2009年1月31日土曜日

学生の指導

今日は学生の指導で、ガックリする。
解っていたと思ってやらせたらやっぱり駄目。(笑)
山本五十六は「やってみせ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ」と言われたとの事ですが、同じようにやっても元帥の様には上手く行きませんね~。やっぱり国情の違いか、言葉の壁か、理解力の限界か、私の能力か、、、。人を育てるのはとんでもなく難しく、思った以上に「自分」を試されるのだと言う事にいやでも気づきますね。
学生のせいにする事無く、こちらも頑張らねばなりません。少なくとも、私が学生以上にやっている事を示してから彼らの事を鼓舞しなければならないでしょう。
それには、まあこちら側の負担もかなり大きくなるのですが、新米指導者としてはそれも致し方無しと言うところでしょう。

2009年1月30日金曜日

ヒートアップ

二人の学生の実験の様子が良い感じで加速してきた。
やはりこの短期間で物を仕上げるにはどこかの時点で死ぬほど働かないといけないという単純な事実にようやく気付いてくれたようで、ここ一週間ほどは眼の色が変わってきているのです。なかなか良い兆候です。

今まではいろいろと言い訳の多かった男子学生だが、最近は本当に変わってきたのを感じる。まあ、世の常で指導している私の方へは色々と不平不満はあるのだろうし、それが普通と思っているが、私にしてみればきちんと一生懸命働いて結果を出してくれるのであればそれで何の不満も無い。どちらにしても審判と指導者は文句を陰に日向に言われる(言われている)のだろうと思っています。(笑)自分がそうだったのでこの手のことは実際に見聞きはしていなくてもプレッシャーをかけ続ける限りは不可避なものだろうし。
本当のところ、私が裏方としてかなりの手助けと土方仕事をしているのですが、まあ彼らには最終的に感謝されれば御の字ということにしておきましょう。まあ、実の親と一緒ですね。(笑)

2009年1月29日木曜日

またかいなと思った

日経の記事を見ているとこんなことが書いてあった。

介護に外国人を導入することに関して垣間見えるどうにも胡散臭い裏話の解説であるが、この「介護」という仕事においてはこのインドネシアの人たちやフィリピンの人たちの需要はかなり高くて、多くの国ではかなりの数の人達がそれぞれのお国出身の人間として働いていたと記憶している。
日本にも組立工以外の本格的な労働者輸入が始まったのかという感じだが、記事を見るとその裏ではまたこれはとんだシステムが準備されているようで、相変わらずの出鱈目振りが垣間見えるのだが、これって形を変えたピンハネ以外の何物でもないような気がするのだが、私の思い過ごしか?こういうことに対するより深い解説が報道機関から追跡記事として出たこないのはなぜだろうか。(まあ、いつもの能力論になりますが)
麻生総理の漢字の読み違いを云々して紙面やニュース枠を埋める前に、介護にまつわる問題とその解決に向けた取り組み、そしてこの問題の裏で蠢く政府関係者も含めた恥知らずな斡旋屋の存在が詳らかにされるのが本筋であろう。

2009年1月28日水曜日

敗戦

いつかは来るかもしれないと思っていた瞬間が昨夜遅くやってきた。
バスケットの試合で我々のチームがホームゲームで敗退したのだ。ジンクスを信じたいと思っていただけに残念。まあ、神社のお守りレベルの効力しかないのが解ってはいたのだが、実際に9時から始まるレートゲームで11時半頃に敗戦が確定して家路に着くのは気分も体も非常に重かった。
昨夜の試合は徹底的にリバウンドが悪かった。しかし、最終的に統計を取ってみると31-33で相手のリバウンドに負けたというくらいで、普段の我がチームと比べてということだが。もう一つより大きな原因を挙げるとすれば、コートの上に審判という六人目の敵が居たことだろうか。二人の黒人審判と一人の白人主審が居たのだが、この主審のジャッジの出鱈目振りには会場全体から怨嗟の声と非難の声が静まらないといった状態であった。試合の均衡や質というのは選手同士のぶつかり合い以外にも、審判の質と密接につながっていることは前にもここに書いたが、CAAの審判には時々酷いのが来る。相手チームでさえ、何で彼らがアドバンテージをもらったか理解できないで、とりあえず手を叩いて喜ぶ奴らがいるような始末で、もう唖然としてみていた。トラベリングの判定の不公平さにはただただ、小学生のバスケット審判かと見紛うばかり。

NORTH EASTERN今に見ていろ。

2009年1月27日火曜日

教授会

学生の半期毎の評価の為の会合が行われ、多くの教授の口からそれぞれの教授の受け持つ各学生の講評が行われた。私の場合この手の講評に出向くのは初めてで自分の受け持ち学生に関する講評もまとめてあったのだが、日本の教授会の雰囲気はいざ知らず、今回出席してみて解ったことは、アメリカでは義務教育でもそうだったがこの手の高等教育であっても退学勧告、もしくは卒業延期、はたまた博士課程からの撤退などの勧告等に対しても一切情け容赦なく行われるということだった。
詳しいことは守秘義務があるので当然一切書けないが、どんなに頑張っていても結果が伴わなかったり、人柄が良くてもやはり仕事が駄目であればそれらの人物は放校になるということ。いわんや努力をしない、データを作らない等という様な輩は、もう端から問題外だということなのだ。
自分の意思を持って来ている以上、その目標を達成するのは本人の意思以外には有り得ないということをこの国に居るとありとあらゆる所で見せ付けられるのだが、今回もその延長線上の出来事の一つだった。この国では自分を護るのは自分しか居ないのだ。

私も自分の受け持ち学生にこのような勧告をしなくて良いように最終段階まで持っていきたいものだ。

2009年1月26日月曜日

冷蔵庫

冷凍庫が壊れた。
マイナス20度のサンプルや酵素を入れているもので、この冷凍庫が壊れるのは正直言って痛い。多くのサンプルや酵素が日頃ここから出入りしているわけで、これの代替を注文してもアメリカのことなので何時製品が届くことやら、、、。
アメリカで売っていても殆どの場合は中国が組み立て地だったり、中国製のものにアメリカの会社名を被せたものだったりというのが最近は普通で、それ自体は中国という国の組み立て能力の増強と品質の向上に伴う成果として賞賛されて良いのだろうが、こんな短いスパンで壊れてもらうとこちらの懐も痛むので、出来れば御勘弁願いたいものだ。(笑)
日本製の冷蔵庫で、10年、15年と何事も無くその仕事をこなしている冷蔵庫、冷凍庫って普通だと思うんですが、これもこれから品質が向上していく国の持っている課題なんでしょうね。まあ、日本にとってもこれはいつか来た道といってしまえばそれだけなんですが、、、。

