を考慮する限りでは今まで報告されてきた実験結果というのは明らかに間接的な表層の現象をとらえている感じで、一次的な転写翻訳の観察を報告しているものでは無さそうだという点で意見の一致を見た。
サイエンスをやっていく時に一番愉しいのはいろいろあると思うのだが、、、

1)仮説を組み立てていく瞬間
2)実験で仮説が確認された瞬間
3)仮説が裏切られて驚愕の事実が解った瞬間

等々がそういう候補だといえるとおもう。
実際は仮説が裏切られ、迷子になりそうな瞬間の方が多くその時点で次の方向性を打ち出す脳みそが汗をかく時間のほうが圧倒的に長いし、実験自体も10転び2起きぐらいの感じが多いのだが、やはり年に何回かは「おーーーーー」と思える結果が出たりするのだ。(この私のようなレベルのものでさえ。(笑))

やっぱりこの瞬間はやって良かったこの仕事と思える瞬間でもあります。
こんな日は家に帰ってビールを呑むとまた美味いのです。

斎藤隆夫

時代は変わっても、為政者というのは変わらないものだなと、明治の斎藤隆夫の演説を読んでいて強く思った。70年程前の演説にして、人物名の処だけ変えればやってることは全く一緒という、、、。
全文はここ。

所が独り近衛公のみは曾て貴族院議長の職に居られたことはあるが、其の他に於ては文官としても武官としても亦無論政党人としても国政に何等の貢献も経験も有せない人である。 然るに其の近衛公が昭和十二年六月林内閣総辞職の後を承けて新内閣を組織することになったから、是まで国事に関し何等の苦労も嘗めずして国家の政権に当るのは藤原氏が衽席の上に座して政権を握ったのと同様に見られても仕方がない。 然る所が公に大命が降ると世人は之を怪しまないのみならず、寧ろ之を歓迎した。 而も普通一遍の歓迎振りではなくして大歓迎をなした。 何が故であるか。 言うまでもなく是は時代の力である。 即ち公は我が国に於ける最高の名門出身であるが、名門を尊重するは古来我が国の因襲であるのみならず、前述の如く従来我が国の総理大臣は経歴上には申分がないが、最近には其の年齢は六、七十歳より八十歳近くの人もありて、国家の大任を担うに当りては何となく其の精力に足らざる所があるようにも思える。 又それ等の人々の中には随分頭も旧くして、黴でも生えて居るではないかと疑われ、議会に於ける答弁を聴いても是で総理大臣が勤まるならば総理大臣は実に楽なものであると思わるる人々もないではない。 然るに独り近衛公のみは年齢はまだ五十歳になるかならないかの壮年であり、学問もある。 頭脳も良し、聡明叡智であり、人格も上品にして温厚である。 其の上最も時代が要求する革新気分が横溢して居るように見えたから、公が出たならばどしどしと革新政策は断行せられて、政界も明朗化するに相違ないと思うて国民は公の出馬を歓迎し、近衛公に向って多大の期待を有して居たことは疑われない。 然る所が愈々新内閣が成立して見れば、国民は先ず第 一に失望の念に打たれた。 それは閣僚中の少くとも数人は世間何人の眼より見るも到底大臣の地位に就くべき資格ある人ではない 全く公の私的関係即ち情実因縁よりして其の器にあらざる者を挙げて国家の重職を与えたからである。 当時世間では近衛内閣は全く公の私的内閣であると言うたが、全部が私的ではないにしても一部は確かに私的であったに相違ない。 果せる哉其の後国務を進めて行く中、閣僚の無能と不適任に触れて、内閣存続中一年有半の間に屡々閣僚を更迭せしめた。 凡そ我が国歴代の内閣に於て近衛内閣ほど自由勝手に閣僚を更迭したる内閣はないが、而も是等の更迭が何の支障もなく容易に行わるる所に私的内閣の特性が見える。 茲に至りて又もや頼山陽の日本外史を引用せざるを得ない。 外史氏は藤原氏の専横を論じて次の如くに述べて居る。


