2009年9月22日火曜日

ノーベル賞

ノーベル賞の発表でいつも笑ってしまう事。

一つはノーベル経済学賞。これほど間抜けな賞は無いと思えるんですがどうでしょう。
経済学部のことは全く知りませんが、経済学ってどれほど人類に役立ってるんでしょうかね。
寡聞にして全く解りません。
デリバティブの理論のなんのって「ああそうですか」という感じ。詐欺の片棒担いだだけのような。(笑)
解析に関するものは全て数学理論の単なる応用だろうし。
もっとも儲ける法則を発見した人に座布団十枚って感じですか?
伊藤先生の確率微分方程式も経済に応用されてますが御本人は「決して」応用のことなど考えてないと言われていたみたいですし。
ノイマンもある有名なノーベル経済学賞受賞者の理論を「ニュートン以前の数学」とせせら笑っていましたが。
経済学者ってこんなの見て内輪で盛り上がってるんでしょうか。何だか皮肉な賞です。

もう一つはノーベル文学賞。これも何だか、、、。
受賞の理由を聞いても翻訳されて無い人も沢山居るでしょ?というのが先ず第一。
そして受賞の為に翻訳されるべきは何語かというのが次。
インドの片隅で自分の言語のみで作品を発信している天才的詩人が決して翻訳の洗礼を受けずに居るなんて事はザラだと思います。
また翻訳がオリジナルの言語のリズムを伝えうるのかというのが更に来る。
日本の古典を一つ取ってみてもそれは明らかではないかと思います。
あの古文の美しい調はどう考えても翻訳で表すことは無理。
どの言語も翻訳した時点で中身が変わるというのが持論です。
例えばコーランにはアラビア語がわかる人のみが味わえるという格調というものがあるのだそうです。
ちょうど日本語で古文や散文の持つ格調がオリジナルでないと解らないように。
一昔前大江健三郎が受賞したとき、思わずワラってしまいました。
個人的には「何と政治的な意図を持った賞よ」と呻かざるを得ませんでした。
団塊の世代の人々は快哉を叫んだ方々も多かったのでしょうが、この人の北朝鮮に対する思い入れを知る人間としては発表された文章の中身もさりながら「トンデモ」というしかありませんね。
大体、文学を志す人間がこんな「権威」を纏って嬉々として居るという時点でもう「おわってる」って思ってしまいます。
少なくとも受賞はしても会場には現れずとか、何だか一ひねり欲しいもんです。(笑)

ああ、大きなのを一つ忘れていました。
ノーベル平和賞。
これはコメント避けます。余りにも政治的意図が見え過ぎて下種なので。
本当に平和の為に働いている人が滅多な事で表に出てくる等とはとても思えません。

私が正しく受賞すべき人が受賞してる賞の分野で比較的公正な分野は数学くらいではないかと思うんですけど内輪の人間ではないのでこれも自信がありません。
しか先ほど挙げた二つに比べれば、結果に対し全方位から絶対的に理論的検証が出来る公正さという意味では何処の国の人も取れるわけですから未だ万倍も公正な気がします。
ペレルマンのように物凄い才能の塊であって、かつ真実のみに興味があり、賞等に全く興味なくむしろ嫌悪さえ抱いているなどというのは私にとって「かっこいい」のを通り越して畏敬の念を抱いてしまいます。

まあ、これらのいかなる賞も私には未来永劫関係ないという点で気楽にかけるのがちょっと寂しい気もしますが。(笑)

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