懐が、、、。

愚痴ですね。

2009年1月25日日曜日

日本の電気製品

私はマックとウインドウズの双方を仕事でも私用でも使っているのですが、ふと思うのは何だか日本から出てきたPCを使うチャンスというのが少ないなと感じるのです。
ここに住んでいると数年前までのほぼ十年間はDELLが異常に繁殖していく様を見ることが出来ましたし、その横でゲートウェイがゆっくりと枯死していくのも見せられました。苦境に陥っていたHPが今ではそれに代わってデルを脅かしているような気がします。官公庁や大学に勤めていると、政府や教育機関というのがどのような機種を選定しているのかが如実にわかるのですが、デル一辺倒だったものが最近ではHP等と混ざりだしているのを見ると最近のデルの苦闘はこういう競争の裏返しなのかなとも思ってしまいます。実際、宣伝のe-mailでもディスカウントの率が年々高くなっているような気もしますし、、、。
さて、ここで日本のPCの事なのですが個人的には日本のPCで使った経験のあるのは懐かしのNEC-PC9801VM2というマシンのみです。これは大学生になったばかりの頃、大枚叩いて買ったもので、5インチのフロッピーディスク二枚が差し込めるものでした。今の若い世代には信じられないかもしれませんが、これはスタンドアロンのマシンで、ネット接続なし、確かハードディスクも無しだったと思います。では何をしていたかというと、ゲームや物理のシュミレーション、ワープロとして使っていたくらいでした。(笑)日本のメーカーも色々作ってはいたようですが、結局はアメリカ製のウインドウズを走らせるための統一規格マシンを作るただの箱物屋になってしまったというのが実際のところで、敗因はまあ色々あるのでしょうが当時学生ながら「これじゃ未来は無いでしょう」と思っていたことの最大のものに互換性の無さがありました。これがどういうことかというと、たとえば同じ会社から出ているNECの無数のPC98やPC88のシリーズ内でも、少し型番が変わるともう使えない、というようになるもので同じソフトでも今で言うマックかPC、どちらに合ったソフトなのか良くパッケージを見てから買っておかなければならないというようなお粗末なものでした。今では笑い話なのでしょうが、日本のPC製品がハードもソフトも死んでいくのを見ると、値段付けもハードの構成も全て日本を基準にしていった上でのガラパゴス的進化の成れの果てのような気がします。これから十年後にはどれだけの会社が日本という国で売れば利益の上がるPCを作っているのでしょうか。(もう既に利益等無いのかもしれませんが。)
そこそこの性能の小型ネットブックを持ち歩き、ブラウザ経由で日常の仕事のほぼ全てを完結させる時代が去年あたりから始まったような気がします。100ドルPC、ネットブックといったようなものがそのような狭いカテゴリに押し込められることなく大手を振って表に出てきた元年が2008年だったのかもしれません。

追記:今ネットで検索してみると、VM2にはHDがついていたとか、、、。そうだったかな。まあ、そうなんでしょう。それにしても1.2MBの大容量HD!!メモリースティックでも今普通に4GBあるのですが。(笑)隔世とはこのことですね。

2009年1月24日土曜日

習い事

娘達二人がピアノを習っている。
実際には習いたいと言って習いだした長女に次女も暫くして一緒に習いたいと言い出したもので、まさしくお姉ちゃんの真似がしたいと言う年頃にぴたりとはまった感じになった。近所に非常に上品で優しいおばあさんのピアノの先生が居て、その方が娘達に趣味と言う感じで教えてくださっている。御主人は歯科医師でお金には全く困っていないと言う感じで私たちの支払いは娘達が週に一回、1時間15分程のレッスンをそれぞれ半分ずつくらいの時間を割いて行っていただいて週に90ドルとなっている。この値段が高いか安いかは判らないが、他のレッスンにいっている人達に話を聞くと「非常に安い」との事だ。本当に優しい方で、こんな風に人を育てられるといいよな~、と本当に感じるがこれこそが育ちと言う物だろうか。上品さと言うのは内側から滲み出てくる物であって「振り」をして人を騙せる様な物ではないのだと言うのが解るだけに、そうでない自分には精神的に辛い。(笑)
まあ、この上品な御夫人に娘達のピアノレッスンを任せておけるのは大変素晴らしい事だ。どんどん上手になるのはそれはそれで良いのだが、音楽をどんどん好きになっているのが更に良い事だと感じる。自分にはそのような機会が幼少時に無かったので自分の子供を見ながら羨ましいと感じる。
音楽のコンクールで優勝しても音楽が大嫌いな子供が居るのを見てショックを受けた事が有ったが、我が子にはその反対を望みたい。

大事な一戦

本当に心臓に悪い試合だった。

しかし我々は勝った!もの凄い双方の応援の応酬で、一時は7点差を付けられたがここぞと言う所でなんとか突き放してくれた。この一戦が大事な理由は非常にシンプルで、GEORGE MASON我が校がともに今日の時点でイースタンのカンファ一位同士だったと言う事で、互いにこの一戦で勝てばどちらかを突き放す事が出来る最も効率の良い試合なのだ。
互いに取りつ、取られつの試合で一瞬も眼を離す事が出来なかった。隣で観ていた嫁さんも胸を押さえながら、うーんと唸ったり立ち上がったり忙しい。
CAA イースタンで共に一位であるだけの事はある。
途中で双方の選手の一部が一触即発の状態になり、ヒートアップしたが何とかお互いが乗り切った。学生達の盛り上がりも尋常ではなく、黒と黄色のスクールカラーで塗り固めた学生達が一喜一憂。(勿論我々ももう、自分の子供達の試合のように大声援。)
最後は数点差で勝った。これは本当に大きな勝ち点だ。

ジンクスは守られた。

2009年1月23日金曜日

耳障りな言葉

国外に住んで長くなると今の流行の言葉は何なのかということに関してはタイムリーに入ってくる情報はほぼインターネットのみで、話し言葉となると嫁さんの実家から送られてくるビデオ、もしくは最近多いのは知り合いのこの界隈(といっても半径20-30マイルですが)に住んでいる日本人の友人達から嫁さんが貸し借りをしているというDVDに焼かれた日本の番組等というもの位しかない。
そういう限られたリソースしかないのであるが、その中で最近、私にとって非常に耳障りな言葉がある。それは「如何な物か」という表現で、この言葉を文末や会話の中で政治家が使っているのを聞くとその人物の話全体が胡散臭い話に聞こえてしまう。
本来「如何な物か」という語り口は自分の中では既に「そうではないだろう」という、相手に対する否定の念が先ず既に存在していて、「私の意見が正しいのです」というのを、問いかけの形をとりつつもその時点で無謬のものとして提示している言葉だと思う。このような形の発話では対話の余地というのは極めて小さい訳で、討論下手の人間が相手を畳み掛けるつもりで使ったりする人のかもしれないが、腐臭甚だしい政治家ならいざ知らず、市井の人々までがこれを濫用するのを見聞きするのは、私にとって非常に精神衛生上好ましくない。まるで、駄目政治家のコピーが他の場所にも拡散しているようで、、、。
同じような言葉使いで嫌いなものに芸能人がこれまた濫用する「じゃないですか」というのもあるが、これは使う人間自体が私にとって存在感の無いに等しい人達ばかりなのでその人物の写っている映像を見なくなれば済むだけの話なのだが、やはり子供達がこのような言い回しを覚えるのは良くないと思うので見せたくは無いなと考えている。