自相門之専権也、后皆其女、天子皆其女所生、而卿相皆其子弟親属、
苟非其族類、鋤而去之、雖皇族 不能免焉、甚則易置其主、猶視奕基


即ち藤原氏が政権を専らにしてからは皇后は大概藤原氏の娘であり、天子も亦藤原氏出の女の産みたる御方が多かった。 而して公卿宰相の位は親子兄弟の間か血族の間でなけれは与えられず、苟くも其の親族にあらざる以上は縦し 其の位に居るとも全く土を鋤き返して草を刈る如く、直ちに之を排斥して顧みない。 皇族と雖も其の禍から免るることは出来ず、甚だしきに至りては恐れ多くも皇祚までも動かし奉り、勝手に天子を取り代え奉りて―之を視ること恰も碁石を取り代えるが如くに思うて居たと云うのであって、苟くも日本臣民にして此の論説を読む者は何人と雖も藤原氏の専横を怒らざるものはなかろう。 固より近衛内閣閣僚更迭は是とは比すべきものではないが、併し自由勝手に閣僚を取り代えることは全く碁石を置き代える如くにしか思って居なかったように見ゆる。 普通一般の属僚を更迭するならば兎も角、苟くも憲法上に於て天皇輔弼の重責を荷う国務大臣として総理大臣の奏請に依りて任命せられたる者を無能である、不適任であるとして碁石の如く置き代えるに至りては、総理大臣として又国務大臣として自己の不明、奏上に対する責任はどうなるものであるか。 之を公に質して見たいものである。次に全国民が近衛公に対して最も失望したことは、公に政治上の実力が欠けて居ることである。 言うまでもなく国民が公に多大の期待を懸けて居たのは革新政策の実行であって、国民が公を歓迎したのも是が為である。 又公が身を挺して責任の衝に当ったのも是が為であったに相違ない。 それであったから第一次近衛内閣が成立すると、公は各所に於て革新意見を発表して居られた。 尤も近年我が国内には革新気分が横溢して誰も彼も革新を口にせない者はなく、革新を唱えない者は政治家や経済家の仲間入りが出来ないように言われて居るが、偖て然らば一体如何なる方面に向って如何なる革新を行わんとするのであるかと問わば、殆ど空漠として捕捉することが出来ないものばかりであり、偶々其の内容を聴いて見れば、それは別に革新と名の付くものではなく、尋常一様の平凡事に過ぎないものであるから、近衛公の抱懐せられた革新意見も其の範疇を出でないもののように思われた。 即ち組閣早々新聞紙を通じて世上に発表せられた所を見ると、対外的には国際正義に基づく真の平和を確立し、対内的には社会主義に基づく施設をなすが為に全国民と手を握って革新を行いたいと云う位のものであって、是では何のことかさっばり分らない。 それより日を重ねて稍々具体的に現われたるものの中には議会制度の改革がある。 貴族院及び衆議院の改革もある。 内閣制度の根本的改革から学制制度や官吏制度の改革其の他種々の改革意見が発表せられたが、其の中に支那事変が突発した。 現地解決、事件不拡大の方針も立所に裏切られて事件は拡大に拡大を重ねて停止する所を知らない。 蒋介石を相手とせず、東亜の新秩序を建設する、其の他の近衛声明に付ては茲に言及せないが、此の事変が革新政策の遂行を不可能ならしむる性質のものであるかと言えば、断じて左様なものではないに拘らず、一体最初に標榜したる革新政策はどうなったのであるか。 一年有半の内閣存続中に於て革新政策の片鱗だにも行われない。 而して昭和十三年の十二月に至り第七十四議会を召集しながら此の議会に臨まんともせず、翌年一月早々総 辞職をして逃げ出してしまう。 議会が開けたならば革新政策はどうなったのかと質問が出るに相違ないからまさか之を避ける為でもなかろうが、何としても我が儘でないとは言えまい。 公は是にて責任解除と思わるるかも知れないが、馬鹿を見たのは国民である。 公の出馬を歓迎し、政治革新に多大の期待を懸けて居た国民は全く狐につままれた如くに唯々唖然たると同時に、名門の公爵と云う人々は斯様なものかと初めて気が付いたかも知らない