2009年1月22日木曜日

実験に鞭を入れる

学生達の実験に対して愛の鞭を入れて結果を更に充実させる時が来たようだ。
なかなか難しい実験も入ってはいるが、彼らならやってくれるだろうと思いたい。(含:希望的観測)まずは二人を無事に卒業させることが出来るだけのデータをコンテンツとして仕上げさせて、それをまとめとる為にいろいろと書き込ませるだけの時間を取らせなければならないのでそこの時間がたくさん取れるように余裕をあげたいのだが、まあ、最後はきっと時間と競争するような状態になるのだろうなと考えている。私の場合余裕を持って何かを仕上げるようにもって行ってちょうどぎりぎりに終わるくらいの事ばかりなので、自分でもいつも"LAST" MINUTE MANだと自覚している。学生に勉強させることで、自分も今年は実験に付帯する別のことを色々と勉強することができるので、(指導関係)これを生かさない手は無かろうと思う。
立派な先生方の記録やブログを読んでいると自分の情けなさがしみじみと実感できるのだが、それはそれ、こんな私にでもついてきてくれた学生諸君の為にもベストの結果を手渡して卒業させてやることが大切なことには違いない。

更に頑張らねば。

2009年1月21日水曜日

大統領宣誓式

今日はアメリカにとって歴史的な日となった。
黒人大統領の登場である。周りのいかなるアメリカ人に聞いてもほぼ間違いなく誰もが「自分が生きているうちに黒人の大統領を見るとは思わなかった」と言う。それは白人であろうと、黒人であろうと、その他の人物であろうとほぼ同じ傾向で、皆言葉を変えて同じ様なことを言っている。
現時点で冗談抜きで最も皆が心配しているのは暗殺の事で、ケネディーの悲劇を決して繰り返す事の無いように皆が口にあまり出しはしないが心配しているのは、チョットした話の端々から聞こえてくるのだが、そんな事を真面目に心配しなければいけないのがこの国のもう一つの本当の姿なのである。銃を使った悲劇的な犯罪が特に一般市民の中だけでおこるのではなく、国家の責任者に対しても危惧されるというのは本当に嫌な事だと思う。この若く知性溢れる大統領がその任期をきちんと全うし、その信念を持って政策を実行できる事を心の底から祈っている。それは取りも直さず、肌の色では無く、その政策実行能力のみがこの国の最高司令官を勤める事が出来るのだという直接の証明であるからだ。

力にはなれないが、しっかりと彼の行動を見守っていきたい。

2009年1月20日火曜日

ゲスト来訪

今日はゲスト来訪で家で食事会。
バスケットのアシスタントをしているI君とその彼女が、寒い中、二人で来訪してくれた。ベトナム系アメリカ人の美しい彼女を日本に連れて帰るとのことである。彼は人間的にも素晴らしい人物で、コーチグラントにも大変に信をおかれている。彼を見ていると、人間は歳に関係なく素敵な人物というのは素敵なのだなと心から思う。まあ、彼女が彼に惚れるのも無理からぬ事だ。彼女も美しくて気だてが良い素敵な彼女で、「お似合い」とはこの事か。
話は弾んであれやこれやと話題があちこちに飛び、楽しい事この上無し。娘達も会話の輪に加わり、若い者同士で通じる様な話題で大爆笑していたが、一部言葉の意味が分からない部分が有り、所謂「若者言葉」というのを使われてこちら側が戸惑う場面も有った。まあ、歳が倍近く離れていればそれも極自然の成り行きで、我々が中高生の頃、両親に我々の会話の中身についてこられる事が有ったら逆に戸惑っていただろうから、まあ、物事は何でも順番という事か。彼らとは四時間弱話し込んでお別れしたが、次回はベトナム料理を我が家で作ってくれるとの事、楽しみです。

次はGEORGE MASONを撃破してカンファランス一位だ!!

2009年1月19日月曜日

大統領

昨日から、オバマ大統領が近所の鉄道路線を使ってワシントン入りを果たしたとの事。話としては知っていたが、殆ど行事自体には何の興味もありません。
もうこれで自分がアメリカに来てクリントン、ブッシュX2、そしてオバマと大統領を見て来た事になる。何と言うか、ブッシュが酷すぎて共和党全体が地盤沈下してしまった感じで、殆ど自爆と呼んで良い程の共和党の仕事でしたから仕方有りません。
民主党が良かったというよりも、共和党が酷すぎたという表現の方が相応しいかと思います。相対的な敗北が起きたのだと思います。何事にも過度の自由化は怪物を生み出すという極当たり前の事を認知しておりながら、政府が何もしなかった訳ですから何の申し訳も立たないでしょう。
法律の隙間をついて自由を謳歌して来た金融界の化け物達も良い感じで次々に破綻していってます。責任者達の逮捕劇が始まるのはこれからともいわれていますが、個人的には前回の様な二千人以上ともいわれる逮捕者はまず出ないと思います。責任の所在が曖昧で、FRB自体も実に愚鈍である事がバレバレになった訳で、末端のネズミまで捕まえるだけの責任感も、能力も、理由も「自らは」見つけきらないのではないでしょうか。
実際、今回の事を見て一言思えるのはただただ「因果応報」という言葉のみです。
今回の危機を切り抜けて、温々としている連中が居る事はまあ頭に来るのですが、まあ「天網恢々」という言葉を信じて貧乏人の私は今日を過ごすしか有りませんか。(笑)

2009年1月18日日曜日

バスケット

今日はカレッジバスケット対OLD DOMINION戦があった。
日本で言う所の早慶戦の様な物で、両校からそれぞれに大量の人間が駆り出され、死闘を繰り広げる。かなり際どい時期の試合などではセンターの外で殴り合いが行われる事も有るらしいので、まあ、かなりみんな大掛かりな試合になる。
基本的にここ数試合は審判の質が上がってかなり気持ち良く試合を見る事が出来る。嫁さんと二人で声援したり話したりしていたのだが、審判て言うのは何と言うか損な役回りが多いよなという結論に至った。スムースにいっても感謝されないし、審判に問題が有ると、「両チームから」ボロクソに言われるしで、何だかな~、という感じなのだが、やはりそれでも試合のジャッジの質というのは何時でも皆から見られているもので、試合終了後の話題にもジャッジの事は必ず話題になる。
まあ、何はともあれ今日もホームゲーム不敗伝説は続いた訳で、素晴らしいの一言です。LARRYやERICの活躍は本当にもう、男なのに「愛してるよ~!」と叫ぶ程カッコイイの一言です。

何で同じ人間なのにあんなに手足が長いんだろう、、、。

2009年1月17日土曜日

学生の評価終了

今日学生二人の細かい評価が終了した。
人から推薦文を書いて欲しいとかいう仕事は数年前から次第に増えてきてはいたが、彼らの将来に直接関わって来るようなそのものズバリの評価を書くのは今回が初めてで、かなり言葉を選んで慎重に書き込んだ。単純評価ではAとかBとか機械的にある程度書き込めるが、全部をコメントとして書き込まなければならないタイプのものは最終的に学生達にも彼ら自身に対する評価として読まれることを前提として書き込むので、余りにもDISCOURAGEするのは良くないと考えそのような書き込みの少ないように積極的に良い点を見直すような書き方とした。
今の時点で教育を開始して約5ヶ月目に入った訳だが、全くもって、もう本当に子育てそのものといった感じで学生が云々というよりもまさに自分の育て方の力量を問われているという感じが非常に強い。
彼らが無事卒業し、晴れてMASTER DEGREEが取れるようになるまで、今後とも積極的に彼らをサポートする手立てを次々に打ち出していかなければなるまい。こうやって自分以外のことに時間をとられる時間が増えていくのが、サイエンスの世界においても歳を経るということなのでしょうかね。
まあ、超一流の人はこのような事などサッサと一時間前後で済ませてしまうのでしょうが、、、。

何事にものろい私です。

2009年1月16日金曜日

学会誌

何故かは解らないが、今のところ会費を払いそびれているCancer Researchから学会誌が届き始めた。ハッキリ言って今の大学のネット環境ではこんな雑誌を送られてきてもただの迷惑以外の何物でもなくて、資源の無駄、ゴミの増大に貢献するだけではないかと思うのだが。
こちらの学会誌も維持費のためだかお偉いさんたちの社交費も含めたお金何だか知らないが結構な値段を払わなければならない。まあ、事情は日本も変わらないのだろうが発表用の学会参加費とはまた別なのだから頭が痛い。
予算をがんがん取ってくればそれでよろしいではないかと言われればそれまでなのだが、まあ貧乏研究者にはそういうお金さえも出来うることなら節約したいものなのです。昔は当たり前のように思っていた送付されてくる学会誌も本当に今の時代全く無意味な郵便物になってしまったと思うのは私だけでしょうかね。
少なくとも誰もが認めるその手の雑誌は大学のネット内に居る限りはウェブ上でほぼ自由に読めるようになった現代において紙を消費し、ガソリンを消費して物を送り届ける意味って何でしょうか。
必要な文献はpdfで読むし、更に重要な物だけ印刷して色々と使うというのが今のスタイルだと思っているのですが。

2009年1月15日木曜日

学生の評価

学生の評価をしなければいけない時期になってきました。
この時期、既に五ヶ月が経過しているわけですが、まあ実際には最初の一二週間を一緒に過ごせばその学生がどの程度の能力があるのか少なくとも表面的なレベルでは判る訳です。それから後は展開のレベルや実験の安定性などで評価していくのですが、どうもいろいろな学生をこちらに来て教えて思うのは、プレゼンテーションの能力は高いけれども、その実験の内容は結構お粗末なのが多いというのが私の印象です。
勿論、これは定量的なものでは無いのであくまで私の印象なのですが何と言うか実験をやり込んでかなりの所まで詰めているのに自信無さそうに発表したり、ハッキリ内容を理解しているのにそれが説明として出てこないとかいうのが日本の学生には多かったのですが、こっちの学生は何だか中身以上の発表をするせいで、プレゼンテーションが終わった後に、「お前の研究発表のようには優れてないんですけど?」と一言横槍を入れたくなる事が多々あります。
自分を表に出さないと生きていけない国の人と張り合うのは、中身の充実で対抗するしかないという点では、日本人の研究が信頼される為に先ず常に要求されることなんでしょうね。(実際日本人のシコシココツコツとやっていることは仲間内では信頼されて他の人の論文のネタの基礎付けをするスパイスになっていたりする感じがします。)

日本の若い学生さん達には「勿体無い」と言って良いのか、それとももう少し頑張って欲しいなと励ませば良いのか、、、。

2009年1月14日水曜日

ドメスティックバイオレンス・家庭内暴力(後編)

さて、家庭内暴力の話ですが、私が中学生くらいの頃は家庭内暴力といえば家庭の中で手を付けられない程暴れ、親に反抗する子供たちというのが普通の構図だったのですが、最近はそれがどちらかというと夫から妻への暴力とか、親から子供への暴力とか育児放棄とかを意味するような感じにシフトしてきたのではないかと感じています。いずれの話にしても家庭の中が荒れているわけで、逃げ場の無い被害者達が、親であれ子であれ狭い家の中で息を潜めるような出来事が起きていることに違いありません。私の場合は家庭内で夫が妻に感謝することはあっても肉体的に暴力を振るうなどというのがまず想像も出来ません。私の実家の場合は言葉の暴力で、どちらかというと母親の性格に問題があり、親父を小馬鹿にしたような軽口を叩き、それがいつも口火となって互いに火を噴くようないがみ合いになるのでした。子供心にも「何でこんな余計なことを親父に言うのだろう」といつも思っていましたし、気の強い母親はそれに対して返って来る怒りの言葉に決して折れることなく反論していました。要するに「賢くない」のです。傍で聞いていても「そこでそれを言う?」というような相手をカッカさせるような事を言って結局、また泥沼。賢い女性はたとえ相手が間違っていても、適当に上手に相手に花を持たせつつ結局は上手に旦那をコントロールしているものなのでしょうが、程度の低いところで意地の張り合いをしていたので、まあ、本当に犬猫と同じレベルの喧嘩でした。私も中学になって以降は完全に無視を決め込み、勉強中にやりだした時などは「外でやってくれ」と顔色一つ変えずに言うようになりました。心や体が成長している時には子供は本当に一生分の哲学的な事を考えるのではないかと当時の自分を振り返って思います。生きること、死ぬこと、良く生きるとは何か、考えるとは何か、そんな事を必死で考えている時に隣の部屋では犬猫レベルの喧嘩で二人が毒づきあっているのでした。(苦笑)まあ、親父にしてもそういう配偶者をお選びになった時点で既に失敗。(そして私はその失敗の末生まれてきた紛う事なき失敗作。){/hiyo_oro/}
本来、肢体不自由の子供を育てているのであればこそ、一致協力して事に当たらねばならぬ夫婦がこれとは、と本当に子供ながら情けなく思ったものです。今でもその思いは変わりませんし、私が大学を卒業した頃、一度だけ親の前でその当時のことをビシリと言ったら、苦虫を噛み潰したような苦笑いのような複雑な表情をして何も言いませんでした。
私は当時のことを振り返って時々複雑な思いに囚われます。一体あの時期に私がタイムマシンで私自身に会いに行ったら何を話すだろうとか本当に考えてしまうのです。本当にそういうことが出来るのなら今の我が家にシェルターを提供してあげるのですが。(笑)
世の中には私と同じようなそして私以上に悲惨なケースが本当に掃いて捨てるようにあります。愛し合って結婚したはずの配偶者に殴られ怯えて生活する奥さん、そして本来は甘えたい時期の子供が必死になって親からの暴力に耐え、知恵を絞って親の機嫌を取るなどというのは本来あってはならないことであると思います。
私は親父の拳骨というものを全否定するものではありませんが、それは本当に年に一度有るか無いか位の愛情の塊で無いといけないと思うし、無ければ無いに越したことはありません。ましてや、感情に任せて子供を体中痣だらけにするまで蹴ったり殴ったりというのは単に感情の抑制の効かなくなった状態であって、教育とは何の縁も無いものだと思います。実は母親の事も悪し様に書きましたが、親父も実はあの石原慎太郎に影響されて私を教育したというとんでもない一面を持っているのです。当時家の本棚にあの爺さんの書いた光文社かなんかから出された「スパルタ教育」とかいう本があり、それを時々盗み読むことがあったのですが、親父がそれを読んで「そのまんま」私にその書いてあることを当て嵌めようとしている事がマザマザと、子供なりに解りました。今でも損害賠償起こしたら勝てるかななどと思っていますが、まあ、あんな本を書く親父に育てられなくて良かったなと思いつつもその方針だけはしっかり押し付けられた俺は石原家の被害者達と同じだなと思いますね。
誰にでも精神的、肉体的に逃げる場所を与えることが人を人たらしめるもとなのではないかと真剣に思います。
今、この瞬間も心や体への暴力に怯え傷つき、最悪の場合は死に至る人々が居ることを考えるとその人たちが一刻も早くその地獄から逃げ出す上手な場所や方法を見出すことを願って止みません。それが子供達の場合、本当に周りの人間がその異状に気付き助け出してあげることが出来ることを、、、。
当時のボロボロだった自分のことを振り返るにつけ、彼らが何とか生き延びてその家から無事脱出できることを心から祈ります。

最後に一句。
「ネガティブな親でも反面教師なり」

何とか家を出るまで生き延びろ!