どうでしょう?全く今のバカ大臣に朗読させたいもんです。w

2010年5月13日木曜日

強烈 

【櫻井よしこ 鳩山首相に申す】首相は戦後教育の失敗例・産経新聞

鳩山由紀夫氏の存在は、戦後日本の家庭教育および国民教育の失敗の代表的事例として、歴史に刻まれるだろう。 普天間飛行場の移設問題に関連して、首相は「政権を掌握する中で、野党の時代には見えなかったものが見えてきた」と語った。 沖縄の米海兵隊が日本に対する脅威への抑止力として機能していることに気づかなかったが、「学べば学ぶほど」「海兵隊のみならず」「米軍の存在全体の中で」「すべて連携して」「その中で抑止力が維持できる」ことがわかったと吐露したのである。 野党時代にはわからなかったというが、野党になる前は与党自民党最強の派閥、政権中枢のポストを握り続けた田中派の一員だったではないか。「ワシントン・ポスト」紙で「ルーピー」という侮蔑(ぶべつ)的形容詞を首相に冠したアル・ケイマン氏流の表現を借りれば、「おい、ユキオ君、君は一体、何十年間政治家をしてきたんだい」ということになろう。 1986年の当選から今日まで24年間、実に四半世紀近く衆院議員として「国民の皆様」の「いのちを守りたい」として働いてきた結果が、抑止力について基本的な理解さえ身につけずに現在に至ったのだとすれば、失礼ながら、首相にお支払いした幾億円かの議員歳費は文字どおりの無駄金だった。こういう歳出こそ、まっ先に事業仕分けしてほしい。 それにしても「名門」鳩山家には首相を務めた祖父一郎氏も、外相を務めた父威一郎氏もいた。
一郎氏は米占領軍による公職追放を解除され、政界に復帰したとき、政敵吉田茂氏と激しく対立した。吉田氏の抜き打ち解散総選挙で、吉田氏が経済復興を掲げたのに対し、一郎氏が憲法改正と再軍備を主張したのは周知のとおりだ。 だが、首相の座を手に入れた一郎氏は、憲法改正にも再軍備にも関心を寄せず、日ソ国交回復に走った。国防の重要性に貢献する気迫も見せず、貢献もしなかった。一郎氏は安全保障にも国防にも真の関心はなく、その限りにおいて首相としての資質を欠くと言われても仕方がないだろう。 父の威一郎氏は1976年12月から77年11月まで、福田赳夫内閣の外相を務めた。冷戦最中に外相の重責を担ったわけだ。時あたかも、ソ連は米中接近を警戒しつつ、西欧を狙った中距離核ミサイルSS20を、東欧諸国に配備した時期だ。西ドイツでシュミット首相と会談した福田首相が、SS20の脅威について問われたとき、SS20について全く知らなかったのはあまりにも有名な逸話である。 当時、西欧と米国にとってSS20は最も深刻な脅威ととらえられていた。この種の重要な軍事情報を官邸に上げ、日独首脳会談で、西側陣営の一員としてどう対処する用意があるのか、自由と民主主義にどのように貢献するかを、常日頃から首相に具申するのが外務省の役割である。だが、首相が知らなかったということは、外相が助言していなかった、つまり、外相も全く知らなかったということであろう。 安全保障への無関心が祖父と父の特徴であったのか。いずれにしても政治家一家鳩山家での祖父、父、息子の会話で、国家論や外交論が語り合われ、祖父や父が残した教訓や戒めがあるのかと疑わざるを得ない。国と国民を守るために首相や外相として全責任を負って果たすべきこととは何か。身につけるべき素養、心構えは何か。そうしたものの根本をなす価値観の受け継ぎがなかったのだろうと推測する。
衆院議長だった曾祖父和夫氏から4代続く「名門」政治家一家の、なんという空疎であろうか。その空疎の前ではいかなる富の蓄積も無意味である。政治家が命をかけて築き守っていくべき国家のその根本は外交と安全保障である。そのひとつについて、うつろな目で無知の暗闇に漂う由紀夫氏の姿は、経済的豊かさに満足し、自立と名誉を忘れた鳩山家の、さらにいえば、戦後日本の、恥ずべき姿そのものだ。その意味で首相は戦後日本の国民教育の失敗の最も顕著な具体例なのである。> 自国の安全を、かくも長きにわたって他国に依存し続けること自体、日本はまともな国ではない。鳩山家も戦後日本社会も、米国依存を当然ととらえてきた。さらに悪いのは、米国に依存しているという意識さえ薄れさせ、米軍に基地を貸与してやっているのだから、あるいは「思いやり予算」を払っているのだから、米軍が日本を守るのは当然だというような認識さえ持つに至ったことだ。首相は『新憲法試案 尊厳ある日本を創る』(PHP研究所)の中で、憲法改正の必要性を指摘し、こう書いている。 「戦後の憲法論議を迷走させてきた空想的平和主義あるいは国家主義的ノスタルジアなど、左右両翼の感情論のいずれをも排し」「新たな憲法を創りたい」
だが、首相の一連の発言と行動こそ、空想的平和主義の産物に他ならない。
去る3月22日、首相は防衛大卒業式で、命を賭して職務を遂行することになる安全保障の中核者としての若者たちにこう語った。 「諸君に私が言いたいことは、自らが活躍することになるこの世界のことを正しく知れ、ということである」 その言葉をそっくり、首相に献上したい。4月8日、東シナ海で中国海軍が日本の海自艦船に異常接近したことを、なぜ、12日の日中首脳会談では、全く触れなかったのか。そのときの首相の物言わぬ姿勢が、5月3日に海上保安庁の測量船が日本国の排他的経済水域内であるにもかかわらず、中国の調査船に追尾された。初めて起きたこの異常事態をどう考えるのか。「東シナ海を友愛の海に」と首相が語っても、世界を正しく見詰めるならば、現実はほど遠いことを、「正しく知れ」と言わなければならない。
中国の異常な軍拡によって、西太平洋とインド洋はまさに、21世紀の世界の覇権争いの主舞台となる。シーレーンの安全確保が日本を含む諸国の生命線となる。
世界のタンカーが運ぶ1年間の物流70億トンの内の10億トンを日本が占めている。この10億トンゆえに国民生活が成り立っている。国民の「いのちを守りたい」と連呼した首相は、この物資がインド洋のシーレーンによって運ばれることを「正しく知」っているのか。インド洋を開かれた安全な海として守り通すことが日本と日本国民の「いのちを守る」ことに欠かせないと「正しく知」っているか。空想的平和主義の産物、無知の海での漂流は、もうお止(よ)しになるのがよい。

2010年5月12日水曜日

2ちゃんねる

面白いコピーがあったので、内閣が崩壊したあとの記念に貼りつけておこうと思う。


鳩山「このたび皆さんにより当飛行機の新機長に選出された。鳩山です。」
乗客「?誰もお前を選んでないぞ。前の機長に不信任を出しただけだぞ」
鳩山「民意です。」
乗客「お前を選んだ訳じゃねーっつーの」
鳩山「がんばれという叱咤、応援の声と受け取ります。」
乗客「目の焦点合ってないぞ。あたまイカレてんぢゃねーか。コイツ」
鳩山「機内でおくつろぎ中のお客様にお知らせがございます。
    私は飛行機というものが何だか良く分からない。」
乗客「おい。こいつ頭おかしいぞ?」
鳩山「私は愚かな機長かもしれない。ですが愚かでいいじゃないですか」
乗客「誰か機長を交代させろ」
鳩山「一生懸命やっていきますので交代はいたしません。
   せめて前々機長よりかは長く機長を務めたい。」
乗客「愚かな機長に命を預けられるか!機長の座にしがみつくな」
鳩山「そういうつもりで言ったのではない。愚かかもしれないという
    仮定の話をしただけで、愚かだと決定したわけではない」
乗客「おいおいホントに頭おかしいぞ。この機長。」
鳩山「ご安心下さい。機長が大馬鹿者であれば、そんな飛行機がもつわけない。」
乗客「他にまともなパイロットはいないのかー?」
鳩山「トラストミー。私を信じて下さい。」
乗客「どうするつもりなんだ?このまま飛ぶのか?引き返すのか?」
鳩山「腹案があります。」
乗客「どんな?」
鳩山「それは申し上げられない。飛行経路も含め、これからゼロベースで考えます。」
乗客「考えてる間に燃料無くなるぞ」
鳩山「燃料が無くなる前に必ず決着します。」
乗客「だから、どう決着させる気なんだよ!!」
鳩山「ここで申し上げる話ではありません。今日は大変いい天気です。」
自「左舷針路に氷山がある。右に舵を切ろう」
民「そんな事したら船が揺れて船酔いに弱い人がかわいそうだろ!」
自「腕を掴むな、邪魔だ!すぐに右に避けないと大変な事になるんだよ」
民「俺に任せろ!安全運航で避けてやるぜ!」
自「無理だろw」
民「無理じゃない。俺を信じろ」
乗客「そうだ、自民ひっこめ!」
*****舵取り交代************
民「よーし、左に面舵いっぱい!」
自「は?」
民「あれ、おかしいな…」
自「衝突コースじゃん。避けられるんじゃなかったの?」
民「いままで操舵してたのお前だろwwwお前の責任な」
自「そんな事どうでもいいから避けろって」
民「避けるの無理だって言ったのお前だろ!」
乗客「どうしてこうなった…」

2010年5月11日火曜日

寒い!