2009年1月13日火曜日

ドメスティックバイオレンス・家庭内暴力(前編)

日経から配信されるメルマガで、生まれた子供に嫉妬する夫たちというのを読んだ。
まあ、経験の無い方にとっては月の裏側の話のように感じるかもしれませんが、このようなことを経験した事のある人間にとっては全くもって話の一つ一つが「さもありなん」という事ばかりです。
まあ、このイントロでお解りかとは思いますが、私の場合、小さい頃から不仲の両親の間で弟と二人で小さくなって、決して絶える事の無い親の喧嘩の真っ只中で育ってきましたので、本当にそういう「被害」に遭っている人たちの事を見聞きするにつけその悲惨さに心が痛みます。言葉の暴力、体を使った暴力などその本人は怒りに任せてその捌け口をそういう形で求めているのかもしれませんが、対象として被害に遭っている者は「たまったものではない」のです。ですから世間で偶に起きている家族内の殺人事件を見聞するにつけ、他人事では無かった時期の自分に思いを巡らせてしまいます。加害者の多くは父親だと思いますが、これからも子供に殺される親というのは無くならないと思います。私の場合は「幸いにして」心で自分を制御することが出来ました、しかしそれは単に幸運以外の何物でもなかったと思います。自分には、年子の体の不自由な弟が居た為に、常に反面教師として親を見続けてきただけで、「何時かこの家を出る」そして「親と遠く離れた所で人の体を治療する事の出来る仕事につきたい」、という事だけが目標でした。どうやら改めて来し方を振り返ると、実際そのシンプルな目標に沿ってここまで生きてきた感があります。
本当に人生の最初の十年で一生分の嫌な事を見た感じがしました。家に帰るのが辛い、と思わせるような子供を持つ家庭は本当に「最低」だと思います。家には優しいお母さん。そして仕事から帰ってくるとちょっと怠け者だけど、いざというときはビシリと何でも出来てしまうお父さん、というのが私の家庭というもののシンプルな理想像でした。要するに実際に育ててきた親と正反対の親、というそれだけの事でした。
ちなみに家内は自分の母とは正反対の人間をきちんと見つけることが出来、本当に運命の巡り合わせには感謝しています。「絶対に親父のようにはならない」「絶対に母親のような人間は配偶者に選ばない」このシンプルなモデルだけで生きてきた私は本当に他の選択肢が無かったというか、悩む必要が無かったのです。
まあ、これを幸せか不幸せかと判断するのは私の仕事では有りませんが、まあ良くグレもせずにここまで良く来ましたよ、やれやれという感じです。(笑)

負の連鎖は私で断ち切り、次の世代には全く新しいものを手渡したいというのが心からの願いです。子供の頃に味わった恐怖の気持ちについては明日も続きを書こうと思います。

2009年1月11日日曜日

マスターコースの終了に向けて

学生たちのマスターコースの終了に向けた手続きにもう入らなければならない。 本当に一年に満たない時間である程度「形」になるものを残さないといけないのだから、ある程度恥ずかしくないものをと思えば、指導するほうもそれなりに状況は厳しいです。実際は一年ではなくて準備期間の一ヶ月を除き、かつTHESISを書き込む集中時の事を考えると、更にその時間は短くなるわけで、8-9ヶ月の間の実験で完成できる課題を選ばなければならないことになります。そこはそこ、ある程度経験を積んで来ているので私が最終的には飛び出して何とかするということになります。(笑) やはり、ポスドクに来ている人間と違って所詮は学士ですから、実際の実験というような段階に来ると、マダマダ信じられないような理解不足の一面があったりというようなことが「普通に」起きてくるわけで、その度に表情には出しませんが、全身脱力感に襲われるような瞬間というのがあるのです。まあ、こちらの期待値と実際に起きる事象との間のギャップとがそのようなことを起こしてくるわけなのですが、仕方ないの一言で片付けるわけにもいかないので、こちらも気を取り直してひたすら教えたり学習させたりするわけです。 人の教育って自分の子供に限らず本当に難しいです。

2009年1月10日土曜日

ショッピングは憂鬱

今日は娘達の春の服を買いに連れて「行かされた」。
自分には娘達が何を着ようと特に清潔なら構わないという考えが有るのだが、娘達にとってはそう物事は単純ではないらしく、最近は下の娘まで「お姉ちゃんのお下がりは嫌だ。」と言うようになって来た為、どうも余計に出費がかさんで仕方が無い。
まあ、年頃の娘達を持つという事はこういう事なのだろうと思うが、それに比べると息子は私とサイズがほぼ同じなので、私の服のケースからそれなりの服を引っ張り出して適当に着てくれるので本当に財政的には助かるのだが、、、。
今日はSHORT PUMP TOWN CENTERという所に買い物に行ったのだが、同じ様な年頃の娘達を持って買い物に付き合わされている私と同じ年代の親父さん達の顔の疲れ果てた浮かない顔を見ていると、「俺もこんな感じに見えてるんだろうな」と思わず考えてしまった。
もう、買い物は女軍団に任せて俺は実験していた方がよっぽど精神衛生上良いよ、という様な事を嫁さんに言ったら、「年頃の娘が自分の容姿に気を使わない方が異常」と、一言で片付けられてしまった。

嗚呼。

2009年1月9日金曜日

カレッジバスケットボール

今日は昼にカレッジバスケットボールを嫁さんと二人で観に行った。
子供達の年齢が上がってくるにつれて、数年前であれば想像の世界でしかなかった行動が夫婦でとれるようになって来た。素晴らしい事だと思う。こういう時にこそが本当に子供の成長を実感する瞬間です。まあ、将来的には夜に夫婦で映画やディナーも行く事が出来るのかな?等と考えたりもするのですが、今の時点では未だ夢想という感じでしょうか。
日本でパチンコで外出中に子供が焼死したとか転落死したとか、炎天下の車の中に子供を残して脱水死とかもう自分の想像の外の世界にあるトンデモの世界に居る人達も稀には有るようですが、(実際は事故に至らずに未遂で終わっている例はその十倍は有るかも)子育てと優雅という言葉は今の所我々夫婦にとっては相反する概念の様な感じです。
まあ、取り敢えず今日はホットドッグのナッチョを頬張りながら、接戦を物にした我がチームに大声援を送った一日でした。これで更にホームゲーム観戦における腐敗記録を伸ばした私です。

2009年1月8日木曜日

人種差別

日本にいると余り考えない、または感じない事の一つに人種差別があります。
違う人種の人が日本に来ると、多分その反対なのかもしれませんが、見かけも中身も日本人なので、日本にいる自分には少なくともそれを感じることが出来ません。当たり前ですが。
ここはリッチモンドで、南軍の首都が置かれていた所ですから、必然的にここ産まれのネイティブというのは白人であっても黒人であっても、直に人種差別の歴史と向かい合ってきた事になります。簡単に言うと、今のリッチモンドは中心部に黒人たちが多く住みその周辺部の郊外と言えるところにそれ以外の多くの人種が戸建の住宅に住んでいるというのが「非常に大まかな」住み分けとなっています。勿論、このような状況は年々変化してきており、人種による住み分けよりも収入による住み分けのほうがその境界線を分けるようになってきている。たとえ黒人であっても、教育を受け、収入もあれば違和感無くコミュニティーの中に溶け込んでいるし、それによって地域住民が「少なくとも表立って」何らかの行動をとるというようなことは「全く」と言って良いほど無い。少なくとも、ここは悪名高いディープサウスでは無いのだ。ウェブで調べてみると白人至上主義者のアホ団体KKKもバージニアの中に支部は持っているようだが、フツーに、まともな暮らしをしている21世紀のリッチモンドの人間にとっては人種差別などは関係ない話であって、特に世代が若くなればなるほどそこに拘る人間には「社会的な死」が待つのみ。差別するのは自由だが、それを公言するような人間には少なくともこの旧南軍の首都にさえ公的には居場所は無いのです。
少なくとも私は(鈍感なのかもしれませんが(笑))アメリカに来て差別を受けたことは一度たりともないし、無論、人種で人を差別をすることも有りません。仕事が出来るかどうかという一点だけがこの業界のポイントなので、その他のことは性別も年齢もどうでも良いことなのです。仕事ということで思い出しましたが、こちらの履歴書には顔写真を張る必要や、性別、子供の有無、結婚の有無、その他場合によっては誕生日さえ書く必要はありません。勿論、書く人も中にはいますが別に書かないからといってそれが何の不利益も及ぼしてはいけないのですから書く人も自然と減るわけです。
中には人種差別に関して非常に社会的に激しく活動している人もいて、そのような人たちの積年の努力が報われたという面も全く否定できません。実際、お年寄りの人たちの話しを聞くと、「滅茶苦茶」に露骨な差別というのが毎日のようにあったとの事ですし、ここの私のいるビルも1950年代の建物なのですが、何故かやたらと便所があるなと思っていたらある日黒人の友人がこっそりと、「これは昔の白人と非白人のトイレの名残だよ」と無知な私に教えてくれて「なるほど」としばし考えてしまった事がありました。
やっぱり隠れたところには見えない形で未だに残っている名残というのがこの辺りにはあるのでしょうね。

と書いていたらいきなりこれか、、、。頭にきた。これは酷い。

2009年1月7日水曜日

研究予算

NIHにいた頃の友人達の多くが自国に戻って活躍している。メキシコ、デンマーク、スペイン、イスラエル、日本、アルゼンチン、フランス、オーストラリア、タイ、ブラジル、イギリス。本当に世界各地から多くの研究者が集まって来ては潤沢な予算を元手に多くの結果を残して、自国の科学のレベルを更に上げるべく再び戻っていった。彼らから時折思い出したようにDNAの頒布依頼とか、米国内に残している銀行の口座に振り込まれている特許料の引き出しとか、日本の研究機関への協力依頼の口聞きとか(笑)、アクセプトされた論文の今後の方針に関するアイデアとか、家族の安否をお互いに尋ねあうメールとか、実に様々なメールが入ってくる。中でも最近話題になるのは非常にタイトな研究予算に関連したものである事が多い。大体どの友人も、国家規模で予算が縮小していることを嘆いていることが多く、余り景気の良い話は聞かない。
個人的に言えば研究の殆どはなかなかお金にもならないし、実際の治療には応用されないものであると言うのが基本的な考えで、実際はその病気の発症以前にある基本的な細胞のメカニズム探求と、その正常な状態が異常に変わるまでのメカニズム、そしてそれが異常になった時にどこを叩けば正常に戻すことが出来るのかという事を考えるのが一我々癌研究をしているものにとっての一般的な研究の流れで、最後に書いた部分がどちらかというと臨床応用に最も近い部分であるが、それでさえも実際は異常な部分はわかって、そこを抑えると治療の「可能性」があることまでは解ったが、それを達成するための「人に応用可能なアプローチはどうする?」という部分はまた全く次元の違う問題になってくるのです。
このような世界に関係の無い人達がこういう文章を見てもなかなか解り辛い点があるかとは思うのですが、人に応用可能なアプローチという点に世界的な規模の製薬会社やベンチャーキャピタルが驚くほどの人的資源と資金を投下し、それで十年かけてもやっぱりモノにならない等というような研究は海の砂の粒ほどあるわけで、人知の結晶を傾けてもそれほどまでに困難な事と言うのが治療への応用なのだと思っていただければ良いと思います。良く、ニュースで「XXの原因発見」「XXに効く新薬発見」等と書いてあるのを見る方も多いと思いますが、本当に罪作りな記事が多いです。まあ、大学の研究者自から新聞ネタにするために漏らしていくような厚顔無恥な研究者もいるのだとは思いたくは無いのですが、実際はそのような話も多々聞きます。そのような研究にも増して驚くような発見というのは多々あっても研究者コミュニティーでは盛り上がっても通常マスコミ等には出てきません。ましてや新薬などというのは99%大丈夫だろうと思われたものでさえ、安全性を考慮してそれから先には行かず発売されずにプロジェクトが終了されたりなんていうのも無数にあるわけです。そこを通過して発売されたものでも、マーケットで問題を起こし「薬害」と呼ばれる事態を引き起こすわけですから、基礎研究から臨床応用へのブリッジングというのは格段に難度の高いものだということが何となく理解してもらえれば幸いです。
こんな不景気な時にこそこんな金食い虫でなかなか金にならない基礎研究に落ちる金というのを日米ともに政府レベルで考慮してほしいと思うのですが、差をつけるチャンスのこういうときにそこまで考えが巡るかどうかと言うのは、、、まあ、無理でしょうかね。こちらアメリカではコミュニティー内で、科学予算の減額を認めないように嘆願する大統領への署名を訴えるメールが良く学会レベルのお願いで廻って来ていますが、日本ではどうなんでしょうか。この手のメールは少なくともこちらでは、実際かなり効果があるようです。

ああ、研究費がもう少しあれば、あれも出来るしこれも出来るのに、、、愚痴でした。(笑)

2009年1月6日火曜日

新聞社の断末魔

このブログを書かれている方、コミケに漫画を出品されているようなのですが、この方がそのブログ「続ドクバリニッキ」で新聞配達の関係者から聞いた新年会の話というのを書かれているのを読んで嬉しくなってしまった。紙媒体としての新聞が死んでいく様を今、目の当たりにしているのが私たちの時代なのだということが内側からの話でひしひしと伝わってくるではないですか。
ここも面白い。新聞の購買層などというのはもう、これから十年から二十年以内に大激減するのだという冷徹な事実をグラフが物凄く雄弁に物語っている。昔からこれらの偏向メディアたちには一刻も早く消えてもらいたいと考えていたので、新年早々慶賀の至りである。自分たちを再販制度と宅配システムという旧態依然たる護送船団方式で護り、高給を食みつつ大所高所から庶民の味方の振りをして偏向した事実を垂れ流し、情報弱者を囲い込みながら己の事を「公器」だの「社会の木鐸」だのと、元々のそれらの語彙の意味を誤らせるような言葉で自分たちを修飾する恥知らずの集団。新聞無くても世の中何も困りません。前の大戦で大政翼賛の片棒を担ぎ、戦後はケロリとした顔で共産主義を喧伝した羽織ゴロ共の本質は二十一世紀になろうと何も変わりません。
今ある新聞社の唯一の生き残りの方法はまあ、精々通信社として生き残り、論評一切抜きで単純に起こった事実のみを次々と写真や映像とともにウェブに上げ続けるしかないのではないでしょうか。まあ、起こった事実をきちんと伝える能力も、そのようなことを取材する能力も、新聞社にあるとは「とても」思えませんが。(笑)
私の個人的な予想なのですが、三大新聞といわれているところのうち少なくとも二つは2025年までには元の形を保ってはいないと思います。倒産か合併、もしくは今頑張っている不動産業で食いつなぐか?(大笑)セイギノミカタの安らかな死滅を心の底より祈る2009年の私です。