五月だというのに夜はセ氏で零度近くまで下がった昨晩だったが、どうやら今晩までそれが続きそうだ。やたらと寒くて朝は薄手の上着を羽織らざるを得なかった。高気圧でも流れ込んできたのだろうか。昼は少しは持ち直したが、やっぱりこの二日間は寒い日になりそうです。
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2010年5月10日月曜日

恐怖の体験

滅多な事では冷や汗をかくという機会はそうそう無いものだが、、、。
今日はその冷や汗をかいてしまった、というか、強引にかかされた。(笑)
アメリカでは15歳と半年を過ぎるとLearner's permitというのを取得してドライビングレッスンを始めることができる。今日はちょっと娘に車の動きというものはどうなっているのかを教えるために完全に他の人達から隔離された安全な私有地に車を移動して練習をさせたのだが、、、。
怖かったです。正直なところ。

まあ、クリーピングのみで前へ進めさせて車のハンドリングとどう関連するのか、バックはどういう姿勢で行うべきかなど説明と実践をさせて行いましたが、、、やはりDAY ZEROというのは想像した以上に緊張するようで、まだまだタマゴレベルの技能でした。それでも後々思い出せばお笑いになるんでしょうが。娘よ、安全運転がすべてです。人に迷惑をかけないスムースな運転を目指しましょう。

その後は少し散歩して家へ帰りました。(勿論、私の運転です。w)

2010年5月9日日曜日

Asian Festival in Richmond

今日は年に一度のAsian Festivalがリッチモンドで行われる日だった。
コンベンションセンターに人を集めてアジア各地の食べ物や風俗を楽しむ。まあ、百聞は一見にしかずということでその感じを写真で掴んでもらいましょう。
料理をちょっと並べてみました。これはインドとインドネシア韓国ブース

右の人はモンゴルの人でした。
ミャンマーだったかな?
これはご覧の通りバングラデシュ。顔が濃いですね、、、。
これはお土産物屋さんの一つ。インド人のお店でした。
これは出口のホールで練習してたグループ。中国のチームっぽい感じでした。

2010年5月7日金曜日

お祝いの食事会


今日は二人の生徒たちの論文終了を記念してラボがジョイントして昼御飯を食べに行った。
ビールも昼間から飲み、皆腹一杯食べ、話も弾む。
ルーマニア人、ギリシャ系、韓国系、ドイツ系、日本人、中国人、スコットランド人、ロシア人、イングリッシュ、アフガニスタン人、、、もう本当に世界中のありとあらゆる所から人が集まってくるこの国は世界中のエネルギーが自然に集まって、ありとあらゆる世代と文化が渾然一体となっている。
これこそがアメリカの苦難であり、実験であり、希望なんだよな。


この写真、レストランに行く途中でフト後ろを振り返ったらでっかいニシキヘビ?を首に巻いたレゲーのお兄さんが、陽気に誘われ散歩していたのをちょっと声をかけて写真を撮らせてもらったものです。日本だったら逮捕か?(笑)ここでは誰も気にもしません。笑って許して!

サイエンスにおけるマフィアw

こんなタイトルだと?と思われる人もいるとおもうのだが、実際には科学の世界でも(半ば揶揄を込めていわれるのだが)マフィアと呼ばれる一群のグループがそれぞれの分野で当たり前のように存在している。私には医学生物学の世界だけでしかそういうことを見る機会は無いが、例えば頭頸部癌ではXX、乳癌ではVV,甲状腺ではCC,発生学では圧倒的にNN,だとかいう感じでそれらの世界の大御所という人がいるのである。信号伝達経路でもこの分子だったらあの人、この経路なら此の人とか。
免疫で此の人に睨まれたら厄介だとか、神経の世界ではこの人達がいわゆるXXだな、という感じで陰では皆、言っている、もしくは知っているのだ。(笑)
昔は科学が出来たけどもう今は政治家だよという人とか、今でも最前線で金を取り続けてかつ政治力も強い人とか、そのへんは他の社会と同じでゴチャ混ぜ。しかし、いわゆるその人達が作り出す弊害、効用もろもろを含めてNIHの予算はなるべくそれらのものを平準化しようとするのに最近は頑張っている。(未だに効率的に機能してないと根強い批判があるが、、、。)