どの時代どの場所であっても次の言葉は不変の真理だと思います。
「大声で自らの正義を唱導する者を最も警戒せよ」

ホームレス

ここバージニアも、暖かくなったり寒くなったり、雨が降ったり風が吹いたり、天候の不順な日々が続いています。
こういうときに良く考えるのはこの気候の変化をまともに肌で実感せざるを得ないホームレスの人々の事。日本でも経済環境の極端な悪化でホームレスの人やホームレスに秒読みでなってしまうであろう人々の切実な声がネットに溢れているが、実際のところどれほどの増加なのか具体的な数値が見えてこない。しかし、真面目に仕事をしていても会社が「不要」という一言だけでその人たちを切ってしまうのは、まあ会社としては三流なんだろうなと思う。そういう意味では殆どの会社は自分の存続のためにはそういうことをせざるを得ないような三流の会社であるわけで、トヨタもその例外では無かったと言えるのではないか。まあ、表に出てくる経済環境の悪化を口実にさっさと派遣の人々を切り捨てるという意味では「法律上」は問題ないのかもしれないが、法律上問題ないからこうしてもいいのだというような事を言っていたら人の住む世の中上手く回るわけが無いわけで、いわゆる上場企業というようなところはその辺りの事まで含めて倫理的な行動規範を元に世間から注視されることになるのだと思う。社長込みの数人でやっている寅さんのおいちゃんちの隣にある朝日印刷じゃないのだから、家族全員が路頭に迷う前に何とかというような話では無かろうに、景気の良い時はトヨタ銀行などと呼ばれるほどの蓄財をしておいて、景気が悪くなればすぐこれでは市井の人もトヨタやキャノンに好印象を持つまいと思う。結局は社会の中における自分の企業としての価値を見出せていない「理念無き会社」ということなのだろうか。
こちらのホームレスの人も住宅ローン問題を話題に持ち出すまでも無く、実に様々な理由でホームレスになっている人々がいる。どこかの馬鹿な政治家のように仕事を選んでとか、怠けているから等というような「オリコウサン」の人生をまっすぐ歩んできただけの人には到底窺い知ることの出来ないような複雑な裏話が満載なのだ。慢性疾患の治療から来る医療費で破産する人、家庭内暴力、レイオフ、会社の倒産、浮気、精神遅滞や統合失調症などの精神疾患、両親の貧困からくる教育機会の喪失とそれに伴う就職選択の機会激減など、娘の友人の母親が運営しているリッチモンド近郊のホームレスの人々の援助機関に入ってくる人々がどういう人々かという対話で窺い得たのは「本当に一人一人ホームレスに至るまでの過程が複雑でとても一括りに出来るような話など無い」という物でした。そのホームレス状態も長く続くと精神が磨り減って平坦になってしまう人もいるわけで、心の枯れてしまった人を助けるのは物やチャンスを与えるだけでは救えない別の問題も生み出すことになる訳です。
行政に携わる人間にどれほどこの事実に対する認識があるのかは、残念ながらまあ、推して知るべしということでしょうか。自助努力ではどうにもならないネガティブなイベントというのが人生にはあるのですから、そこから次のステップに至る繋ぎの部分を助けることこそが社会福祉というのではないでしょうか。

自分にはそんなことは起こり得ない

皆そう思って今日を生きているのでしょう。私も出来ればそのようなことは避けたいと思っているし避けるべく行動をしてきたつもりですが、こればかりは判らないものです。

蛇足:何だか派遣村を巡る動きって言うのはきな臭いものを感じるが、勘違いか。

2009年1月5日月曜日

感覚が歳をとらないように

情報を受け入れてそれをどう処理するか、どう感じるかによってその人の考え方というものが定まる。
ひいてはその人がどういう人物なのかは入力された情報に対する出力次第で定義されるものだと思う。だから、カッコイイ男の口からげんなりする様な発言が飛び出してくると当方もそのギャップにがっかりするし、その逆もまた真であるとおもう。時々天才的な人間の伝記とかを本やネットで見ることがあるが、それに伴う風貌を持っている人もいればまったくそうでない人物もいて、要するに外観だけでは中身は判別しかねるというのが本当のところだろう。実際、写真だけ見てもこのおじさんが街中を歩いていても誰も大天才だとは思わんだろうなとかいう人がいるのは事実。しかし良い意味で風格というものを備えた人がいるのも確かで、風貌と眼光に凄みを持った人がいて、何か知らんが威圧感を感じるような人物がいるのも本当だと思う。さて、話がそれたので元に戻ると、この頃やたらと感じる事の一つに他の人が書いた文章、たとえば記事やブログ、それに単行本などソースは色々あるが、その内容でその人の年齢を推定できないものが沢山あるという事。そんなの当たり前といわれればそれまでなのだが、実年齢が高校生くらいの人物が書いているブログなどで、既にその記述者の物の見方が中年のように枯れてシニカルになってしまっているものがあったり、その逆にこのオバサン、脳内年齢は10歳くらいでしょうかというようなものもある。本や記事でも同様で、やはり人の精神年齢は肉体の成長とは関係なく進んだり遅れたりするというのが良く判ります。こんなことを最近気にするようになったのは、自分がこうやって日々の記録としてブログをコリコリ書いていると、以前自分で書いたもののコンテンツを自分自身で読んで、言い足りないとか、逆にこれは言いすぎだなとか言うような文章を拾う事が最近頻繁にあるからです。まあ、練れていない文章をこうやって記録のために上げるのですから、自分でその足りないところに気付くと言う意味では好いのでしょうが。物の見方が一元的になっていないか、特に価値判断の基準が何らかの極端な「イズム」に染まっていないかを確かめる一助になるのは良いことだと思います。無論、自分の眼鏡をかけて自分が書いたものを読み直すわけですから、そこには自ずと限界というものが存在するわけですが、それでも自分の思っていることを「これについてはこう考える、これについてはこう思う」と書き連ねるのは面白い作業だと思いました。中学生の頃にこのようなブログのシステムがあったら自分の汚い字を読むのが嫌いで、計算式以外に字を書くことの少なかった自分にはもっと良い文章修行になったのだと思うのですけれど、、、。
やはり一番に考えているのは物の見方、捕らえ方が固まってしまっていないかということです。一般的に言えば、人の言う事を聞かなくなり、自分の世界に閉じこもってしまった柔軟性ゼロの老人(渡辺恒雄のようなピエロ)になっていないか自分を戒めるためには恥ずかしい文章でも記録として残して自分の考え方の変遷を見るのは良いのかと考える今日この頃です。