悪いサイクルの場合、一度こういうお仲間同士(マフィア内)でカルテルのように論文作成が始まると残念なことに実際はいろいろな形でデータの怪しい論文や、下らない論文、人の先に出したデータを細胞だけ変えてやり直して急いで提出などということをやる連中も少なくないのが現実の世界だ。これは単にヒガミとかそういう問題ではなくて、この世界で飯を喰ってると誰でも知っていることで、驚きでも何でもない。
逆に驚異のサイクルではこの人たちの中で物凄い論文(アイデアが良いこともあるし恐ろしく労働力を要求したであろうものもあるし、金喰いまくってるな!というのもあるし)を次々に出してきてあっという間に年数十報をレジュメに出してくる人達もいるのだ。はっきりいって敵いません。しかしそれはそれ、自分は自分。生物のパズル解きに毎日知恵を絞る日々です。

サイエンスと言っても、実社会の縮図なんです。この世界に首を突っ込んでそのことは嫌というほど知らされましたが、そんなことにメゲる様ではこの世界では一年もやってられません。(笑)
鈍感さとしつこさとは私たちの良き同居人なのです。

2010年5月6日木曜日

Thesis Presentation

学生が今日ついに卒業した。

彼のプレゼンは35分間。質疑は25分間。
評価のために学生を一時退出させたとき、三人の教授から最大限の賛辞を頂いた。
彼の評価は文句なく最高のもので指導者として私も晴がましかった。(笑)
彼が科学の道に残ることを強く勧められたが、残念ながら彼はこの夏からNYUだ。

彼には卒後、研究職、教育職を目指してもらいたいなとも実は思う。

オメデトウ!お疲れ様でした。良い発表で実に堂々としていたよ!

2010年5月5日水曜日

シンク・ザ・タイタニック(笑)

もう何と申しましょうか、、、。(笑)
昔、レイズ・ザ・タイタニックって映画ありましたが。

お笑い日本国総理大臣と言う本があれば直ちにご本人に上梓してあげたい気持ちです。
普天間の迷走は素晴らしいものだったけど、腹案とやらの見え見えのブラフが出てきたと思えば最後は「沖縄の皆さんにはやはりご負担を」で結局は自民案をかき混ぜた挙句の改悪案の登場ですか。さらなるダメ出しは「海兵隊が抑止力として機能しているとは理解できていなかった」(激笑)、、、、あんたどこの国の何様でしょうか???背筋が寒いです、こんな人が日本の船長なんだからそらタイタニックでは済みませんが。

何が何だかわからんです、正直。

この人の言葉の軽さ(頭の中身はそれ以上に軽いヘリウムガス並ですが)と、責任の無さには脱税の時に発揮された「全ては他人事」という素晴らしルーピー振りで既に証明されてはいましたが、冗談抜きでここまでとは。

日本在住の皆さんには申し訳ないのですが、このままこの人達政権にしがみついていただくと言うのが個人的には最高の劇薬だと思ってます。次回の参議院選(もしくはダブル選挙)、どうやって乗り切るつもりなんでしょうね。多分このままならば間違いなく見たことも無いような歴史的大勝から歴史的大敗へ時代が移った瞬間を目撃することが出来ると思います。社会党も本当に実にわかりやすい間抜けさと権力欲の塊というのが政治のことなど通常考えない人達にも見えるようになってよかったです。

民主党に関しては何度も書き込んできましたが、取り敢えず自民党ではないという選択肢だけで民主党に任せてみようと言う投票を行った人達にはあまりにも苦すぎる教訓になったと思います。いわんやあの実現不可能な嘘見え見えのマニフェストに騙されたと言うのであれば、その不明に思いを至らせて欲しいものです。そしてその文化大革命とやらに向かって国民を迷走させたマスコミはほんとただ一言、再び言いたいですね。

「恥を知れ」

2010年5月3日月曜日

付き合い

家族の買い物に付き合ってShort Pumpというショッピングセンターへ行ってきた。
私自身はアップルストアにあるiPad等を実機で見ることができてまあ良かったのだが、疲れること甚だしい。女性の買い物に付き合うのは中年男性にはかなり堪えるのだ。(笑)
事情は他の家庭やカップルでも同様の感じで、今日行った店の一つH&Mなんかでは所在無げな男性陣がうろうろと店内で女性のあとをついてまわっていたり、厳しい顔つきのおっさんが腕組みをして仁王立ちしてたり、、、。それに比べて女性は活き活きとしてお金を使いますな。

まあ、万国共通ですか。w

2010年5月2日日曜日

一番好きな昔話

日本にいる馬鹿な鳩の話が続くと気分が悪くなるので、今日はそれは止めて自分が好きな日本昔ばなしの中でも最も好きな話をここに貼り付けることにする。