2009年1月4日日曜日

アメリカは休日モード終了

いよいよ明日からはアメリカの冬休みも終わり子供達が学校へ行く。
我が家はあまり外出をしない家庭なので、(というか外出の為の出費が出来ない(笑))家でお互いずっと顔を見合わせる事になるので、どうしても中弛み感が漂ってしまう。私はラボに行くので未だ良いのだが子供達は他の子の家に行ったり他の家の子が遊びに来る以外は家の中に居るので、中弛み感は私以上に大きい。そういう訳でやはり子供達には「学校」という者の存在が非常に大切なのだという事がこういうイベントのある度にハッキリと思い知らされる訳です。何か長女はスペイン語の単語覚えとかしていたようですが、次女は日本のアニメをネット経由で見てばかり、長男は遊ぶのと食べるのが忙しかったようでお腹がアメリカンになってしまいました。私と二人揃ってダイエットをしなければならないようです。これはどちらかというとアメリカの食事のせいと言うよりも、日本から嫁さんが持ち帰って来た美味しい日本のお菓子類のせいだと言う感じです。言い訳に聞こえるのですが、本当に日本のものは口に合うという事以上に素直に美味しいと思います。甘さもベッタリと甘いのではなく、辛さも極端に辛いのではなく。きちんとしたグラデーションが有るのが素晴らしい。アメリカ人の女の子に限らず、たまに日本のものをこちらの人に食べさせると、表情を変えて「美味しい」といわれます。そういう時は何故だか私までが日本人として誇らしく感じるのです。
ミシュランの星野和が日本ではメチャクチャ多くついていたとの話ですが、それも当然と言えば当然かと私は思います。
こんなに美味しい食事を沢山毎日食べられる日本の方が本当に羨ましいです。

2009年1月3日土曜日

永田寿康 元民主党衆院議員の自殺

世に言う偽メール問題でコロリと騙されていた、下品な野次で有名だった元国会議員が自殺してしまった。
慶応、東大、大蔵省という名前だけ見たらいかにも毛並みの良さそうな人物。結婚は元スッチーと、(ウィキペディアによると)実家は九州の医療法人とかでまあ、毛並みの良い苦労知らずのお坊ちゃんが嵌った大人の世界での蹉跌という事でしょうか。申し訳ないのですが、与えられたテストをクリアするという点においては賢かったのでしょうが、苦労や失敗という事にはどうにも免疫が無さそうな経歴をお持ちの人物のようです。国政を預かる人間というのはハッキリ言って二枚腰、三枚腰の優柔不断さを持ち合わせた用心深い人間でなければならないといけないと思うのですが、世の中は青春ドラマのようには単純では無いという事に国会議員になって気づいたのかもしれません。学校のテストと違って、世の中の多くの問題には完全な正解がある事の方がよっぽど少なくて、多くの選択肢の中から苦労しながら最適解を必死で探すというのが実情だと思います。最適と思われる選択が駄目なら次善の策でそれが駄目ならその次に良い策で対応を行いつつ、駄目で元々、やるだけやってみるという試行錯誤を行うのが市井の人の日常では無いかと思うのです。

「死んで花実が咲くものか」

残された家族の方々は彼よりももっと苦しみ続ければならないのです。私はどんなにドツボに嵌ろうと自分たちの家族を残しては死ねません。どんなに格好悪く惨めったらしく生きてでも、家族の為に生きていたいと思うのです。私の最も親しくしていた友人も五年程前、部下が原因で起きた患者さんの術中死の責任に上司として苦しんだ挙げ句、子供と奥さんを残して自死を選びました。私は言いたい。責任の取り方は死ぬ事だけでは無いと。周りの人間は死んだ者を救えなかった事実から生きている間中、苛まれるのです。

2009年1月2日金曜日

仕事始め

個人的には今日から仕事始め。
大学としてはまだまだ休日ではあるが、そんなことを言っていては座して死を待つのみ、ということになるのでこちらから当然のように動いていかなければならない。今年のサイエンス関係の予算がどこまで減らされるのか判らないが、こういうときだからこそ「逆張りの発想」でサイエンスに投資を続けてくれるような政府であってほしいなと思うのです。「人のしないことをしてこそ」の逆転の発想を政府の諸氏にも持ってもらいたいものですが、果たして彼らの言っていた「チェンジ」は本当に起きるのでしょうか。
来年の今頃このブログに何かを書いている時点で、オバマ政権の実態というものが浮き上がってきているものと思いますが、クリントン政権の焼き直しだけは止めてほしいと思います。あの整形オバサンが政権の中枢に入ってきていることが私にはそれを強く危惧させるものとなっています。基本的にあの手の異常に上昇志向の強い人種が基本的に苦手な私は、あのオバサンが大統領にならなかった時点でまず一安心したのですが、その後がどうも良くない。
前のクリントン政権の時のあのオバサンの行動を思い出すと、「勘弁してくれ」というようなことばかりしていたのでその悪夢が再び甦るのではないかと非常に強く危惧するわけです。オバマには大変強い期待をしているのですが、どうもこのマッチングは政権を悪夢に引きずり込む可能性を孕んでいるのではないか、そう思えてなりません。彼女のようなタイプの人間に強烈な「胡散臭さ」を感じる私です。

2009年1月1日木曜日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
昨年、本当にいろいろなイベントが私自身にも、家族にも沢山有りました。私個人としては心臓の弁膜症を発症しそれをこちらの先生に手術してもらった事でしょうか。自分が生きている間に開胸手術で心臓を二時間も止める様な事になるとは夢にも思っていなかったので医師として大変興味深いイベントでした。まあ、ほぼ間違いなく生きて帰るとは思っていましたが、こんなイベントはあんまりそう、何回も無くていいかなと思いますが。(笑)(しかし、他にこのような経験をされる方も沢山居る訳ですが、貴重な経験でした。)病気というのはどんなものであれ、その病気になってみないとその人の「本当の」気持ちなど解らないものです。患者さんの心に寄り添う医師になれる為には今回の出来事も全く無駄でなかったと考えています。
それにしても、2008年にはっきりと総崩れを起こした経済もこの2009年にはどこまで持ち直すのでしょうか。ここアメリカ的にはビッグ3の動向が心理的にも大きな影響を及ぼすと思われます。全体の労働人口の1パーセントが自動車関連とか言う話ですが、オバマ政権も難しい舵取りを任せられそうです。何れにしてももう後戻りは出来ない程エネルギーの問題が大きくなってきました。今この辺りでは一ガロン(3.8L)が1.35-1.45ドル(120円-130円)という所でしょうが、この値段も長続きはしないと考えています。長期的にはまたガロンあたり3-4ドルというのがまず普通になるかと思います。それを避ける為にはどうしても省エネカーのいっそうの普及が望まれる所ですが、ハイブリッドや水素自動車が全くの標準の選択となる時代がここ十年以内に来る事を強く願っています。きっと、私たちの子供達が私たちと同じ年齢に達した頃には「ガロンあたり30マイルを超えれば優秀な低燃費車だったよ」というのがいろいろな意味で笑い話になれば良いと思います。例えば、まずその燃費の悪さを笑い、例えばガソリンで車を走らせていた事を笑える様な時代が、、、。
今年も研究に私生活に沢山の希望を持って家族とともに生きていきたいと思います
。ここに偶々来られた皆さんにも幸多からん一年である事を祈って!